伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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39. 落ち込むよりも

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 皇帝には呆れられて、朝餉さえ来ないと言われてしまった。

 恐縮して『わたくしが、皇帝陛下にお詫びを申し上げて参ります』と飛び出していく勢いの愁月を部屋に下がらせて、琇華は溜息を吐いた。

(どうせ、いずれそうなったわ。この国が持ち直せば、豪華な朝餉を、瓊玖ぎきゅう殿で召し上がるのよ)

 それならば、時期が早まっただけのこと。胸は痛むが、いつまでも、心を寄せてくれない人のことを考えて居ても仕方がない。落ち込むよりも、自分に出来ることをしていた方が良い。それが正しいだろう、と琇華は思う。

瑛漣えいれん。周おばさんは、もう、昼餉の仕込みをしてしまったかしら」

「ええ、おそらく。如何致しましょう……大量の饅頭が残りますけれども」

「仕方がないわ。処分するのも勿体ないし、今から、城下へ持って行きましょう。職人さん達が食べて下さるか解らないけど」

「皇后陛下の下賜した饅頭でしたら、喜ぶはずですわ」

 そうならば良いけれど……と琇華しゅうかは思う。あの時―――温泉に行く前に、琇華は、見た。贅沢な暮らしをして民を顧みない皇后を。あの憎しみに満ちた眼差しを、今度は、まっこうから向けられるのだろう。

「ああ、それはそうと」

 瑛漣が、思い出したように言う。

「なあに、瑛漣」

「実は、先日の温泉で知り合った武官が居るのですけれど……、彼が、言うには、来月の半ばには、ほう国からの物資が届くとか」

「まあ、あなた、いつの間に……」

 琇華と皇帝が浴室に入っている間だろう。あの時、琇華は、執拗に、瑛漣に入浴を進めたものだが、その時に、良い武官に知り合えたのならば、良かったと思う。

「いやですわっ! 皇后さまっ! そんな、変な関係じゃありませんわ!」

 顔を真っ赤にして否定するのは、いつも怜悧な瑛漣には珍しいことで、琇華はからかいたくなったが、止めておいた。もし、まだ、瑛漣と武官の間に、なんにもないのだとしたら、茶化したことで、潰える未来もあるかも知れない。

「来月までの一月くらいなら、妾の手持ちでなんとかまかなえるわ。……何なら、妾は少し考えたのよ」

「考えた? なにをでしょう」

「交易よ」

 皇帝に、拒絶されてから、ずっと考えて居た。このまま、堋国頼みでも、長く持たない。この国が独自に、金子を得る方法を考える。その時に、最初に考えついたのは、交易だった。

「交易……で、ございますか?」

「ええ。職人さんたちの腕が良ければ、この国の織物や細工品を、他国に売るの。但し、金製品と銀製品、鉄に関する製品は他国へは流さないわ。それで、この国は、他国から、小麦や、大豆、肉の塩漬けなども買い付ければ良いのよ。皇帝陛下の裁可を待っているのも面倒だから、妾の権限で、この掖庭えきてい宮の中で行わせて貰うわ。ここは、妾が、全権を持っているはずですからね」

 本来、そこまでの権限が、皇后にはないことを、琇華は知って居る。だが、琇華は躊躇わなかった。

(良いのよ。もし、妾を処罰するなら、処罰なさればよろしいんだわ)

 琇華は、一度言を切って、目を閉ざした。そこに懐かしいほうこく国の市場の様子が映し出される。何年前のことだか解らないけれど、とても、鮮明に思い出す。

ほう国の首都、湖都れいとは、西域や海を隔てた東方からも、沢山の物資が集まって、毎日、市場が賑わっていたわ。妾は、兄様に都連れられて、お忍びで熱々の饅頭を食べたのよ。道端でね、四六時中ふかして売っているの。だから、いつでも熱々が食べられるのだけれど、お客はひっきりなしだったわ。
 市場は、人でごった返していてぎゅうぎゅうでね。物慣れない匂いを感じたと思ったら、南方からの香辛料の薫りだったり、甘い、西方のお菓子も売っていたの」

 興奮気味に語る琇華に、瑛漣は気圧されていたようだが、幸せそうな笑顔で聞いている。

「堋国には、行く機会もないでしょうけれど……活気に溢れた、良い町なのですね。皇后さまが、そんなに嬉しそうにお話しされるのは、滅多にないことですので、わたくしまで、嬉しくなりますわ」

「そう………ね。あまり、こんなに、お話ししないわね」

「ええ。あとは、皇后さまが楽しげにお話しなさるのは、皇帝陛下のことばかり。……わたくしは、意地をお張りにならず、ご本心を打ち明けられればよろしいのではないかと思いますけれど……」

 仲直りした方が良い、と言っているのだ。

 それは、琇華にも解る。仲直りを出来るなら、仲直りした方が良い。

(けれどダメ……)

 ここまでこじれてしまったら、もう戻れない。

「もともと、陛下は、妾との結婚は、望んで居なかったの。……だから、良いのよ。妾は、好き勝手にやらせて頂くわ!」

 

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