大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

文字の大きさ
21 / 43
第一章 珍奇で美味なる菓子

古文書から蘇った菓子

しおりを挟む

 一度、公主府に戻った娃琳ゆりんは、公主府に甘い香りが漂っているのを聞いた。

(そういえば、こうが、菓子を作ると言っていたな)

「お帰りなさいませ、娘娘にゃんにゃん(目上の女性を敬う呼び方)」

 馬車から降りる娃琳に近寄るのは、娃琳より十歳は年嵩の筆頭侍女だった。

「変わったことは?」

雑琉ざいるのお客人が、お菓子をお作りになっております。それと、医女が参りまして、月季げっきさまにつききりでおいでです」

 恭しく言う侍女に「そうか」と受けながら、娃琳は部屋へと向かう。出仕用の服を着ているので、着替える為だ。とは言っても、ほかの女性達のように、華麗な襦裙じゅくんで着飾ったりはしない。

「雑琉のお客人……鴻様は、お帰りになったら、おいで頂きたいと……」

「解った。では、着替えてから、そちらへ行く旨、鴻に伝えてくれ」

 畏まりました、と侍女は去って行く。部屋へ戻ると、すかさず、するすると音もなく年若い侍女がやってきて、「お召し替えをお手伝いいたします」と拝礼する。

 このやりとりを、いささか、窮屈なものだと感じていたが、これが、この国の大長公主である自分の役目の一つでもあるのかと、諦め気味に着替えを手伝わせた。

 娃琳の衣装は、儀礼事でなければ、実に簡素なものだった。

 直領ちょくりょう(まっすぐな襟)の上襦じょうじゅは、地味な青。刺繍も名にも施していないものだ。それに、下裳かしょうも青みがかった灰色で、かろうじて、肌寒いので上衣は羽織っているものの、こちらも青緑で刺繍なども控えたものだった。

 その上、髪は、くるんと一纏めに結い上げただけで、かんざしは、紫水晶で出来た葡萄がついたもの一つ。

「娘娘も、着飾れば、お美しいのに……折角、若い殿御を客人にお招きしているのですから、今少し、華やかなお支度でもよろしゅう御座いましょうに……」

 筆頭侍女が戻ってきた。心底、残念そうな顔をしている。

「私が着飾らないからと言って、お前達まで着飾るのをやめることはないと、いつも言っているだろうに」
 
 好きにして良いのだぞ、という娃琳を、侍女は、少々強い視線で見てから、ぴしゃりと言う。

「主人よりも目立つ格好をする使用人はおりません」

「まあ……そう言われれば、そうだが……、鴻には伝えてくれたのか?」

「はい。それで……出来れば、月季さまのお部屋に行きたいと言うことでしたが」

 なにやら、考えて居ることがあるらしい。娃琳としても、姉の様子は気になっていたので、鴻の申し出を了承することにした。

「それでは、鴻さまに伝えて参ります」

 筆頭侍女が去ってから、娃琳は、鏡に映る自分の姿を見遣った。たしかに、地味だ。

(しかし、今更着飾っても……、相手は、私より随分年若いのだし)

 そうは思ったが、少々、気になったので「領巾ひれを……」と年若い侍女たちに命じると、すぐさま、淡い黄色に銀糸で春の花々が描かれた素晴らしい領巾を持ってきた。

「今日のお召し物でしたら、こちらの領巾を。とても、お色が引き立ちますわ」

 侍女達は熱を入れて勧めてくるので、娃琳は、少し退け腰になりながら、領巾を受け取った。




 姉、月季の滞在する部屋に入ると、医女と、姉の侍女である彩瑶さいようの姿があった。部屋の中には、薬の、苦いような、渋いような匂いが漂っている。

 姉、月季は牀褥しょうじょくに伏しているが、娃琳の姿を見つけて、目礼もくれいしたので、娃琳も「姉上様にご挨拶申し上げます」と拱手して拝礼する。

 娃琳が姿勢を正すと、今度は、医女と彩瑶が拝礼した。

「大長公主様に拝礼いたします」

 二人に礼を許して、「姉上のご様子は?」と聞く。

「大分、快復なさいましたので、あとは、精の付くものを食べて、十分に静養することです。私から、気を補う薬湯を出しておきますので、こちらを、食事を摂る半刻(三十分)ほど前に、飲んで頂ければ、食事から栄養を取り入れる力が増します」

