大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

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第一章 珍奇で美味なる菓子

娃琳の袖の下

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 朝食は、通常、粥である。本当は、昨夜、粥を食べ過ぎたこともあって別の食べ物にしたかったところだが、客人である姉姫の容態を最優先させることにした。

 従って、本日も、薄い粥である。娃琳ゆりんは、喉を滑る感触がどうしても苦手だったが、仕方がない。

「姉上は、どうだ?」

 朝食は、公主府の食堂で摂っている。食堂は、公主府の中でももっとも広い殿舎の大広間の隣に設けられており、螺鈿で出来た豪奢な卓子テーブルと椅子が供えられていた。

 食堂自体も、ほう国の色である、黄金色で彩られ、四季折々の花鳥の描かれた壁画も、見事である。

 方角にあわせて、東に春の花鳥。南に夏の花鳥。西に秋の花鳥。北に冬の花鳥と描かれている。

 客人である、こう彩瑶さいようも、同席している。彩瑶は、特に恐縮しているようだったが、「あなたも客人だ」という娃琳の言葉に、折れて着席している。しかし、姉、月季げっきは、まだ牀褥しょうじょくから身を起こせないで居るらしい。

「とりあえず、目を覚まされました……ですが、まだ、身体を起こせるような状態ではありません」

「わかった。……医官と……皇太后殿下から、医女いじょを借りてこよう」

 医女は、太医不在の時……或いは、太医が見るほどでもない妃などを診察するために皇太后が私設したものだ。その名の通り、医術に長けた女官である。

「それは……ありがとうございます。本当に、大長公主様には、本当に、お世話になりまして……」

「私は、姉上様には、良くして頂いたからね」

 粥を流し込みながら、やはり、感触が苦手で、眉を顰めてから慌てて表情を取り繕う。

「どうか、いたしまして? 大長公主様」

「いや、少々頭痛がするんだ。昨日は、少々、飲み過ぎたし、あのあと、眠れなくて、明け方まで書き物や本を読んでいたものだから」

 あのあと―――。

 四阿あずまやで鴻と葡萄酒を飲んでから。

(なぜ、私は、あの時に気がつかなかったのだろうな)

 鴻の言う通りだ。

 あの時、瑠璃杯は一つしかなかった。だから、娃琳は、同じ瑠璃杯を鴻と使っていたのだ。

 そのあと、額をくっつけられて、それから、眠れなくなった。

(正直な所、私は、男に接触したことなんか、あまりないんだ……)

 かつて、初恋の人、ゆう帝国の皇太子、遊嗄ゆうさが額に口づけてくれたことがあったが、それは、必死の娃琳の告白に対する『ありがとう、諦めてね』という事だと思う。

 仮にも、大長公主様と言われる立場の娃琳であるので、身ぎれいにしておく必要はあったのだ。

「昨日、あんなに飲んでいたのに?」

 鴻が驚いて声を上げる。

「まあ……な。だが、朝一番に、陛下の所へ奏上は届けさせているから、徹夜も無駄ではないよ」

「いや、身体に悪いよ。……今日も、大書楼へ行くの?」

「今日も、普通に、出仕しようと思って居るが、なにか?」

「じゃあ、厨房を借りても良いか? ……昨日借りてきたもののうち、少し作ってみようと思ったものがあるんだ」

「へえ? どんな菓子だ?」

 娃琳は、興味を持った。だが、鴻は、にやっと笑っただけで、教えてはくれない。

「秘密」

 結局、鴻は教えてくれなかった。




 姉、月季の体調についても報告したかったこともあったし、本を借り受けたいという頼み事もあったので、出仕した娃琳は、

「とりあえず夕刻には帰る」

 といいのこして、鴻を置いて行った。

 途中、菓子を売る通りで、いくつかの菓子を仕入れていく。そういえば、と先日、軟糖飴《ソルマ》を売っていた店を覗いてみると、露店の片隅に、小さく、軟糖飴《ソルマ》が売られているのが解った。今度は、ちゃんとした作り方の物だ。

 それは、鴻への土産ものとして、買っていく。

 鴻は、とりあえず、身分賤しからぬ立場のようだ。それは、昨日の彼の言葉でもわかる。彼は、

『雑琉は、もっと狭いのか?』

 と聞いた娃琳に対して、こう答えたのだった。


『んー……殆どが、書楼とか仏塔だからな。こんなに広い庭は、後宮にもないよ』


 これは、つまり、彼が後宮に出入りできる立場であったことを示している。

 雑琉ざいる王は、高齢だったはずだから、皇族―――の可能性が高い。

 なので、公主府に置いてきても、なにか、悪さをするような人物ではないと言うことだけは確かだった。

 娃琳は大書楼に直行するのではなく、黄金宮に立ち寄った。
 
 兄王との謁見について、便宜を図って貰う為だ。兄王の側近である宦官に、袖の下と称して、菓子は有効だった。宦官は、去勢した男である。陽の気の巡りが狂って、食欲が増し、甘い物を好むものが多いのだった。

「大長公主様が差し入れしてくださるお菓子は、みな、素朴な市井の味が多いので、奪いあいになるのですよ」

 などと、言いながら、国王の予定に目を走らせる。

「最優先で、謁見できるように、申し出ておきます」

「頼むよ。……もし、やってくれたら、私の客人が作る、特別な菓子をお裾分けするよ」

 長身の宦官の顔が、ぱっと輝いて、すぐ、真顔になったが、口元は、嬉しそうに歪んでいる。

 娃琳は、大書楼へと籠もって、昨日、怠けてしまった分の司書の仕事に取りかかった。

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