大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

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第一章 珍奇で美味なる菓子

大書楼の中へ

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「そこな女官、なにか、あったのか?」

 娃琳ゆりんの問い掛けに、女官は拱手しながら答える。一瞬、女官が、鴻の爪先から頭のてっぺんまでをじいっと、値踏みするように見つめたので、娃琳は、一応断っておく。

「この方は、私の客人だ。国王陛下にも許可を得て、大書楼に立ち入らせることになった。その他の場所には立ち入らせないので、安心しなさい」

 かしこまりました、と受けてから女官は淀みなく答える。

「大長公主様……実は、現在お里帰り中だった、月季げっきさまが、急に体調を崩されてお倒れになりました」

 月季―――は、先帝の十七王女だ。十八王女である娃琳とは、三つほど年が離れているが、こちらは、娃琳の母、いん妃の腹ではなく、皇后の腹であるので、嫁いだあとも、後宮と交流があるのだろう。

「姉上が……っ? 一体何故? 太医は?」

「今、手配しております……それでは、大長公主様、失礼を」

「ああ、忙しい中を引き留めてすまなかった」

 立ち去っていく女官の後ろ姿を見送りながら、娃琳は、姉のことを思い浮かべていた。

 華やかな容姿の皇后の特徴を色濃く受け継いだ、華やかな顔立ちをしていた。ただ美しいだけではなく、娃琳のような末席の妹にも、良く気遣ってくれて、分け隔てなく接してくれる、優しく、そして聡明な方だった。

 婚家であるしゅ家は、国でも一二を争う名家。夫は、十も年上の、現宰相だが、こちらも、なかなかの美丈夫で、賢そうな人物だったはずだ。

「姉上のことは心配だが、私に出来ることは、今はないだろう……。さあ、鴻。大書楼へ向かうよ」

 大書楼の入り口へと歩き出した娃琳の背中に、「ねえ、姉上殿なんでしょう? 出来ることはないかも知れないけど、お見舞い! お見舞いくらい、行っても良いんじゃない?」と鴻が呼びかける。

「いや、かえって、負担になるといけないから、少し状況が解るまでは……」

 言いながら、娃琳は不安になった。こんなことを言うのは、情のない、冷たい女だと思われるだろうか……ということだった。


『お前は、本当に出来の悪い子ね!』


 頭の奥で、母親の声が谺して、娃琳はそれを追い払うように頭を横に何度も振った。

「ゆ、娃琳?」

「ん? ああ……鴻か……。大丈夫、別に、正気を失ったわけではないから、安心してくれ。ただ……思い出したくもないことを思いだして、頭の中から追い出していたのだ」

「お、おう……そうか。ならば、いいが……顔色が悪い」

 鴻が、娃琳の顔を鼻先が触れそうなほど近くで覗き込む。

「わっ! ……っち、近いっ!」

 驚いて後ずさろうとすると、先に、鴻が引いた。

「そんなに驚かれるとは思わなかった」

「驚くよ! ……普通は、驚く。いきなり頭を振り回してるから、何事かと思ったよ」

「それを言うなら……」

 顔が近い方が驚く、と言いかけて娃琳は黙った。

「なに?」

「いや、何でもないよ。早く、大書楼へ入ろう」




 大書楼の入り口には、宦官が立っている。

 娃琳の姿を認めると、拱手して「どうぞ司書様」と塔への立ち入りを認める。既に、国王から伝達でもあったのか、鴻が立ち入ることについて、なにも問われなかった。

 大書楼の中は、キンと冷えていて、少々、かび臭い。

「その格好では、寒いかも知れないな」

 娃琳が鴻に言う。

「いや、意外に、立領りつりょうだから、温かいよ。それを言うなら、あなたのほうこそ、軽装に見える」

 娃琳は、官女と言って過言でないような、地味な衣装だ。直領ちょくりょう(真っ直ぐの襟もと)の、雪柳のような白の上襦じょうじゅに、空色の下裳。帯は、胸の頂点の所で止めているがこれも簡素なものだった。そこに、筒袖の短衣を、上衣代わりに羽織っている。色は漆黒なので、非常に地味だし、色味も寒々しい。

「そうかな? 私は、これくらいが良いんだ。なにせ、仕事で、この塔中を歩き回らなければならないからな。一日、何十往復も行ったり来たりだよ」

 塔は、真ん中がまるく刳り貫かれたような形をしている。階段が壁際に作られていて、壁一面は書棚だ。そのほかに、各階には部屋があり、そこには書架が置かれているらしい。

「凄いね」

雑琉ざいるには負けると思うよ……だが、大陸では、一番だと自負している。さあ、あなたの、目当ての本の場所に行こうか」

 娃琳は、歩き出した。

「どこに何があるか、この数、全部覚えてるの?」

「おぼろげに。……ただ、階層ごとに、わけて保管してあるから、大体、迷いはしないよ。最上階が、この国の法律に関わるもの。そこから下に、地図、歴史書、仏典、医学に関する書物、兵法書、歌舞音曲に関するもの、その下にあるのが、各地の食物に関するものだ。ここに、調理方の書かれた書物もある」

「すごいな……」

「ここには、機密に当たるような本は、実は存在していない」

 出し抜けに娃琳は言った。

「俺が、機密ほしさに忍び込んだとでも?」

 鴻は、いささか、ムッとしたようで、眉を顰めている。その歪んだ顔を見て、娃琳は、初めて、鴻が整った顔立ちをしていることに気がついた。肌の色は、堋国のものよりも、少し白いような気がする。そして、陶磁器のように、肌が滑らかで美しい。

 娃琳のほうは、連日の夜更かしが祟って、酷く荒れているので、急に気恥ずかしくなった。

(さっきは、に、あんなに接近されたのか)

 鴻は、娃琳の肌の状態などに興味は無いだろうが、もし、あったとしたら、幻滅されるだろう。

「念のためだよ。……昔、ここに来た、ゆう帝国の皇太子にも、同じ事を言ったよ。を入れるときには、そういう決まりになっている。私たちは、ここの書物を守らなければならないからね」

「游帝国の皇太子……」

「今の、仙花せんか女帝のご夫君ふくんだよ。若い頃、堋国に留学していたんだ」

 へぇ、と鴻は呟く。それ以上、娃琳は語らずに、階段へ向かった。


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