 薬湯は、酷い色をしていた。まるで、泥を湯で溶いたような色味だった。その上、匂いもきつい。

「では、薬湯を飲んで頂いて……今、鴻が来るはずだから」

「鴻さまと言いますと、あの、異国の服を纏った方ですか?」

 彩瑶が聞く。

「ああ、彼は、雑琉からの客人で、ゆえあって、大書楼に出入りを許されている」

「そうでしたのね……わたくし、てっきり、大長公主様の、年若い恋人なのかと……」

 ぽっ、と彩瑶は顔を赤らめる。

 みんなもれなくこの想像をすることに、娃琳は、面倒な気分でいたが、今まで、男を近くに侍らせたことのない娃琳が、急に男を連れていたら、そう言われるのは仕方のないことかと、思うことにした。

「彼は、私より大分、年若いからね。私のようなものが相手と噂されるのは、迷惑だろうから、噂話などは広めないでおくれ?」

「そ、それはもう! ……けれど、大長公主様も、十分お若うございますからね」

 言外に、『諦めるな』と言われたようで、娃琳は苦笑した。

 医女が、薬湯を飲み終わらせた頃、部屋の扉が開いて、冷たい空気が一気に流れ込んできた。そして、その、冷たい空気に乗って、甘い香りが漂ってくる。

「甘い香り……」

 思わず、うっとりと彩瑶が呟いていた。おそらく、甘い菓子など、しばらく口にしていないのだろう事が、恍惚とした表情から見て取れた。

「鴻か?」

「是非、姉君に召し上がって頂きたくて、作ってきました」

 鴻が、爽やかに微笑む。まばゆいような微笑みだった。

 卓子テーブルの上に置かれたのは、大尺おおしゃく(約三十センチメール程度)ほどある、陶器で出来た、円形の器だった。蓋がついていて、湯気が立っている。

 布巾ふきんで押さえながら蓋をとると、閉じ込められていた湯気が、勢いよく部屋中を満たして、甘い香りで満たした。

 見れば、様々な具の混じった蒸し物のようだった。米を砕いたものに、なにやら、混じっているようだが、あまりに細かいので、それがなんなのか、よく解らない。

「これは?」

「『五香糕ごこうこう』という菓子だ」

 鴻の言葉を聞いて、娃琳は、思い出した。彼が言っていた『あまりにも美味だったから、祭祀に供えるはずだったのに作った厨娘が全部食べてしまって首を括ることになった』という菓子だ。病床に持ってくるには縁起が悪い。

「おい、鴻!」

 窘めるが、鴻は揺るぎない。

「餅米と、粳米うるちごめ干した鬼蓮おにばすの実、白朮おけら生薬しょうやく)、茯苓ぶくりょう(さるのこしかけ)、縮砂仁しゅくしゃにん(生薬)混ぜて、細かく砕いて、白砂糖を溶いた熱湯で混ぜて、蒸したものだ。
 つまり、気の巡りをよくするような生薬が沢山はいった菓子なんだ。しかも、味見をした厨娘が、全部食べきってしまうほどに美味なのだから……これならば、姉君も、少しは召し上がって頂けるかと思ったのだ」

 月季の体調をおもんぱかったものだった。

 それを、娃琳は、ありがたいことだと思う。

「ありがとう、鴻。……では、どうだろう。姉上……。少しは、召し上がれるだろうか」

 ちらりと、娃琳は月季を見た。月季は、少し、身を起こした。食べてみるという意思表示だ。

 娃琳は、蒸し器から上がってきたばかりの『五香糕ごこうこう』を見やった。古文書から蘇った菓子だ。娃琳は、少しでも姉が食べてくれることを祈りつつ、鴻が丁寧に取り分けるのを、じっと見ていた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。 五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。 ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。 年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。 慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。 二人の恋の行方は……

【完】出来損ない令嬢は、双子の娘を持つ公爵様と契約結婚する~いつの間にか公爵様と7歳のかわいい双子たちに、めいっぱい溺愛されていました~

夏芽空
恋愛
子爵令嬢のエレナは、常に優秀な妹と比較され家族からひどい扱いを受けてきた。 しかし彼女は7歳の双子の娘を持つ公爵――ジオルトと契約結婚したことで、最低な家族の元を離れることができた。 しかも、条件は最高。公の場で妻を演じる以外は自由に過ごしていい上に、さらには給料までも出してくてれるという。 夢のような生活を手に入れた――と、思ったのもつかの間。 いきなり事件が発生してしまう。 結婚したその翌日に、双子の姉が令嬢教育の教育係をやめさせてしまった。 しかもジオルトは仕事で出かけていて、帰ってくるのはなんと一週間後だ。 (こうなったら、私がなんとかするしかないわ!) 腹をくくったエレナは、おもいきった行動を起こす。 それがきっかけとなり、ちょっと癖のある美少女双子義娘と、彼女たちよりもさらに癖の強いジオルトとの距離が縮まっていくのだった――。

処理中です...