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第一章 珍奇で美味なる菓子
軟糖飴《ソルマ》の真贋と雑琉
しおりを挟む男は、二十歳そこそこに見える。年若く、体つきもしなやかだが、薄ぺったらにも見えたので、どこか頼りない。
朱色の衣服は、色とりどりの刺繍が施してある。この豪華な衣装は、礼装のはずだった。そして、紋様に瑞鳥などが入っており、金糸銀糸で刺繍していることを見ても、おそらく、身分の高い青年に違いない―――と、娃琳は考える。
娃琳は、懐から手帳を取り出した。そして、おもむろにページをめくる。そこには、衣装について纏めた項目があった。
「……朱色の衣装。刺繍を施したもの。瑞鳥のもので、同色の帽子に、房飾り。裙子姿……ということは、あなたは、西域との境界、天空の都、雑琉から来たのか?」
雑琉、という娃琳の言葉を聞いて、男が目を丸くした。
「よく……、気がついたな。この国に入ってから、俺は、蛮族扱いはされたが、雑琉出身とは、誰にも言われなかった」
雑琉とは、言葉が異なるはずだった。
だが、男は滑らかな、大陸語を使っていた。大陸語は、もともと、堋国の宗主国である游帝国の言葉だ。男の出身である雑琉とは、かなり言葉が違うはずだった。
雑琉では、西域の言葉が基礎となって居るのだ。
「あなたが、達者に大陸語を扱うからだろう。……だが、商品を勝手に扱うのは感心しない。まさか、雑琉に、そういう流儀があるわけではないだろう?」
「当たり前だ。我が故郷を、愚弄するつもりか!」
声を荒げた男に、娃琳は、「そういうつもりはない」と淡々と告げる。「お前、名は?」
娃琳の問い掛けに、一瞬、男は動きを止めた。そして、ややあってから、答える。
「り……凌河鴻。凌河は、姓だ。そういうお前は、なんなんだ? 第一、俺は、お前に、顔を汚されたんだ。酷い侮辱を受けたのだぞ!」
今更思い出したように、鴻は騒ぎ出した。まだ、顔にべったりと餡を付けたままだったので、気の毒に思った娃琳が、彼の頬を手巾で拭いてやった。
「これで、綺麗になったよ。済まなかったな。先ほどは、菓子でも投げつけなければ、あなたが止まらないと見たんだ。……失礼した。私は、燕娃琳。少々、薹が立っているが、先王陛下の第十八王女で、現在は、後宮大書楼の、司書を仰せつかっている」
「あんたが、王女?」
鴻は、素っ頓狂な声を出しながら、娃琳を指さして爪の先から頭のてっぺんまで、観察していた。
「随分、雑琉の男は、不躾なんだな」
娃琳が、苦笑すると、鴻は「それは、済まないが……本当に、姫なのか?」と疑わしそうに聞く。
「まあ、あなたが疑うのも、仕方がない。私はこの通り、姫と聞いて連想するような美女ではないし、こんな、地味な服を着ているからな。だが、証拠ならば、この佩玉がある」
帯には、身分を示す佩玉が付けてある。紅水晶で作られた佩玉だ。そこには、『公主府 娃琳公主』と刻まれている。
娃琳が男にそれを見せると、男は、一度、片膝を付いて拱手した。堋国では、両膝を付くのが正式だが、こういう所も、雑琉とは違うのだろうと娃琳は納得したが、明日、大書楼に行ったら、雑琉の礼儀作法については調べておこうと心に決めた。
雑琉の礼儀作法の本ならば、百年ほど昔の本が残っている。
「これは……公主様とはいざ知らず」
「いや、拝礼を止めてくれ。私は、拝礼されるような、高貴な立場でもない。……ただの、大書楼の司書だよ。
それにしても、一体、あなたは、なにを、この店と揉めていたのだ?」
娃琳が聞くと、鴻は、言い辛そうに口ごもって、顔を明後日の方に向けながら、答えた。
「……『軟糖飴』が」
『軟糖飴』は柔らかい飴である。本来は、乳と牛酪、砂糖を煮詰めて作る根気の要る菓子だった。たえず、木べらで鍋底からかき混ぜていなければならないのだ。そうやって煮詰めたモノに、カラカラになるまで良く煎った木の実を混ぜこんで、固まるまで待つ。それを切り分けたのが、軟糖飴だった。
但し、本来は、と註釈が付く。
「あなたは、この軟糖飴が、本来の作り方をされていないことに、憤ったと言うことかな?」
娃琳は問い掛けた。そして、再び手帳を見遣る。軟糖飴について、何か書いてあるか、と思ったら、確かにあった。
「軟糖飴は……、もともと、雑琉近辺の地域で、祭祀の時に用いられていた菓子と、『西域大紀行』という書物に書いてあったようだ」
『西域大紀行』は、仏典を求めて西域に旅した僧侶が、周辺諸国について書き残した貴重な旅行記である。游帝国の従属国である、西域近くの国々を旅した時に見聞きした話が掲載されている。
そこに軟糖飴の記載が、あったはずだった。
「この軟糖飴は、水飴に、牛乳と牛酪を混ぜて作るまがい物だ。俺たちは、この軟糖飴を作るのに、祈りを捧げながら、三日掛けて、作るんだ。それを、こんなやり方で作られては、堪らない!」
「だって……三日も煮詰めてたら、炭代は掛かるし……それに、味はそんなには変わらないわよ? ……早く作れる方が、便利じゃない」
店の女主人が口を挟んできた。
娃琳は、うむ、と唸る。女主人の主張も、よく解る。なぜなら炭代や時間を惜しんで、商品を作れば、その分、安価に提供できる。それに、作る労力も、遙かに掛からないだろう。だが、鴻の言い分も解る。
これは、鴻たち、雑琉の民にとって、大切な祭祀に使う、特別な菓子なのだ。
その伝統を踏まえているのならば良いが、伝統を踏みにじるようなことをしてはならない。
「そんな言葉で片付けるなっ!」
いきりたって叫んだ鴻を「まあ、まて」と手で制した。
「あなたは……その菓子が、軟糖飴を名乗らなければ、怒る理由はなくなるな?」
「まあ……」
娃琳の申し出に、鴻は、渋々返事する。
「では、決まりだ。今後、従来の作り方以外のものは軟糖飴を名乗れないように、奏上する。女主人殿、あなたも、それで良いかな?」
娃琳に睨まれた女は、「はい……」と渋々、頷いて、軟糖飴と書かれた札を、ひっくり返した。
「これは、人気の菓子だったのに……」
女主人が、ぶつぶつとぼやくのを聞いて、鴻が眉を吊り上げたが、娃琳が制する。
「本物の軟糖飴を作った方が、人気が出るだろう。雑琉からの客人が、軟糖飴と認めるような品を作れば、おそらく、国中から注文が入る。……手間暇を掛けて作られた、良いものは、高価であっても求めるものは大勢居る」
娃琳の言葉を聞いた女主人は「じゃあ、今度は、ちゃんとした軟糖飴を作ってみます」と、作るのか作らないのか解らないような答えを返した。
そして、娃琳は、鴻に向いた。
「さて、雑琉からのお客人。あなたは、なぜ、堋へ? 差し支えなければ、少々、聞きたいことがある。少し時間を貰えまいか」
もしかしたら、雑琉の菓子に、娃琳が求めるような、美味で珍奇な菓子があるかも知れない。その、一心だった。
鴻は驚いていたが、やがて口を開いた。
「ああ、俺も、聞きたいことがある。……是非、話がしたい」
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