40 / 66
40. 瀋都の惨状
しおりを挟む愁月を伴って、琇華は掖庭宮を出る。久しぶりに、自分の足で歩いて、外に出た。それは、存外心地よい開放感を琇華に味わせた。
(陽差しは強いけれど……外の風は心地が良いわ。殿舎の中に居るより、ずっと良い)
掖庭宮を出る折り、いつぞやの門番が、琇華の姿を見て「あ」と声を上げた。ちょうど、交代の時間のようだった。琇華も、その声に気がついて、やんわりと微笑む。
「その節は世話になりましたね。彭機鏡でしたね?」
と琇華が声を掛けると、彭機鏡は平伏して、言う。
「皇后陛下に、拝謁致します。その節はご無礼を……!」
「顔を上げなさい。あなたに、案内して頂いて、助かりました。礼を言いますよ」
彭機鏡は、中々、見目良い丈夫であった。
「皇后さま、この者をしっているのですか?」
瑛漣が驚いて聞く。
「陛下のおわす瓊玖殿まで案内して下さったの。あの時は、花玉堂だったわ。わたくし、そのおかげで、大切な真実を知ることが出来たので、本当に、感謝しているの」
彭機鏡には立つように命じて、「あなた、今から、仕事は終わりなの?」と問い掛ける。
「はい。先日は、夜の番でしたので、次は、明日の朝からです」
「昼夜を問わずに、番をして下さるおかげで、妾や、このものたちが、安らかに暮らせるのね。彭機鏡、それに、衛士の者たち、感謝しますよ。……そうだ。どうせならば、一つずつ、饅頭を持っていって。
妾達は、いまから、城下へ行って、職人に逢おうと思うの」
「職人、でございますか?」
真っ白でふわふわとした饅頭を捧げ持ちながら、彭機鏡が聞く。
「ええ。妾と愁月と女官達の衣装を作りたいのだけれど、皇帝陛下がご立腹なことだし、皇城の職人に作らせるのも、自由が利かないようだから、外の職人に頼みたいのよ」
「護衛も付けず?」
一応、武芸を仕込まれているという女官達を連れては来ているが、万が一の時には、確かに心許ない。
「ええ」
「では、わたくしが、お供致します」
彭機鏡が、跪いて、拱手した。
「でも、あなた、寝ずの番だったのでしょう? 休まなければ、身体が持たないわ」
固辞した琇華だったが、女達の安全の為に、と彭機鏡の申し出を受けることにした。
「愁月も、あまり、外を出歩いたことはないのよね?」
琇華は、確認するように言う。元々、愁月は、この国でも有数の貴族の姫君だった。ならば、町歩きをしたことがないほうが普通だ。
「はい。ですから、わたくし、あの………心細くて………」
あたりを窺うように、びくびくしながら、愁月は言う。
「大丈夫ですよ。なにかあっても、彭機鏡もおりますしね。それに、あなたは、必ず妾が守るから……それより、楽しいことを考えましょう? わたくしは、黄金色の衣装が欲しいの。だから、あなたは、紺青の衣装が良いわ。きっと映えてよ?」
ゆっくりと皇城と花園の間の道を場外へ向かって南下する。一刻ほど、たっぷり歩いて、琇華達一行は、やっと場外へ出ることが出来た。
「皇后陛下、ご出立である」
彭機鏡が、城門の兵士に告げる。すると、すぐさま、門番達が動き始める。下から見上げると、天にも届くのではないかと言うほど、城門は巨大だ。その巨大な城門を開くには、時間が掛かる。大の男が二十人も掛かって、押し上げるのだ。
どん、どん、どんっ、どどんっ。
太鼓の音が鳴り響く。この太鼓で呼吸を合わせながら、門を押し開くのである。
「通常の門は、あちらです」
彭機鏡は、城壁の片隅にある小さな門を指さした。門番は、十人ほど居たが、門扉は開いたままだった。
