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59. 隠されていた真実
しおりを挟む今日、琇華は、市井に出てくると言っていた。
(琇華……、琇華か、悪くないな)
上奏文に目を落としながらも、つい、琇華の姿を思い出して、漓曄は、口元が緩むのを止められなかった。
昨日、初めて、お互いの名前を呼び合った。交わるのは、そこそこに、明け方まで裸のままで睦み合って、互いの名前を何度となく呼び合った甘い時間を思い出してしまったのだ。
(あれは、満ち足りた時間だったな……)
本当は、いろいろと、琇華には謝りたいこともあった。それをうやむやにしてはいけないことも解っていたが、彼女の心が、自分にだけ一途に向いていると確信できたので、いまこそ、彼女に向き合って、ちゃんと、謝ろうと思う。
「……あの」
控えめに、側に控えていた宦官が申し出る。
「ん? なんだ?」
「恐れながら……。陛下、墨が、上奏文に落ちております」
拱手しながら言う宦官の言葉で、筆を持ったまま、にやにやしていたことに気がついた。筆先からは、ぽたぽたと墨が垂れて、上奏文を汚していた。
「これは……なんの……上奏だったかな」
「あいにくと、私は、存じ上げません」
一歩下がって、宦官は拱手して拝礼する。
(こういうときは、あいつが、意外に便利なんだよな)
漓曄は、仮面の側近、洙学綺の姿を思い出した。口は悪い。皇帝を皇帝とも思って居ないような口ぶりである。仕事は、大方怠けているのだが、それでも、こういうときは、
『ああ、その件でしたら、水路の水門開閉時間についての奏上ですよ。上流の村が、下流の村と、揉めているんです。今年は、この地方は、中々、雨が降らなかったですからね』
などと、上奏以上のことを返答するのだ。途中、虫のように蔑まれることもあるが、返答は完璧だった。
そのやりとりが、鬱陶しくないことが、漓曄が学綺を好んで居る、もっとも大きな理由だったが……。
「学綺は、皇后と共に城下へ行ったのだったな?」
「はい……多分」
「多分?」と漓曄は聞き返した。「多分とはなんだ」
「いえ、……あの方は、あまりにも、気ままですから……、皇后陛下に供奉しているとは、私には、到底思えず……。おそらく、毎日、配られる饅頭ほしさに城下に行くだけではないかと思っていました」
なんとも、辛辣な言葉だと、漓曄は思うが、なにか、胸の底がひやりとするような、嫌な予感がある。
「たしかに、饅頭は貰っていたようだよ」
それは、漓曄にも自慢された。漓曄のほうは――自業自得とは雖も――昼餉を摂っていないというのにである。
(洙学綺……)
漓曄は反芻した。
名門、洙家の当主。随分若い当主だが、これは、一家が事故に遭って、なんとか学綺だけが生き残ったからだと聞いている。留学先の鑠国からの帰還途中で事故に遭い、半顔は、無残に潰れたのだという。
漓曄は、学綺がここに配属されるまでの経歴を記した、入宮時の経歴書を持ってくるように、宦官に申しつけた。
嫌な予感がした。
漓曄の元に、学綺が来たのは二年前。愁月を、手元に引き取ってから、間もない頃だった。
(そもそも、私の所に側近が来るという話など、なかったはずだ……)
それが、名門洙家の生き残りという形で、入り込んだ。どうやって入り込んだのかは、よく解らない。その当時、漓曄は皇太子だった。そして、堋国による、『密通事件』の介入もなかった。
たしかに、『密通事件』はあった。だが、堋国が介入してきたのは、それから、二年もたったあとだ。そして、皇帝は譲位を余儀なくされ、そして、漓曄が即位するに至る。
不幸な方にばかり転がっていったのと、堋国が絡んでいたから、気がつかなかったが―――もしかしたら、これは……。
「陛下、お持ちいたしました」
宦官が捧げ持っているのは、洙学綺の経歴書と、洙家の系図だった。
洙学綺。蓮花十年生まれ……。
そこからは、洙家の嫡男として生まれ、学問を学び、鑠国への留学を果たした旨が記載されていた。しかし、その両親は、鑠国からの帰宅途中に、事故に巻き込まれて死ぬ。
一人残った洙学綺だったが、顔が、無残に潰れたのだという。
それは、漓曄の知る、洙学綺だった。念のため、系図を開いてみる。游帝国では、主な貴族――名字に『さんずい』をもつ貴族――の場合、系図は、国が管理することになっている。
系図の改竄などをさせない為の政策である。
何気なく、開いた巻子本には、意外な言葉が記載されていた。
洙学綺。蓮花十八年生まれ……。
「なんだ……これは……」
皇帝は、掠れた声で、呟くしか出来なかった。
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