大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

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第二章 菓子を求めて游帝国へ

真夜中の侵入者

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 殺した足音が聞こえる。

「……窓から入ってくるようだから、娃琳ゆりんは、まずはここに居てくれ。足音は、四人だ」

 そんなことまで解るのか、と娃琳は驚きつつ、「ああ」と答えた。こうは、娃琳から離れて、枕下の剣を取る。牀褥しょうじょくから降りようとした鴻に、娃琳は呼びかけた。

こう

 逃げた方が良いのではないかと、言おうとしたが、それは、今更、鴻の戦意を削ぐだけだ。娃琳は、「……怪我などしたら、許さないからな」とだけ、言っておく。

「あなたのほうこそ。……俺らのどっちかでも怪我でもしたら、途端に外交問題だからね。そこは慎重に行くよ」

 この状況で、余裕に笑う。鴻の背中を広く感じながら、娃琳は、牀褥しょうじょくを降りて、影に隠れた。

 ついでに、枕を縦に並べて褥を上から掛けておき、牀褥しょうじょくに人が居るように、一応の偽装をしておく。

(こういうときに、守って貰うだけというのも、中々情けないな)

 今更になって、少し体術でもやっておけば良かったかと思うが、仕方がない。

 窓が、ギイ、と軋んだ音を立てて開いたのがわかった。山の、冷たい空気が外から一気に流れ込んできた。鍵は掛かっていないようだった。灯りを落としていないので、窓から入り込んできた男は、少々怯んだようだった。ゆっくりと室内を観察して、うすぎぬ牀帳しょういの掛けられた牀褥しょうじょくを見遣って、にや、と笑った。

「大丈夫だ、寝てる。今のうちに、やっちまうぞ」

 男は背後に続く仲間に、声を掛けて、室内に入った。鴻の姿は、娃琳からは見えない。男が、足音を殺しつつ、忍び歩きして、荷物を纏めてある部屋の端に向かう。娃琳の荷物に手を掛けた、その時だった。

 唐突に、男は倒れた。

 鴻が、男の首を短刀で一突きしたのが解った。

(書庫に潜んでいたのか……)

 書庫の扉を開けたままに中に居たのだ。荷物を狙うならば、書庫の前を通る必要がある。そして、横から、首を狙って一突きした。男は、苦悶の声を上げる暇もなく、絶命したのは……。

(毒を塗っていたか)

 おそらく、こういう場面は鴻の道中で、何度もあったのだろう。自衛の為に、鴻は毒を塗った刃を用意していたのだ。

(私に渡したこれも、毒が塗ってあるのかな)

 手の中の、やや装飾過剰な短刀の刀身を見遣る。見ただけでは、はっきりとは解らないが、刀身の輝きから察するに、おそらく、毒は仕込んでいないだろう。毒を塗った金属は、多少なりとも曇ったり、黒ずんだりすることが多いのは、後宮で生まれ育った娃琳は良く見ている。毒殺は、もっともよく使われる殺害方法だからだ。それにしても、見とれるほど美しい短刀だった。

 二人目、三人目、四人目の男が相次いで入ってきた。

「なんだ? お頭がいねぇな」

「小部屋でも物色してんだろ。……俺らは、荷物を持ってくぞ」

 チビ男とはげ男が、小声で話しながら、荷物に近づく。

「なあ、なんか……血の匂いがしないか?」

 背の高い男が、警戒しながら、あたりを見回す。(まずい……)と娃琳は焦った。三人一気に相手にするのは、鴻でも、辛いだろう。

(最悪の場合、私がやるしかない)

 だが、短刀を持った手が、既に震えていた。これで、戦えるとも思えない。

 ほかに、なにか出来ることはないかと思っても、出来ることなど思いつかない。

(せいぜい、何か投げるくらいかな)

 投げるのは、得意だ。鴻の頬に、『一吻餅いっふんびん』を直撃できるくらいには。

(小刀でもあれば、多少役に立つのだが……)

