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第一章 珍奇で美味なる菓子
酒菜館にて
しおりを挟む話をするだけならば、娃琳は、自分の邸として賜って居る『公主府』に鴻を連れても良かったが、彼を伴って向かったのは、酒菜館だった。
その名の通り、酒と料理を出す店だ。
馴染みの酒菜館につれると、すぐに、奥まった個室に通してくれる。この場所のほうが、お互いに、話しやすいように思えたのだった。個室は、酒菜館の外れにある。離れに小さな四阿風の建物が建っており、そこが個室になって居るのだった。個室はその分料金が上乗せされるので、内装は、美しく整えられている。
黄金宮に比べれば質素だが、娃琳の公主府の部屋よりは優美だろう。
朱塗りの飾り窓に、紗を張った衝立。足の高い卓子は、側面に彫刻が施された螺鈿のもので、これだけでもそうとう値が張る。柱にも、細かな吉祥模様が彫り込まれていて、華やかな場所であった。二人で使うには広々とした個室だった。
年若い男を個室に連れ込んだことについては、人に見つかるとまずそうな気もしたが、公主府で話をするより、良いだろうと、娃琳は思う。
(公主府に行けば、侍女がいるからな……)
大書楼で司書をして居るときは、侍女は付かない。働いているのだから、当然である。しかし、公主府に戻れば、すぐに『第十八王女』という立場の姫に相応の侍女が、娃琳の世話をかいがいしく行うのだ。
「先ほど、顔を汚した詫びだ。ここは、私が持つから、気にせずに、飲み食いしてくれ。……私は、あまり食べないが、気にしないでくれ」
「それは有り難いが……あなたが食べなかったら、俺だって食べづらい」
ムッとした表情で、鴻は言う。
改めて鴻を見遣る。精悍な顔をして居た。切れ長で、細い目元は、涼やかだが、意志の強そうな眼差しだ。薄い身体付きだと思ったが、ほどよく筋肉はあるのだろう。良く日に焼けた、肌をしていた。
黒髪は、首の後ろで一つに纏めて居る。それが腰にまで届くほど長い。堋国を初めとする大陸の諸国は、冠を付けるときに、一緒に髪を結い上げるが、雑琉には結い上げる風習はないようだった。
娃琳は、想像した。雑琉から来たこの若者が、馬を走らせたとき。きっと、この黒い髪は、宙を自由に、たなびくのだろう。芽が摘めるような蒼穹の中、それてとても美しい光景に違いない。
「実は、私は、食べ物の味を一切感じない。味覚がないんだ。それで、ものを食べるのは、私には苦痛なんだ」
娃琳の告白を聞いた鴻は、「食べ物の味を感じない?」と聞き返す。
「ああ、感じない。一切」
「味覚音痴……というのではなく」
「ああ。全く駄目だ……昔は、感じていたこともあったようだが」
「そうか」
あからさまに気落ちしたような顔をして、鴻がうなだれる。なにも、そんなに我が事のように気落ちせずとも良いだろうと思った娃琳だが、鴻が食べづらいのならば仕方がない、と名物料理ばかりを注文してから、切り出した。
「あなたは、あの、まがい物の軟糖飴に憤っていた」
「えっ? ああ」
「あなたは長楽、大分、料理に詳しいのだろうと思う。実は、私は、今、『珍奇で美味なる菓子』を探さなければ、結婚をしなければならないと言われて、困っているのだ。
是非、あなたの力を借りたい」
娃琳は、拱手して、鴻に願った。
「菓子? ……なんで、そんなモノを探しているんだ? その……味覚も、解らないのに?」
「そう。味覚も解らないのに探せというのだから、おそらく、兄王は、私に、結婚しろと言って居るのだと思う」
結婚へのふんぎりがつかないだろうと思って、今回のような、無茶な提案をしたのだと、娃琳は心得ている。
「結婚は、嫌なのか?」
「さあ、解らない……あなたくらい若ければ、まだ、前向きに考えられたかも知れないが、私は、来年三十になるんだ。今更、結婚と言われても……子を授かるとも思えないし、そうしたら、結婚相手にも荷物なだけだろう」
女に求められるのは、子供を産んで育てることと、家事労働だろう。校舎については、娃琳の結婚相手と予定されている人物が、元公主に家事を望むとも思えないので、ないとしても、子供は必須だと考えて良い。
「三十には見えないけどな」
「まだ二十九!」
「一年位同じだろう? それに、二十九と三十で、そんなに変わるかな」
「だから、まだ若いあなたには解らないだろうが……重いよ。一年は」
娃琳は、運ばれて来た酒を飲み干す。酒も、味を感じないが、後味だけ、ほんの少し、喉がかーっと熱くなる感ずがする。
「酒、強いね……」
「味を感じないからな。……それで、あなたは、なぜ、わざわざ雑琉から、湖都へ?」
娃琳は、鴻に酒を注いでやりながら聞く。
鴻は、一瞬迷ったようだが、「実は」と切り出した。
「……菓子を探してる」
「え? あなたも、菓子を?」
驚いて聞くと、こくん、と鴻は頷いた。その仕草は、酷く子供っぽく感じた。
「俺が探しているのは、『真実を告げる菓子』だ。雑琉の老巫女がいうには、堋国の大書楼ならば、それの作り方が解るはずだと言っていたが、俺は、なんとしても、『真実を告げる菓子』を作って雑琉へ帰らなければならない」
興奮したのか、鴻は、ダン! と卓子を叩いた。振動で、酒器が踊る。手で押さえたので零れはしなかったが、鴻は、思い切ったような眼差しをしていた。
「さきほど、あなたは大書楼の司書をしていると言った。……どうか、俺を助けてくれ」
鴻は、椅子を降りて床に身を擲った。
「ちょっと、……そんなことをされても困る」
「あなたの探しているという珍奇で美味なる菓子を探すのも、手伝おう。だから、俺も手伝ってくれ!」
願ったり叶ったりかも知れない、と娃琳は、内心、思いつつ、どうするべきなのか、しばし思案していた。
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