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56. 愁月の願いと、幽鬼事件の顛末
しおりを挟む皇帝から久しぶりの召し出しがあった翌日。
皇后は、不気味なくらい、上機嫌だった。
肌つやも良く、もともと『黄金姫』などという呼び名で呼ばれていた皇后だが、眩いほどに光り輝いて居たのである。
(これは……昨夜は、素敵な一晩をお過ごしだったのね……)
地に足が付いていないような、危なげな足取りでいくものだから、愁月は、はらはらしてしまうが、側近の侍女達は気にした様子もない。
「皇帝陛下のご容態も良いことだし、今日から、また、街へ行こうと思うの。そろそろ、あなたの衣装が仕上がっていると思うから、一緒に行ってくれないかしら?」
皇后には、そう言われたが、愁月は、やはり、街が怖かった。掖庭宮の中は、今、皇后の力のおかげで、過ごしやすいが、市井に出れば、まだ、『古愁月』は、人々から嫌な目で見られる女だった。
兄は、先帝の寵妃と密通した、大罪人。
そして、自身は、『婚約者がありながら、皇帝と通じていた女』ということになる。
「すみません、娘娘、わたくしは……」
小さく呟くと、皇后は納得したのか「無理強いはしないわ。でも、衣装は受け取ってね?」と明るく切り返された。こういうときに、無理強いもせず、理由も問いたださない、この皇后を、愁月は心のそこから尊敬していた。
昨晩は、やっと皇帝と仲直りをしたのだろうが、その間、ずっと、泣きたい気持ちだったに違いない。
遠い異国からやってきたこの皇后は、味方も少ない。それでも、歯を食いしばって笑顔でいたのだろう。
「じゃあ、妾は、今日は街へ行くわね」
「はい……」
お気をつけていってらっしゃいませ……と、声を掛けようとした時、ずっと考えて居たことを、今こそ、言わなければならないと、愁月は思った。
ずっと考えて居たが、どうしても言葉に出来なかったのは、どこかで、皇后と皇帝の仲を心配していたからだろうと思う。
しかし、仲違いをした二人だが、こうして、再び結ばれたのだろうから、もはや、愁月が余計な心配をする必要も無いと、そう悟ったのだった。
「あのっ! お帰りになってからでよろしいのですが……、お話ししたいことがあります。少々、お時間を頂けませんでしょうか」
唐突に言い出した愁月を、皇后は、不思議そうに振り返った。
「急に……どうしたのかしら。妾は構わないけれど」
「ずっと、考えて居たことがあるのです。……どうしても、聞いて頂きたくて」
愁月は、拱手する。皇后は、愁月がなにを言いたいのか、よく解っていない様子だった。小首を傾げている。
「解ったわ。あなたがそう言うのでしたら、よほどの事なのでしょう。いますぐでも、妾は構わないけれど……あなたの方に、心の準備が必要なお話しなのかしら」
皇后は、多分、なにも解っていない。ただ、愁月の方が、追い詰められたような顔をして居るのだろう。
「はい……」と愁月は答えていた。「多分、わたくしの方が、心の準備が必要なお話しだと思います」
「それならば、帰ってから、ゆっくり聞くことにします―――なんだか、怖い気もするけれど、妾も、あなたに相談があったから、丁度良いわ」
それじゃあ、またあとで、と皇后は優雅に立ち去る。
床を引くほどに長々とした上衣は、美しい黄金色だった。他の者が着れば、品のない色に見えるだろうが、この皇后には、この上なく似合う。『黄金姫』などと揶揄されるが、高貴な生まれの上、心ばえもよい立派な皇后の姿に、愁月は、少しだけ、胸が軋むような気分になった。
愁月が考えて居たのは、掖庭宮を辞すことだった。
ここは、この上なく、居心地が良い。時折、皇后と皇帝の―――鴛鴦のような仲睦まじい姿に胸がちくりと痛むことも増えるのだろうが、この気持ちが、恋や愛のようなものではないことも、愁月自身がよく知っている。
皇帝に、情はある。だが、皇帝自身も、愁月に対しては、恋情よりは憐憫の気持ちの方を強く持っているだろうと思っている。
(わたくしのまえでは、絶対にしないお顔……)
蕩けるような、甘い眼差しを、皇后に送っていることに―――そして、そんな眼差しで見つめられていることに、二人は気付いていないが、それも、時間の問題だろうと思う。
