14 / 43
第一章 珍奇で美味なる菓子
大書楼の中へ
しおりを挟む「そこな女官、なにか、あったのか?」
娃琳の問い掛けに、女官は拱手しながら答える。一瞬、女官が、鴻の爪先から頭のてっぺんまでをじいっと、値踏みするように見つめたので、娃琳は、一応断っておく。
「この方は、私の客人だ。国王陛下にも許可を得て、大書楼に立ち入らせることになった。その他の場所には立ち入らせないので、安心しなさい」
かしこまりました、と受けてから女官は淀みなく答える。
「大長公主様……実は、現在お里帰り中だった、月季さまが、急に体調を崩されてお倒れになりました」
月季―――は、先帝の十七王女だ。十八王女である娃琳とは、三つほど年が離れているが、こちらは、娃琳の母、尹妃の腹ではなく、皇后の腹であるので、嫁いだあとも、後宮と交流があるのだろう。
「姉上が……っ? 一体何故? 太医は?」
「今、手配しております……それでは、大長公主様、失礼を」
「ああ、忙しい中を引き留めてすまなかった」
立ち去っていく女官の後ろ姿を見送りながら、娃琳は、姉のことを思い浮かべていた。
華やかな容姿の皇后の特徴を色濃く受け継いだ、華やかな顔立ちをしていた。ただ美しいだけではなく、娃琳のような末席の妹にも、良く気遣ってくれて、分け隔てなく接してくれる、優しく、そして聡明な方だった。
婚家である朱家は、国でも一二を争う名家。夫は、十も年上の、現宰相だが、こちらも、なかなかの美丈夫で、賢そうな人物だったはずだ。
「姉上のことは心配だが、私に出来ることは、今はないだろう……。さあ、鴻。大書楼へ向かうよ」
大書楼の入り口へと歩き出した娃琳の背中に、「ねえ、姉上殿なんでしょう? 出来ることはないかも知れないけど、お見舞い! お見舞いくらい、行っても良いんじゃない?」と鴻が呼びかける。
「いや、かえって、負担になるといけないから、少し状況が解るまでは……」
言いながら、娃琳は不安になった。こんなことを言うのは、情のない、冷たい女だと思われるだろうか……ということだった。
『お前は、本当に出来の悪い子ね!』
頭の奥で、母親の声が谺して、娃琳はそれを追い払うように頭を横に何度も振った。
「ゆ、娃琳?」
「ん? ああ……鴻か……。大丈夫、別に、正気を失ったわけではないから、安心してくれ。ただ……思い出したくもないことを思いだして、頭の中から追い出していたのだ」
「お、おう……そうか。ならば、いいが……顔色が悪い」
鴻が、娃琳の顔を鼻先が触れそうなほど近くで覗き込む。
「わっ! ……っち、近いっ!」
驚いて後ずさろうとすると、先に、鴻が引いた。
「そんなに驚かれるとは思わなかった」
「驚くよ! ……普通は、驚く。いきなり頭を振り回してるから、何事かと思ったよ」
「それを言うなら……」
顔が近い方が驚く、と言いかけて娃琳は黙った。
「なに?」
「いや、何でもないよ。早く、大書楼へ入ろう」
大書楼の入り口には、宦官が立っている。
娃琳の姿を認めると、拱手して「どうぞ司書様」と塔への立ち入りを認める。既に、国王から伝達でもあったのか、鴻が立ち入ることについて、なにも問われなかった。
大書楼の中は、キンと冷えていて、少々、かび臭い。
「その格好では、寒いかも知れないな」
娃琳が鴻に言う。
「いや、意外に、立領だから、温かいよ。それを言うなら、あなたのほうこそ、軽装に見える」
娃琳は、官女と言って過言でないような、地味な衣装だ。直領(真っ直ぐの襟もと)の、雪柳のような白の上襦に、空色の下裳。帯は、胸の頂点の所で止めているがこれも簡素なものだった。そこに、筒袖の短衣を、上衣代わりに羽織っている。色は漆黒なので、非常に地味だし、色味も寒々しい。
「そうかな? 私は、これくらいが良いんだ。なにせ、仕事で、この塔中を歩き回らなければならないからな。一日、何十往復も行ったり来たりだよ」
塔は、真ん中がまるく刳り貫かれたような形をしている。階段が壁際に作られていて、壁一面は書棚だ。そのほかに、各階には部屋があり、そこには書架が置かれているらしい。
「凄いね」
「雑琉には負けると思うよ……だが、大陸では、一番だと自負している。さあ、あなたの、目当ての本の場所に行こうか」
娃琳は、歩き出した。
「どこに何があるか、この数、全部覚えてるの?」
「おぼろげに。……ただ、階層ごとに、わけて保管してあるから、大体、迷いはしないよ。最上階が、この国の法律に関わるもの。そこから下に、地図、歴史書、仏典、医学に関する書物、兵法書、歌舞音曲に関するもの、その下にあるのが、各地の食物に関するものだ。ここに、調理方の書かれた書物もある」
「すごいな……」
「ここには、機密に当たるような本は、実は存在していない」
出し抜けに娃琳は言った。
「俺が、機密ほしさに忍び込んだとでも?」
鴻は、いささか、ムッとしたようで、眉を顰めている。その歪んだ顔を見て、娃琳は、初めて、鴻が整った顔立ちをしていることに気がついた。肌の色は、堋国のものよりも、少し白いような気がする。そして、陶磁器のように、肌が滑らかで美しい。
娃琳のほうは、連日の夜更かしが祟って、酷く荒れているので、急に気恥ずかしくなった。
(さっきは、これに、あんなに接近されたのか)
鴻は、娃琳の肌の状態などに興味は無いだろうが、もし、あったとしたら、幻滅されるだろう。
「念のためだよ。……昔、ここに来た、游帝国の皇太子にも、同じ事を言ったよ。部外者を入れるときには、そういう決まりになっている。私たちは、ここの書物を守らなければならないからね」
「游帝国の皇太子……」
「今の、仙花女帝のご夫君だよ。若い頃、堋国に留学していたんだ」
へぇ、と鴻は呟く。それ以上、娃琳は語らずに、階段へ向かった。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
【完結】孤高の皇帝は冷酷なはずなのに、王妃には甘過ぎです。
朝日みらい
恋愛
異国からやってきた第3王女のアリシアは、帝国の冷徹な皇帝カイゼルの元に王妃として迎えられた。しかし、冷酷な皇帝と呼ばれるカイゼルは周囲に心を許さず、心を閉ざしていた。しかし、アリシアのひたむきさと笑顔が、次第にカイゼルの心を溶かしていき――。
氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁
瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。
彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
メイウッド家の双子の姉妹
柴咲もも
恋愛
シャノンは双子の姉ヴァイオレットと共にこの春社交界にデビューした。美しい姉と違って地味で目立たないシャノンは結婚するつもりなどなかった。それなのに、ある夜、訪れた夜会で見知らぬ男にキスされてしまって…?
※19世紀英国風の世界が舞台のヒストリカル風ロマンス小説(のつもり)です。
つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました
樹里
恋愛
社交界デビューの日。
訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。
後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。
それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる