伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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38. もう二度と……

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 翌朝、皇帝は時間通りに朝食を取る為に玄溟げんめい殿に現れた。

「陛下に朝のご挨拶を申し上げます。本日も、ご気色よろしく……」

 拱手して挨拶を申し上げる後ろに、愁月しゅうげつも控える。「楽に」と命じた皇帝は、琇華しゅうかに語りかける。

「あなたも、琵琶を弾いていた」

「眠れなかったのです」

「なにか、心配事でも?」

「その逆ですわ」と琇華は笑った。「昨日、温泉へ行ったのが、とても嬉しゅうございました」

「なるほど」

「それで、妾は、陛下に相談があるのですが……」

「相談? ……わかった。朝餉を採りながら話を聞こう」

 皇帝に促される形で、琇華たちは、卓子テーブルへ向かった。花梨で出来た高い卓なので、椅子に座って食事を摂ることになる。皇帝し、琇華が隣りあい、その向かいに愁月が座る。

「それで、あなたの相談とは、一体なんだい?」

「衣装ですわ」

 粥を食べながら、琇華は言う。今日の粥は、鶏肉の粥だった。ゆっくりと炊いた粥は、滋味深い味わいが、身体中に満ちて行くような優しさがある。もそもそ塩気の少ない皇宮の料理だが、塩はかなり控えている。その代わり、漬け物を刻んだものを混ぜて味の変化を楽しむという趣向のようだった。

「衣装?」

 粥のおかわりを言いつけてから、皇帝が問い掛ける。

「ええ。実は、妾の衣装は、すべてほう国から持ってきたものばかり。……そろそろ、新しい衣装が欲しいし、愁月にも買い与えようと思っているのです」

「では……」

 と言いかけた皇帝に、琇華は、にこりと微笑んだ。

「この皇宮には、衣装を保管している役所があるとは聞きましたけれど。妾は、ほかの方が袖を通した衣装を身に纏うのは、気持ちが悪いのです。新しい、まっさらな衣装が欲しいわ。丁度、七月七日の宴もあるのですし……妾は、出入りの職人に、直接話をしたいの」

 皇帝の顔が、歪む。不機嫌な顔になった。こんな贅沢を言うのは、国の現状を考えれば、馬鹿なことだと思うだろう―――とは、琇華も理解はしている。だが、これが、琇華に出来る精一杯だ。

「皇宮にも職人はいる」

 皇帝の声は固い。

「妾は、思い通りの紋様の入った布地が欲しいし、刺繍にしてもそうだわ。だから、妾は、職人と話したいの。ここに呼んでも良いかしら?」

掖庭えきてい宮には、男の出入りは禁じている」

「あら、だったら、妾は、愁月を連れて、城下の町へ参りますわ。陛下、止めないで下さいまし」

 愁月は、困り果てたように、と琇華と皇帝を交互に見遣る。

「……あなたのことを、私は買いかぶっていたのかな」

 皇帝は、運ばれて来たお替わりの粥を食べながら問い掛ける。

「なんのことかしら。皇帝陛下は、肝腎なことを何にも仰せにならないから、妾は、解りませんわ。それとも……付き合いの長い愁月ならば解るのかしら」

 急に名前を出された愁月が、おろおろとしながら、二人のやりとりを見守っている。何か、言いたそうだったが、本来、琇華の許しがなければ、発言は出来ない。

 琇華は、愁月に発言を許さなかった。

「愁月は、関係ない」

「そうですの?」

「ああ、そうだ」

 不機嫌そうに言ってから、皇帝は顔を上げた。

「―――いつも、あなたのことになるとも、聞きたいことが喉元に引っ掛かって出てこない」

 どう、返事して良いのか解らずに、琇華は、皇帝の言葉の続きを待った。

「あなたの気持ちも意図も、私は、生涯解らないままなのかも知れないね」

「お互い様ですわ」

 琇華も、にっこりと微笑んだ。

「妾も、陛下のお気持ちが解りません。……昨日の発言については、妾に非がありました。陛下をいたずらに苛立たせるようなことを申し上げましたのは、皇后として、恥ずべきことです。
 よろしければ、妾に罰をお与え下さいませ」

「罰? ―――あなたに? 皇后から格下げでも望むつもりかい?」

 片頬で冷笑する、皇帝の秀麗な美貌に、一瞬だけ見とれたが、すぐに、毅然と言い切った。

「いいえ。罰は……、皇后の料として頂いておりますろくを、減額して下さいませ。謹慎も、と思いましたけれど、それでは、職人の所へ行くことが出来ませんの」

「形ばかりの反省ならば、私は興味がないよ。……減額も謹慎もなしで構わない」

「皇恩に感謝致します」

 琇華は、拱手して、礼をする。そして、顔を上げたときに、皇帝が、今まで見たこともないような、美しすぎる作り笑いを浮かべていることに気がついて、背筋が、ぞく、と震えた。

「陛下……?」

「明日からの食事の仕度は断る。あなたは、せいぜい、その身を美しく飾り立てているが良い。……あなたが、なにを考えて居るか解らないが、それほど隠し事をするのならば、私はあなたの邪魔だろう。二度と、玄溟げんめい殿には近づかないから安心しなさい」

 全身が、氷水を掛けられたように、冷たくなっていくようだった。

(二度と……)

「陛下の仰せのままに」

 琇華は、拱手して、皇帝の言葉をうけとめる。その、指先が、カタカタと震えた。


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