(できるなら……)
愁月は思う。(わたくしは、その眼差しを、清延《せいえん》さまから受けたかった)
ただ、それだけだ。
兄と寵妃の件で、愁月の運命がねじ曲がったのだ。恨むならば、兄を恨むしかない。
そして、皇帝に一言、どうしても謝りたいと思って居た愁月の願いは叶った。ならば、もはや、ここに居る理由はなくなった。
(わたくしは、余生を、清延《せいえん》さまを弔いながら生きて行きたいわ)
どこか、髪を削いで、遠くの寺に入る。それが、愁月の望みだ。こんなことを言い出せば、皇后は、自身の為に愁月が身を引いたと思うかも知れないが、そんなことはない。
そして、愁月には、皇后が話したいことと言うのも、大方察しが付いていた。
愁月の産んだ皇子の処遇。そして―――新しい妃を迎えるなどの処遇についての話だろう。
(あんなに、愛されているのに……そんなことまで差配しなければならないなんて、酷いこと……)
そう思うからこそ、愁月は、誰よりも、琇華に幸せになって欲しいと祈るようになった。
第一、不憫ではないか。皇帝が壊した釵を、皇帝が直して贈ってくれたと、飛び跳ねんばかりの勢いで喜んでいた皇后だが、もともと、それは皇后の釵だったはずなので、皇帝からの贈り物というのは、なにか烏滸がましい。
だが、皇后は、それで満足して、不気味な笑い声を上げていたのだ。
(おかげで、幽鬼騒ぎを起こしてしまったわ……)
あれは、愁月も悪いとはおもうが、深夜まで、あんなふうに笑っていた皇后にも非はあるだろう。
(その上、わたくし、白い影を追って、夜着のまま走ってしまったし……)
はた、と気がついた。
不気味な声は、皇后のものだった。
では、あれは何だったのだろう? ―――あの、『白い影』は?
皇后は、既に市井へと下ったようだった。背中に、冷や汗をかいていた。嫌な予感がした。
愁月は、上衣を羽織って、外へと飛び出す。
「古淑媛さまーっ! どちらへおいでですか!」
背後から、侍女が追いかけてくる。
「あなたは、殿舎で待っていて! ……わたくしは、皇后陛下を追いかけます!」
白い影は、確かに、居た。
その前に、皇后が、『毎朝、槿花が置いてある』と言っていたことを思い出す。それは、確かに、皇后の閨に届けられた槿花なのだろう。犯人は、皇帝その人のはずだ。
そして、同じ頃、愁月も、幽鬼の存在を感じていた。
それは……皇帝ではない。別の人間だ。なぜならば、皇帝が、愁月の閨に来る理由がない。もし、寝所で閨事をしたいのならば、そう言って、皇后の目を盗んで交わるだけだ。
つまり――――。
(わたくしの所に来た幽鬼と、あの白い影は……おそらく、同一人物)
愁月は、白い影が消えたあたりへと向かう。掖庭宮は、広い。殿舎が十三もあるから、当然のことだ。いまは、妃がおらず、誰も使っていない殿舎。……藍玉殿と書かれている。その奥に消えたはずだった。
(もしかしたら、ここに、抜け道があるのかも知れない)
藍玉殿の奥に行った壁際に、下女達が、不浄なものを外へ出す為の通用口があるのを発見した。白い影は、おそらく、ここから、出入りしていたのだろう。
「……娘娘に、お知らせしなければ……」
踵を返そうとした、その時だった。
「おや、なにをお知らせするんです?」
口元に笑みを刻んだその人を見て、愁月の身体が震えた。
「なぜ……?」
掠れた声が、美しい朱唇から迸る。
「なぜ、あなたが、ここに居るのっ!」
それは、一瞬の出来事だった。その人物に腹を強打され、愁月は、意識が薄れていくのを感じていた。だが、男に抵抗できるとも思えない。姫君のように抱きかかえられたときには、怖気が駆け上がったが、薄れる意識の中で、この事態を、どうにかして伝えなければ、と愁月は焦る。
しかし、なにか……、伝えなければ……。
けれど、何にも、方法はない。
(いいえ、諦めてはならないわ……)
愁月は、薄れ行く意識の中で、精一杯のことをやった。靴を片脚だけ脱いで地面に落とす。気付かれているかも知れないとおもったが、誰かが、愁月が攫われたことに気付くように。
すこしずつ。
愁月は、指輪や腕輪などの装飾品を落とし続けていた。
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