大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

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第一章 珍奇で美味なる菓子

素晴らしき菓子、五香糕

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 こうが取り分けてくれた『五香糕ごこうこう』を、姉、月季げっきの休む牀褥しょうじょくへと運ぶ。

「姉上、私の客人が作ってくれた菓子です……もし、召し上がることが出来るようでしたら」

 皿に乗った『五香糕ごこうこう』は、湯気を立てていて、甘い香りを漂わせている。匙を添えて、月季に渡すと、彼女は、「美味しそう」と小さく呟いてから、鴻へと呼びかけた。

「わたくしのことを、気遣って下さって有り難う……」

「いいえ、よろしかったら、暖かな内に。おそらく、冷えても美味しいでしょうが、温かい内は、格別だと思います。ほんの一口だけでも……薬だと思って召し上がって下されば」

 鴻は、微笑む。相変わらず、まぶしいほどに、きらきらしい微笑みだった。

「薬?」と月季が、細い声で聞く。

「ええ、薬です。……食事も、薬ですよ。ですから、是非とも、そちらを召し上がって下さい」

「まあ、随分、美味しそうな薬ね。……こんなに素敵なお薬ならば、仮病を使う者が増えるわ」

 月季が、微笑む。娃琳が知る姉の姿より、大分痩せてしまったが、それでも、人と会話をして、微笑むことが出来るまでには快復したのは、良かった。

 月季は、匙で『五香糕ごこうこう』を切った。

 意外に、弾力があるので、匙で切るのは、大変そうだった。なんとか、一口大に切り分けて、月季は口に『五香糕ごこうこう』を運ぶ。

 その顔が、ぽわんとほころんだ。

「まあ……本当に美味しいわ……これならば、いくらでも食べられそうよ」

 声も弾んでいる。そして、ぱくぱくと食べ進めて、たちまち平らげてしまった。昨夜の様子からは考えられないことだ。昨夜は、粥さえ食べるのが大変そうだった。

「姉上、お替わりなど如何ですか?」

 娃琳が申し出ると、一瞬躊躇ったようだが、「お願いするわ」と皿を返した。




 結局、月季は、五回もお替わりして『五香糕ごこうこう』を食べた。

 彩瑶と医女にも与え、娃琳と鴻も少し食べた。相変わらず、娃琳は、ちっとも食べても味はしなかったので、もっちりした感触だけを味わっていたが、彩瑶や鴻の反応を見ていると、相当な美味だったようだ。

 なにより、月季が、沢山食べてくれたのが有り難い。

「姉上は、きっと快方に向かうと思う。それで、婚家と離縁して貰えないか、国王陛下にお尋ねしたら、交換条件を出されたよ」

 昨日と同じ四阿あずまやで、娃琳と鴻は、酒杯を傾けていた。

 今日は、杯は二つ用意している。そして、酒も、花の香りを移した黄酒だった。

「交換条件……?」

 杯を傾けながら、鴻が聞く。

「ああ、交換条件だ。……そもそも、姉上は、朱家という名門に対して、褒美代わりに降嫁させられているんだ。だから、下賜するのに代わりになるようなものを探してこいということだ」

「なんだ? 宝石でも持ってくればいいのか?」

「いいや、菓子だ」

 娃琳は言い切る。

「菓子?」

「そう、菓子だ。……ゆう帝国に、国王が龍神より賜ったという特別な菓子があるらしい。それを、もってこいということだ。だから、明日の朝から、游帝国へ向かおう。
 游帝国の龍神の伝承ならば、靡山びざんという温泉地のはずだ。ここに、ゆう帝国に守護を与えたと言われる竜女りゅうじょが人間との間に儲けた子を育てた、神聖な温泉『翡翠池ひすいち』がある」

 游帝国首都の瀋都しんとから、日帰りで行くことの出来る場所だ。

 ほう国首都である、この湖都れいとから瀋都までは、大体、五日。皇帝専用道路である、『帝華路ていかろ』を使えば、もっと早く到着できるが、普通の旅程だと五日だ。

「往き帰りで、十日か」

 鴻が溜息を吐く。「正直、そんなにのんびりしている余裕はないが……、仕方がない。それが、国王陛下がお出しになった条件ならば、飲むしかないだろうな。……それで、『盤古禄ばんころく』のほうは……どうなっているだろうか?」

 心配そうな顔で、鴻が言う。

「『盤古禄ばんころく』も、同じ条件だ。だから、どのみち、私たちには、国王陛下の提案を受けるほか、道はない。だが、考えようによっては、確実に十日で、戻れば、『盤古禄ばんころく』を借りることは出来るし、その上、姉上も婚家から解放されるのだ。だから、確実な道だといえなくもないぞ?」

 娃琳は、鼓舞するように、勤めて明るく言う。その口ぶりが、あまりに一生懸命な者だったので、つい、鴻は笑ってしまった。

「はは、あなたは存外、前向きなんだね」

「変に考え込むよりは、良いかと思って居る」

 娃琳の答えを聞いて、再び鴻は笑う。

「なんだか、ちっとも、大国の姫君っぽくないね、娃琳は」

 その自覚はあるし、そもそも、『姫君』などという呼称が気恥ずかしくなるような年頃でもある。

「悪かったな」とだけ、ふくれ面で答えてみると、「ちがうちがう」と鴻が近づいて、娃琳の手を取った。

「俺は、小国の出身だから。……娃琳のように、変わらずに接してくれる人が、とても有り難いし、娃琳みたいに、気取らない態度でいてくれるほうが、俺は好きだ」

 娃琳の心臓が、どくん、と跳ね上がる。

 娃琳の手を取った鴻は、切なくなるほど真っ直ぐな眼差しをして、娃琳を見つめていた。触れられた指先が、ひどく、熱い。その、熱に戸惑いつつ、娃琳は、小さく呟く。

「……有り難う」

 口に出して言ったら、とても、気恥ずかしかったが、同時に、胸がじんわり温かくなっていくような、幸せな感じが広がっていった。

「菓子を捜す旅、娃琳も付き合ってくれるの?」

 鴻が、おずおずと聞く。おそらく、鴻は、大陸諸国の地理に、そこまで詳しくないのだと、娃琳は感じた。

「勿論、鴻が見つけた菓子か、おそらく、私の求める菓子のはずだ……だから、付き合わせてくれ。靡山びざんならば、おそらく、道は解るはずだ」

 鴻は、ぎゅっと娃琳の手を握りしめた。

「たよりにしてる」

「その代わり、私は、まったく旅慣れていないから……」

「それは、俺に任せてくれ」

 鴻が胸を叩いた。娃琳は、その鴻の仕草を笑いながら、こう言った。

「たよりにしてる」
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