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45. 幽鬼騒ぎ
しおりを挟む朝、目を覚ますと、琇華の枕辺には、槿花がひとつ、置かれるようになって居た。
「夜にはしぼんでしまうけれど……とても、美しい花だわ」
琇華は、槿花を手に取りながら、そっと唇を寄せた。柔らかな薄い布のようなひらひらとした花は、水を含んでひんやりとしていた。
だれが、ここに置いているのか―――侍女に聞いても、誰もなにも教えてくれない。
仕方がないから、琇華は、皇帝が置いて行ったのだと勝手に思うことにした。
(それとも、妾が、陛下を好きなあまりに、槿花が妾を哀れんでくれたのかしらね)
槿花は、今の皇帝の花。
ともに眠れるのならば、何よりも、嬉しいことだった。
「そういえば、最近、愁月をお召しにならないようだけれど……、妾に気を遣っているのかしらね」
愁月を召し出さなくなったのは、例の、絶縁宣言以降だ。
十日以上、寝所は一人のはずだ。
(いっそ、愁月に、別の殿舎を与えれば、陛下は心置きなく、そちらに通うのかしら)
朝起きたら、愁月に申し出てみようと想いながら、琇華は牀褥(ベッド)を出た。すぐさま、待ち構えていた侍女達が「おはようございます皇后さま」と挨拶をして側に控える。
「お召し替えの仕度を致します」
「ええ、おはよう。今日も、よろしくね」
着替えを済ませて、いつも通りに、先祖への拝礼。最近では、瓊玖殿に居るはずの、皇帝への遙拝。それを済ましてから、先帝と皇帝に挨拶をする。そしてから、やっと朝餉だ。朝餉の席には、愁月も同席する。
「おはようございます、娘娘」
「ええ、おはよう、愁月」
挨拶してから、愁月の顔色が、酷く青ざめていることに気がついた。
「愁月、どうしたの? 具合が悪いようだけれど……」
「ええ……このところ、夜になると……、窓の外に、なにやら、気配を感じるのですけれど、おそるおそる窓を開くと、誰も居ないのです。それで、わたくし、幽鬼の類いが出たのではと……怖ろしくなってしまって」
青い顔をして、腕を抱いて震えているのが哀れで、琇華は、愁月の傍らに行った。
「本当に顔色が悪いわ。朝餉を食べたら、念のため太医に見て貰ってから、ちゃんと休んで頂戴」
「いいえ、大事在りません……、ただ、幽鬼だと思うと怖ろしくて……」
「幽鬼、ねぇ……」
そんなものが居るのかしら、と思った琇華だが、はた、と気がついた。
「愁月……妾の牀褥には、最近、槿花のはなが一輪置いてあるのだけれど……」
「ええっ! ……では、それは、幽鬼の仕業なのでは……?」
女二人、思わず手をとりあった。愁月の手は、酷く冷たく、しっとりと汗ばんでいた。そうとう、怖ろしいのだろう。
「嫌なことね……。幽鬼がその辺を歩いて居るだなんて」
「けれど、わたくし、今の皇太后さまが、皇后だった頃、こちらにお仕えしておりましたけれど、よく、幽霊の話は聞きました。だって、ここは、あまりにも、人が死ぬところですもの。
殿舎で首を括って死んだ妃嬪もおりますし、毒を盛られて死んだものもおりますわ」
「まあ……では、かつての妃嬪の幽鬼なのかしら……道士を呼んでお祓いして貰った方が良いのかしらね」
「多分、それよりも、女達の恨みのほうが……」
「なんて、怖ろしいのかしら……」
琇華と愁月が震えている横で、朝餉が運ばれて来た。
「皇后さま、古淑媛さま、どうぞ、粥が冷めぬうちにお召し上がり下さいませ。仮に幽鬼だったとしても、今は昼間ですから、幽鬼も出てこられません。それより、お早く。皇后さまは、今日も、城下へ行くのでしょうし……」
あきれ顔で言う瑛漣は、深々と溜息を吐く。
「ええ、そうね……妾は今日も城下へ参りますから、瑛漣、必ず、愁月を休ませて頂戴。こんなに青い顔をして居たら、倒れてしまうわ」
「畏まりました」
愁月は「わたくしだけ、楽をしているのは心苦しいのです」と小さく呟く。琇華は、「良いのよ。妾だって、体調が悪ければ、外へは出ないわ。無理をしない。ただそれだけよ」と言って、粥を口に運んだ。
胡麻の粥は、ねっとりとしたこくがあって、香ばしかった。
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