 と思った時、娃琳は、ハタと気がついた。部屋の中に、きっと、何か投げることが出来るものはある。

 男達の動きに気を付けながら、娃琳は、短刀を胸元に隠して、そして、ゆっくり移動はじめた。部屋の中には、様々な調度品がある。机に向かおうと思ったのだ。書き物をするときには、『文房四宝ぶんぼうしほう』と呼ばれる道具が必要だ。何の事はない。筆、墨、すずり、紙のことだ。

(硯ならば)

 こめかみにでも当たれば、十分な攻撃になる。

『文房四宝』で一番重んじられているのが、この硯だった。一概に硯と言っても、高さが五寸(十五センチメートル)もあるものもあるので、投げられる大きさの硯があれば良いのだが……と、娃琳は思う。

 果たして、机に移動すると、抽斗ひきだしの中に、硯はあった。

 高さが、四寸ほどの重く大きな紅糸こうし石の硯、黒金剛石で作られた硯、翠花峰すいかほう緑石りょくせきで作られた硯があった。

 その間に、男達の動きを確認する。男達は、荷物に手を掛けて、中身を物色しようとしているところだった。

 しかし、三人一緒だ。

「お頭、どうしたんだろうな」

「そっちの小部屋じゃないのか?」

「そうか、こっちにも何かあるかも知れないからな。一応見に行くか」

 背の高い男が書庫に入っていく。そこには、おそらく、お頭と呼ばれた、最初に入ってきた男の……死体と、鴻が居るはずだった。

「な、なんだっ! 、お、おい、お頭っ!」

 書庫の扉が閉じた。中から、がたがたと音がする。おそらく、鴻と背の高い男が斬り合いになって居るのだ。

「おい! なにしてんだよ! お頭はどうした!」

 荷物を物色していた、はげ男が、扉を叩く。

「早く入ってきて、手伝えっ! ……この男、強ぇんだよっ!」

 しかし、扉は開かないらしく、はげ男は、何度も戸を乱雑に叩くだけで、書庫に入れない。

 やがて、部屋の中から音がしなくなった。そして、ギイ、と音を立てて書庫の扉が開く。はげ男が様子を伺いながら中へ入る。チビ男は、警戒しているらしく、書庫の入り口に控えていた。

(あの、背の低い男が厄介だな)

 あの男は中に入ろうとはしないだろう。そうすると、出てくる鴻がやられる。致命傷を負うことはないかも知れないが、手傷は負う。

(鴻が、はげ男をやったら……硯を投げる)

 娃琳は覚悟を決めた。実は、ここにある硯は、どれも皇帝愛用の品らしく、素晴らしい名品ばかりだった。国宝と言っても、差し支えないほどの品々である。しかし、致し方ない。

(女帝陛下に、羽を飛ばして、謝ることにしよう)

 ほう国国王から預かった羽がある。これを使って、文を飛ばせば、超高速で書状が行くはずだ。羽の色は『銀』。游帝国から見て、諸国王が使える羽なので、皇族が使う金色の羽についで早いはずだ。

 ここ靡山びざんと女帝のおわす瀋都しんとまでは、半日もかからない。

 娃琳は、高価な翠花峰すいかほう緑石りょくせきで作られた硯を手に取った。

 ずっしりとした重みがあるが、小ぶりの硯である。ここから、書庫の入り口まで、問題なく投げることが出来るだろう。

「うわあっ! お頭っ! それに、お前まで……どうしたんだよ! ……っ!ひいいっ!」

 情けない声が谺した。はげ男の、狼狽しきった声だった。中の音は、静かだ。はげ男は、すぐに殺されたのだろう。鴻の、あまりの手際の良さが怖ろしいほどだが、ここは、敵に同情している場合ではない。

(よし、今だ!)

 娃琳は、意を決して立ち上がり、勢いよく、硯を投げ飛ばした。





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