大書楼の司書姫と謎めく甜食

鳩子

文字の大きさ
32 / 43
第二章 菓子を求めて游帝国へ

鴻の不機嫌

しおりを挟む


(気まずい……)

 馬車に揺られながら、娃琳ゆりんはそう思った。昨日の浴室での事件から、こうは一言もしゃべってくれない。

(確かに、私の配慮が欠けた―――でも、私だって、男の身体のことなんか知るか! 正真正銘の処女おとめなんだぞ!)

 罵りたい気持ちを押し殺す。鴻は、肘掛けに肘をついて、明後日の方向を向いている。目も合わせてくれない。

(いや、私だって、目が合ったら、それはそれで困るけど!)

 そう。二人は今、馬車に乗っていた。『翡翠池ひすいち』の、管理人の老婆はすぐさま麓の役人を呼んでくれた。そして、その際に、娃琳は銀の羽を使って、書簡を女帝まで届けて貰ったのだった。それが、朝一番。

 書簡にくくりつける羽の色は、皇族のみが使用できる『金』、諸国王の使うことが出来る『銀』、そして游帝国高官が公用で使用する『黒』、游帝国高官が私的に使用を許可されている『紺』、戦の時に、戦地の派遣将軍が用いる『赤』……など用途によって、使い分けられている。

 うっかり銀の羽を取り出した娃琳のせいで、簡単に身分がばれた。

「こ、これは……ほう国の大長公主殿下と、雑琉ざいるの王子殿下……、書簡はすぐにでも……お申し出下されば、ご滞在の折の警護は引き受けましたものを……」

 役人の顔からは、完全に血の気が引いていた。無理もない。ここで、もしも、娃琳と鴻に怪我でもあれば、この役人のせいにされかねない。

「いや、済まないね。……人目を忍んでいたんだ」

 鴻の言葉を聞いた、管理人の老婆が、いきなり、涙を流しながら、娃琳の手を取った。

「あんたら……国が違うから、人目を忍んで駆け落ちしようとしたんだね……。つらいねぇ」

 いや、そうじゃない……と娃琳は反論する気もなかった。そして、鴻も、反論しなかった。

 書庫から引っ張り出して、鴻が褥の下に隠していた書物を漁ってみたが、やはり、『天糕てんこう』の作方レシピはどこにも見当たらない。

 途方に暮れているところに、馬車が到着したのだった。女帝が、差し向けてくれたものだという。

 女帝への手紙には、『天糕という菓子の作り方を探しているので、游帝国の大書楼の閲覧許可を頂きたい』と書いていた。それだけで、馬車が来るとは思いもよらずに、娃琳は、圧倒された。

 書簡を送ったのが、娃琳だった為か、馬車には、一人女官が付いた。

「大長公主殿下、こちらへ………。陛下がお待ちでございます」

 娃琳と大差無い年齢に見える女官は、きん鳴鈴めいりんと名乗った。娃琳は、その名に聞き覚えがあった。女帝が実家、ねい家から連れてきた侍女で、皇太子妃、皇后、皇帝と出世した主の片腕として仕えていたはずだった。

「現在、『帝華路ていかろ』(皇帝専用道路)を使用しておりますので、皇城まで、半刻もあれば辿り着きますわ」

 荷物は馬車に載せてくれ、馬については、靡山の役人達が、曳いてきてくれることになって居る。大掛かりな事になってしまったことを後悔しているが、それは仕方がない。

「それは有り難い。……それで、大書楼の閲覧は許可して下さるだろうか」

「それは、陛下にお尋ねなさいませ」

 にこり、と鳴鈴が笑う。一瞬、彼女の言葉を聞き流してしまいそうになって、「は?」と娃琳は声を上げていた。

「陛下が、謁見して下さると?」

「左様でございます。堋国と雑琉国から、それぞれ大長公主殿下と王子殿下がおいでなのですから、当然のことです」

 思わず、鴻と顔を見合わせた。今日初めて、鴻が目を合わせてくれたことを嬉しく思っていると、すぐに、鴻がふい、と目をそらす。

「あら? お二人は……、喧嘩でもなさったのですか?」

 鳴鈴に聞かれて、困ったが「殿方は、無口なものですわ」などと、口から出任せを言って、誤魔化した。

「まあ、そうですわよねぇ! 殿方って、急に無口になったりして、本当に、なにを考えて居るのか解らないのですもの! 困りますわよねぇ!」

 鳴鈴は娃琳に賛同してくれたが、おそらく、娃琳の下手なごまかしに乗ってくれただけだ。

(いたたまれない)

 とにかく、いたたまれなかった。胃がきりきりと痛むのを感じ始めたとき、とんとん、と鴻に腕を突かれた。何かと思って見ると、耳を貸せというような仕草をするので、近づく。

『……多忙な女帝が、ただで謁見して下さると思うなよ』

 どういうことかと、目で問い掛ける。

『予言のことは、話すな』

 鴻が一番言いたかったのは、それらしい。解ったという意味を込めて頷くと、頬に一つ、口付けされた。

「まっ!」

 ぽっと顔を赤らめて鳴鈴が両手で口元を覆う。乙女のように仕草に、娃琳の方が恥ずかしくなる。

「まあ! お二人は恋人なのね! ……そんな話は聞いていなかったけれど……まあ、お似合いだわ!」

 一人で盛り上がる鳴鈴に、やはり、胃がきりきりと痛むのを感じながら、娃琳はギッと目の端で鴻を睨み付けた。

(内緒話の偽装なのは解るが、今の、必要かっ!)

 鴻は、涼しい顔で、明後日の方を向いている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里
恋愛
社交界デビューの日。 訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。 後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。 それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

処理中です...