大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

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第一章 珍奇で美味なる菓子

四阿での語らい

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 粥の食べ過ぎで、腹から、ちゃぽんと音がしそうだった。

 客人に恥を欠かせないように振る舞うのは、主人の務めだ―――ということで、娃琳ゆりんは、姉の侍女である彩瑶さいようがお替わりを恥ずかしがらないように……と、都合五杯の粥を食べることになった。

 今は、彩瑶には湯を使って貰っているが、娃琳は、彩瑶がもたらした、姉の状況を聞くに、衝撃を受けていた。

 勿論、婚家で、辛い思いをする女が居ることは、頭では―――知識では、知って居た。けれど、自分の姉が、そういう、過酷な状態に置かれているとは思ってもみないことだった。

(姉上は、皇太后様のお腹の姫だぞ……?)

 現在の王とは、同母妹である。

 姉が窮状を訴えれば、朱家に罰が下されるとは思わないのだろうか。それ以上に、生まれた子が女の子だったと言うだけで、そこまでされるというのが、怖ろしい。

 娃琳は、内院にわ四阿あずまやで酒杯を傾けながら、溜息を吐いた。

(姉上も、結婚して、幸せにやっていると思って居たんだがな……)

 こうなると、結婚すること自体、幸せなこととは思えなくなってくる。むしろ、新たな不幸を呼ぶだけではないか。

 空になった酒杯に、手酌で酒を入れようとすると、四阿に鴻が近づいて来るのが解った。

「出しゃばった」

 鴻は、さっきのやりとりで、言い過ぎたことを後悔しているようだった。

「いや、鴻が、ああ聞かなければ、彩瑶は、口を割らなかった。そうしたら、私は姉上を婚家へ返していたよ。だから、私に、ちゃんと言ってくれて有り難かった。
 あの彩瑶と姉上も、恥だとは思っただろうが……以降、私が―――大長公主として、二度と朱家に関わらせないようにすれぱ、良いと思って居る」

 娃琳は、鴻を招いて、ながいすに座るよう、勧める。鴻は、娃琳の隣に座った。

 酒杯は一つしか用意していなかったので、

「すまないが、これで」

 と口元だけ拭いて、碧瑠璃へきるりの酒杯を手渡す。

 そこへ、西方から伝わった葡萄酒ぶどうしゅを注いだ。

「へぇ、葡萄酒か」

「なかなか、美味い。……黄酒(米で作った酒)より、優しい感じだな」

雑琉ざいるでは、葡萄酒は飲まないのか?」

「ああ……そういえば、飲まないな。葡萄も、あまり見かけない。大抵、白酒(蒸留酒)か、乳酒とかだな」

「乳酒?」

「ああ、乳を発酵させて作った酒だ。俺は好きだが……旅人は、苦手のようだった。雑琉ざいるでは、乳を使った食品も多いんだ。乾酪チーズ牛酪バターなんかは、なんとも美味いんだが」

乾酪チーズならば、たまに、こちらでも手に入るが……使ったことはないな」

 娃琳は、市場の様子を思い浮かべる。ほう国以外の場所から来た品を扱う通りでは、香辛料や珍しい茶などが手に入る。そこで、時折見かけたことがあるが、使ったことはない。つまり、食べたことはない。

牛酪バターみたいな感じなのか?」

 娃琳は、かろうじて、牛酪バターは食べたことがある。料理人が、手に入れたと言うことで、(パイ)を作るとき、本当は、油を使うが、バターを入れてみた。乳っぽい風味は悪くなかったが、仕上がりが、べったりとなってしまったのが残念だった。

 は、歯触りがサクサクしているという意味なので、べったりしていると、もはや、ではない。

「まあ、牛酪バターには近いかも知れないな。というか、色々な種類があるんだ。水牛の乳で作った物もあるし、山羊の乳で作ったものもある。本当に、色々だよ」

 鴻は、一気に葡萄酒を飲み干す。

 酒杯を娃琳に返して、そこに、葡萄酒を注いだ。

「姉上のことと、書物のことで……とにかく、兄上に奏上しなくては……」

「うん。……なあ。姉君の、夫って、どういう人なんだ?」

 鴻が聞く。つまみに用意していた、干し葡萄を一つ摘まんで口に放り込んだ。

「姉上より十も年上の、宰相だよ。……そもそも、姉上が降嫁したのが、二十五くらいの時で、そこから、十年ちかく子供が出来ないのに、宰相は、妾も取らなかったらしい。まあ、これも、体裁だの何だの言う話だろうが……、普通の男なら、妾の一人位もつだろうにな」

 あっけらかんと言いながら、娃琳は、葡萄酒を口に含む。そんな娃琳を、鴻は、信じられないものを見るような目つきで、じっと見ている。

「なんだ?」

 娃琳が、理由を問うと、鴻は、溜息を吐いて、すこし、娃琳の指に手が触れるほど、身を寄せてきた。

「鴻? ……近いぞ?」

 がっくりと、鴻はうなだれる。

「娃琳は……、もう少し、情緒というものを勉強した方が良いと思うけど」

「情緒……?」

 意味がわからなかった。「なぜ、鴻に、そんなことを言われなければならない?」

ほう国と雑琉ざいるでは、かなり文化が違うから仕方がないのかも知れないけど……、少なくとも、雑琉では、一人の男には一人の女しかつがうことは出来ない。
 雑琉は、おおとりに守護された国だ。だから、鳳のように、生涯、一番ひとつがいだけを大切にする。勿論、娃琳の姉上のように、不幸な女も沢山居るだろう。だけど、外に別の女を作ることはないよ」

「そうなのか。それでは、後継が出来なかった場合、大変だろうに」

「親戚から子供を貰ってくることが多いかな。……娃琳の立場では、妾という感覚が普通なのだろうが、堋国でも、普通の貴族は、後妻ならともかく、何人も妻をもつことはないはずだ。だから、おいそれと、妾というわけにはいかないのだろうし……あなたの姉君のことを考えたら、そんなことは、口にしない方が良い。
 勿論、離縁してしまえば、他人のすることだから、関係ないだろうけど」

 優しく諭すような口調で言う鴻の言葉に、娃琳は驚いていた。確かに、堋国でも、妃嬪をずらりと揃えるのは、国王くらいなものだ。それが当たり前だったから、娃琳は、ついつい、感覚がおかしくなっていたのだろう。

「あなたの姉上は……きっと、酷い仕打ちを受けても、夫を愛していたのだろうね。それで、誰にも訴えることも出来ずに、耐えてしまったのだと思うよ」

 痛ましいことだけれど、という鴻の言葉が、なぜか、娃琳は、すとんと腑に落ちた。

「私は、どこか、欠けているのかな」

 馬鹿真面目な顔で、娃琳が聞くので、鴻は笑ってしまった。

「……あんまり、感情を表に出さないように、俺には見える」

 鴻の顔が近づいて来るのを、娃琳は感じていた。身を引こうとしたのに、いつの間にか、手を捕らえられている。口づけ、されるのだろうか……と、娃琳は焦る。

 思わず、目をぎゅっとつぶってしまうと、鴻が軽く笑ったような気がした。

 こつん、と額に軽い衝撃。そして、そこに暖かな物が押し当てられているのがわかったが、目を開けることは出来なかった。

 鴻は、娃琳の額に、自分の額を押し当ててきたのだった。


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