「我々は、あの門から出入りします。小さな俥ならば、あそこから出入りします。こちらの御門は、皇后陛下、皇太后陛下、先帝陛下および、皇太子殿下と、特別に許しを得た皇族、高官のみが出入りを許されます。
ですから、ここのものたちは、みな、この国で神聖な色である、黒の衣服を着ているのです。勿論、黒は、皇帝陛下のみの御料ですので、この者達の色は、『黒』ではなく『暗色』と呼ばれます」
彭機鏡が説明するとおり、皆、黒い服だ。対して、彭機鏡は、身分に応じた色なのだろう。円領(丸い襟)の衣装は、橙色だった。
皇后の色は、気の滅入りそうな鴉青色である。
やがて、扉が開き、銅鑼が鳴り響いた。
「皇后陛下、ご出立!」
号令が、反芻される。この中を、しずしずと、琇華は進んだ。そして、念願の瀋都へ、足を踏み出す。踏み出して、絶句した。
――――がらん、としていた。
秋でもないのに木枯らしが吹いたように、塵一つ落ちていない整然とした道。そこに、人の営みの気配はなかった。
「こんなに……誰も居ないの?」
声が、掠れた。
「少し前までは、外で寝転んでいた者も居たようですけれど……みな、目障りだと追い立てられて」
彭機鏡の説明を聞いて、琇華は、背筋がぶるっと震えた。
(こんなに酷いなんて)
どこからともなく流れてくる強烈な匂いに、鼻が曲がりそうだ。何の匂いかと思って探ると、邸宅と邸宅の間の隙間に、人が倒れていた。一瞬見ただけだが、琇華の目に焼き付いて離れなかった。死体は、中年の男のようだった。かろうじて、肉に引っ掛かっていた衣装から判断すると、である。皮膚は、青紫色になって、内側から割れたように、いくつかの亀裂が走っていた。そこに、白い蛆虫がびっしりとたかり、うねうねと白い波のように蠢いている。
「死体です。あのような不浄なものは、御覧になりませぬよう」
琇華は、唇を噛んだ。
「あのまま、放置していたら……蛆の被害が酷くなるわ。どこぞに埋葬するか、火葬するしかないわね。……それを、頼めば手伝ってくれそうな町の者を探すわ」
声が、震えた。
死体からは離れたが、あの死臭―――いや、人間の身体が腐っていく、強烈な臭気だ。
女官達の何人かは、倒れているようだった。
(倒れては居られないわ……)
このままでは、瀋都は、死の町になるだろう。城門から近いこの区域は、普通は、大臣などの邸宅になっているはずだが、そこでこの状況だ。これでは、城下の、職人達の住まうあたりは、どんな惨状になっていることか………。
琇華は顔を上げた。
「誰か、誰かおらぬかえ!」
大声で叫びながら、通りを歩く。その声を聞きつけたのか、小さな子供が、ひょっこり、無気力な顔で塀と塀の間から顔を出した。
「妾は、教えて欲しいことがあるの。教えてくれたら、お礼に、饅頭を差し上げてよ」
琇華が合図すると、瑛漣が心得たというように、手にした桶に山と積まれた、饅頭を見せた。
子供の、虚空を映したような空ろな瞳に、光が戻る。
0
あなたにおすすめの小説
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
【完結】こっち向いて!少尉さん - My girl, you are my sweetest! -
文野さと@書籍化・コミカライズ
恋愛
今日もアンは広い背中を追いかける。
美しい近衛士官のレイルダー少尉。彼の視界に入りたくて、アンはいつも背伸びをするのだ。
彼はいつも自分とは違うところを見ている。
でも、それがなんだというのか。
「大好き」は誰にも止められない!
いつか自分を見てもらいたくて、今日もアンは心の中で呼びかけるのだ。
「こっち向いて! 少尉さん」
※30話くらいの予定。イメージイラストはバツ様です。掲載の許可はいただいております。
物語の最後の方に戦闘描写があります。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました【完結】
iru
恋愛
第19回 恋愛小説大賞エントリーしています。ぜひ1票お願いします。
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
異国には嫁に行きたくないので、空を渡ることにしました
七宮叶歌
恋愛
政略結婚が決まった王女・メヌエッタは、決められた未来に従うだけの人生を拒んで王宮を飛び出した。逃げ込んだのは、侯爵令息・アルフレッドの操る飛空船だった。
ところが逃亡の途中、「王女は事故死した」「アルフレッドは指名手配」という報道が流れ、二人は一転して国中から追われる立場になる。更にアルフレッドの父から提示された逃亡の手助けの条件は、逃げ切ることが出来たなら、アルフレッドと『契約結婚』するというものだった。
結婚から逃げてきたはずなのに、行きついた先もまた結婚。けれど、空の旅の中で触れ合う彼の優しさや弱さに、メヌエッタの心は少しずつ揺れ始める。
追手、暗殺の影、契約から始まる恋――。
二人は無事に逃げ切り、幸せを掴むことができるのか。ちょっぴりコミカルで、ときどき切ない空の逃避行恋愛ストーリーです。
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
求婚されても困ります!~One Night Mistake~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「責任は取る。僕と結婚しよう」
隣にイケメンが引っ越してきたと思ったら、新しく赴任してきた課長だった。
歓迎会で女性陣にお酒を飲まされ、彼は撃沈。
お隣さんの私が送っていくことになったんだけど。
鍵を出してくれないもんだから仕方なく家にあげたらば。
……唇を奪われた。
さらにその先も彼は迫ろうとしたものの、あえなく寝落ち。
翌朝、大混乱の課長は誤解していると気づいたものの、昨晩、あれだけ迷惑かけられたのでちょーっとからかってやろうと思ったのが間違いだった。
あろうことか課長は、私に求婚してきたのだ!
香坂麻里恵(26)
内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部営業
サバサバした性格で、若干の世話焼き。
女性らしく、が超苦手。
女子社員のグループよりもおじさん社員の方が話があう。
恋愛?しなくていいんじゃない?の、人。
グッズ収集癖ははない、オタク。
×
楠木侑(28)
内装業SUNH(株)福岡支社第一営業部課長
イケメン、エリート。
あからさまにアプローチをかける女性には塩対応。
仕事に厳しくてあまり笑わない。
実は酔うとキス魔?
web小説を読み、アニメ化作品をチェックする、ライトオタク。
人の話をまったく聞かない課長に、いつになったら真実を告げられるのか!?
皇帝陛下の寵愛は、身に余りすぎて重すぎる
若松だんご
恋愛
――喜べ、エナ! お前にも縁談が来たぞ!
数年前の戦で父を、病で母を亡くしたエナ。
跡継ぎである幼い弟と二人、後見人(と言う名の乗っ取り)の叔父によりずっと塔に幽閉されていたエナ。
両親の不在、後見人の暴虐。弟を守らねばと、一生懸命だったあまりに、婚期を逃していたエナに、叔父が(お金目当ての)縁談を持ちかけてくるけれど。
――すまないが、その縁談は無効にさせてもらう!
エナを救ってくれたのは、幼馴染のリアハルト皇子……ではなく、今は皇帝となったリアハルト陛下。
彼は先帝の第一皇子だったけれど、父帝とその愛妾により、都から放逐され、エナの父のもとに身を寄せ、エナとともに育った人物。
――結婚の約束、しただろう?
昔と違って、堂々と王者らしい風格を備えたリアハルト。驚くエナに妻になってくれと結婚を申し込むけれど。
(わたし、いつの間に、結婚の約束なんてしてたのっ!?)
記憶がない。記憶にない。
姉弟のように育ったけど。彼との別れに彼の無事を願ってハンカチを渡したけれど! それだけしかしてない!
都会の洗練された娘でもない。ずっと幽閉されてきた身。
若くもない、リアハルトより三つも年上。婚期を逃した身。
後ろ盾となる両親もいない。幼い弟を守らなきゃいけない身。
(そんなわたしが? リアハルト陛下の妻? 皇后?)
ずっとエナを慕っていたというリアハルト。弟の後見人にもなってくれるというリアハルト。
エナの父は、彼が即位するため起こした戦争で亡くなっている。
だから。
この求婚は、その罪滅ぼし? 昔世話になった者への恩返し?
弟の後見になってくれるのはうれしいけれど。なんの取り柄もないわたしに求婚する理由はなに?
ずっと好きだった彼女を手に入れたかったリアハルトと、彼の熱愛に、ありがたいけれど戸惑いしかないエナの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる