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47. 皇后たる妾が
しおりを挟む皇城へ向かう俥の中で、琇華は、学綺から、大至急、城へ戻る理由を聞いた。
「皇帝陛下が、毒を盛られたそうです」
「なんですって?」
琇華は、立ち上がり掛けて、ここが俥の中だと気がついて、ういた腰を降ろした。
「ちょうど、昼餉を召し上がった後、血を吐いて倒れたとか。今は、太医はじめ医官が付いているはずです」
「先帝陛下と、皇太后様に連絡は?」
「畏まりました。皇城へ到着しましたら、至急、手配します」
「ええ、お願いね。それで、陛下のご容態は、どれほどなのかしら?」
指が、震えてきた。指先が、震えて冷たい。皇帝が、死んでしまうかも知れないと思ったら、目の前が、真っ暗闇に閉ざされてしまいそうだった。だが、(嫌よ)と琇華は唇を噛んで堪える。
(絶対に嫌。……妾が、陛下を、絶対に死なせないわ!)
琇華は、心に固く誓って、気を落ち着ける。
「陛下のご政務は、どういうご予定かしら?」
「それは……毎日の政務は山積みでございますが……幸い、ここ数日は、大きな予定や行事はありません」
「では、政務の代行は、どなたが?」
「宰相がおりますので……宰相と。それと、皇弟殿下にも、おいで頂こうと思いますが……」
学綺は、琇華から聞かれるとは思わなかったのだろう。しどろもどろになりながらの答えだった。
「では、学綺。玉璽の代行は、皇后たる妾が行います。決済は、妾の所へ持ってくるように伝えなさい。妾で不満ならば、先帝陛下に出御をお願いします」
皇弟と、琇華は、あまり面識がない。信用出来るかどうか、今ひとつ、不明なところだった。ならば、皇帝の体調不良に乗じて、簒奪する可能性もある。
(玉座は、妾が守らなければならないわ)
そう、心に決めて、琇華はも瓊玖殿へと駆け込むのだった。
瓊玖殿へ来るのは、久しぶりのことだった。
なにやら懐かしい気持ちになりながら、琇華は、牀褥脇の卓子の上に、琵琶が置いてあることに気がついた。大分、練習をしていたのだろう、すり切れそうな琵琶譜も置いてあった。
牀褥の中、帳の奥には、太医たちが、必死で皇帝の看病をしているところだった。
「太医、陛下のご容態は?」
聞きながら、琇華は、皇帝の様子を見た。夜着一枚で、冠も髪も解いた、いつもの寝姿だったが、異常だった。
皇帝の象牙色の肌は、赤黒い蛇に巻き付かれたような、痣が浮き上がっていた。胸元から、肩口、顔に至るまで全身である。激痛が走るのか、皇帝は暴れて、問い若い医官たちが必死で押さえつける。その口元に、太医が、匙で薬を飲ませていた。
「こ……れは……」
「これは、皇后さま」
拱手しようとするのを琇華は制する。
「これが、毒なの?」
「はい……、おそらく、現在、陛下は、真っ赤に焼けた鉄を喉に流し込まれているように……内蔵が爛れておいでのはずです。なんとか、薬を飲んで頂いておりますが……」
太医の言葉は、歯切れが悪かった。
「最悪の事態があるということね」
琇華は、存外、冷え冷えとした気持ちで、そう呟いていた。手足は震えている。皇帝を、失うかも知れないという、途方もない恐怖だ。
「太医。薬は足りているの? それと、何か用意するものは? お部屋は暖めた方が良いかしら? 白湯が必要ならば、白湯を大量に作るわ。とにかく、やれることはすべてやります。必要なものは、どんな高価なものでも、用意するから言って頂戴」
「で、では……まず、お体が冷えておりますから……火鉢を……それと、身の内から、毒を出す為に……、薄い粥などあれば」
「作らせるわ」
「出汁は取らず、米を水で炊いただけのものをご用意下さい。それに、お体の汗を拭うものを。温かな湯と、手巾を大量に。毒を含んでいる汗ですので、一度つかったものは、捨てるほか在りません」
「大丈夫よ、そんなものならば、たんとあるわ。医官の手は足りていて?」
「実は……、ここにいるものしかおりません。ですので、交代のものが居なければ、次の薬湯を作るのにも……」
琇華は「なんとかするわ。この際だから、薬の扱いが出来る者ならば、誰でも良いわね?」と太医に念を押す。
そして、すぐさま、瓊玖殿を離れると、仕度を命じた。
「瑛漣! ……ありったけの白絹を手絹にして頂戴。玄溟殿の絹という絹を出します。人手が足りないようならば、愁月にも手伝って貰って頂戴。
それと、周おばさんに、出汁をとらないで、米から薄いお粥を、大量に作るように言いつけて。それと、太医たちと、玄溟殿、瓊玖殿の分の食事の仕度もお願い。これも、手が足りなければ、女官を使わして頂戴」
「けれど、皇帝陛下は、今後食事の仕度は……」
瑛漣が口ごもる。例の、絶縁宣言を気にしているのだ。
「構わないわ。妾の食事を受け取らないから、毒を盛られるのよ。だから、今後は、妾の好きにします」
医官の手伝いは、町の医者や薬師を召喚した。これは、門の衛士である彭機鏡に命じて、秘密裏に動いて貰う。
ありったけの火鉢と炭も用意して、皇帝の寝所の室温を上げる。
汗をかいた皇帝の身体を、拭うのだ。
そして、琇華は、実家、堋国へと文を走らせた。
『妾の化粧料として、五十万両、貸して下さいませ。
二年の内に、五十万両に、利子として一割上乗せして返済することを約束致します。』
皇帝不在がいつまで続くか解らないが、ここで、琇華が踏ん張っていなければ、毒殺犯の思うつぼになるような気がしたのだった。
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