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43. 仮面の側近の暴言
しおりを挟む皇后の元へ通わなくなってから、十日ばかり経った。
彼女は、毎日、大量の食糧を伴って城下へ出ているという。
「こうなるのが解っていたから……離れたつもりだったんだがな」
温泉に向かう途中で、彼女は、市井の女を見た。彼女は皇帝と皇后に憎悪の眼差しを向けていた。それに、おそらく、傷ついたのだろうと思う。だからこそ、民に食事を……という短絡的な行動に出たのだと、漓曄は考えて居る。
ふぅ、と一つ溜息を吐いて、机に山と積まれた書簡を見遣る。あちこちからの奏上が上がってくる。皇帝の所まで上がる奏上は、おそらく、民が考えて居るよりも、ずっと、細々としたが含まれるだろう。
瀋都近くの橋。ここは、早急になおしたいのは山々だった。この橋が落ちているせいで、大分、物資の輸送が遅れているのだ。しかし、この橋を修理するには、巨額の費用が必要だった。
(それこそ、黄金姫をあと一人娶らなければならないほどに……)
それほどの要所であるから、冬が来る少し前から、工事をする為に、周辺から徴用するよていになっていたが、それでも、金子は掛かる。
「皇后さまのことですか?」
ふらり、と執務室に現れた洙学綺が、にやにやと笑いながら聞いてくる。
「調べたのか?」
「一応は? ……とりあえず、皇后さまは、衣装を作らせておいでです。ついでに、調度品や飾りも。それで、ゆくゆくは、これらの品を、游帝国の織物として、他国に売りつけたいご意向だとか」
「他国に売る? 貿易をするのか?」
「少なくとも、皇后さまは、本気ですよ? とにかく、がむしゃらに、朝から晩まで。折角、毎晩、合奏してくれるのを心待ちに、ヘタな琵琶をかき鳴らしているのに、全く、ご愁傷様です。とにかくお疲れですから、牀褥(ベッド)へ入る前に、眠ってしまうそうですから、多分、陛下が、明け方ちかくまで、琵琶弾いてるの、絶対知らないです。皇后さま、だけ!」
洙学綺は、ひぃひぃと腹を抱えながら笑っている。この、無礼な態度も、漓曄は、学綺にだけ許していた。
「余計な事は良い」
「はいはい、畏まりました……えーと、皇后さまの、ここ最近の動きです。一応、紙に書いておきましたから、後で、燃やして下さい。全く、ちゃんと、仰有ったら良いのに。おかげで、私まで、毎日毎日、下町通いですよ。
最近じゃ、子供達から、『仮面のおじちゃん』と言われているんですからね」
おじちゃんですよ、おじちゃん!
憤慨する学綺だが、子供から見れば、立派なおじちゃんだろうと思う。だが、学綺の機嫌を損ねてもいけないので、漓曄は黙っていた。
「本当に、外の職人と、懇ろな関係になってるんじゃないか……なんて、良く邪推しますよねぇ。それなら、言ってご覧なさいよ。皇后さま、一歩も外に出なくなりますよ? というか、私は、そちらの方が有り難いんですけれどね」
「お前の、歯に衣着せない所を気に入っているが、そこまで言わずとも良い」
漓曄は不機嫌に言う。
「おや、そうですか? ……まあ、とにかく、早いところ、皇后さまとは仲直りして下さいよ。でないと、腹が減って」
学綺の言葉に、漓曄は「む」と詰まった。
あれから―――つまり、漓曄が琇華の元を訪ねなくなってから、食事は届かない。勿論、これは、理由が断ったのだから仕方がない。代わりに、民が食べているはずだ。
だが、確かに、腹は、減った。
「あーあ、懐かしいなあ。この時間。昼ご飯は、いつも、ふっかふかの饅頭をご相伴にあずかりましてね。あの、周おばさんのつくる饅頭は、皮は、白くてふわふわ。一口かじると、夢のように温かくって、そこから、じゅわーっと、肉汁が零れ出て、これを、しろい皮が吸うんですよ。その、ふんにゃりした皮も、皮の甘さと肉汁の塩辛さとが渾然一体になって……」
「ええい! 学綺! それ以上言うなっ! 私の腹の虫が、怒り始めた!」
ぐう、と漓曄の腹が鳴った。饅頭を寄越せ、と訴えているのだ。実は、ここの所、昼餉は、抜きだった。そもそも、市井の民達は、一日二食。だから、どうと言うことはない。が―――つい先日まで、この時間、執務しながら食べる饅頭は、本当に美味しかった。
時折、気を利かせた琇華が、美しい、花の形をした酥に文を添えて寄越していた。
『執務にお疲れの頃お召し上がり下さいませ。甘いものは、疲れを癒やします』
漓曄は、そっと、机の抽斗を開けた。黒檀の大きな机は、外からは解らないが、小さな抽斗が作られていて、ちょっとしたものを忍ばせることが出来る。
そこにあるのは、琇華からの文だった。
菓子に添えてあったものだ。
「そんなに怒らないで下さいよ。でも、今日も美味しかったですよ?」
ははは、と学綺は笑う。城下で、民に分け与えていた饅頭を、しっかりと受け取って子供達と一緒に食べていたのだろう。
「お前はっ!」
「はは、仕事はしてますから、怒らないで下さいよ!」
ぎりぎりと歯噛みする漓曄は、学綺に言う。
「お前、私が嫌いだろう?」
「皇帝でなかったら、誰が、あなたを好きになるんです。皇帝だから、なんとか、会話してもいいかな、という程度ですよ」
もの凄い言われようだったので、聞いた漓曄のほうが、聞かなければ良かった、心底、後悔した。
「ここは、嘘でも『皇帝陛下に心酔している』とでも言うべきではないのか?」
「『歯に衣着せない』が。気に入ってるんでしょ?」
言い返されて、ぐうの音も出なかった。
「ああ、でも―――皇后さまなら、多分、あなたが、旅芸人だって、猿回しの猿のほうだって、きっと、あなたを好きですよ。あの皇后さま、ちょっと、趣味悪いから」
いろいろと聞き捨てならないことを言って去って行く学綺の後ろ姿を見送りながら、漓曄は、彼の言葉を反芻していた。
『きっと、あなたを好きですよ』
その言葉を、琇華に告げて欲しかったのだ。
琇華は、いろいろと尽くしてくれる。だが、姿絵を抱いて眠るほど、『恋しい男』だとは、言ってくれない。その、琇華の隠し事が、漓曄には不満だった。
(最初に、あれほど傷つけたから……今更、あなたの気持ちが気になるとは言いづらいのに……)
その上あの皇后は、頼りない皇帝に代わって財政立て直しの道を歩み始めた。
ある意味。それは現実逃避のように思えなくもないが……、漓曄は、それも、不満だ。一言の相談も成しに、独断できるのだ。漓曄ならば必要な、面倒な手続きや根回しを、あの皇后はすべてひとっ飛びでいきなり行動する。
(流石に、愛想を尽かしたのか……、まだ、私の為に国を立て直そうとしているのか……)
学綺の残していった報告を見て、「え」と、皇帝は呟いていた。
知らなかった。
知らずに、また、琇華を傷つけていたのに、気がついた。
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