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第二章 菓子を求めて游帝国へ
封禅の儀式
しおりを挟む夜明け前。つまり封禅の儀式の為に『禄山』に出発する直前に、約三百人分の『五香糕』が出来上がる。
そして娃琳のほうも、『一寸二寸問題』が、片付いたところだった。
「つまり、天帝の小指は二寸とあるので、二寸が正しい……というところに落ち着きました。間に合って良かったです!」
晴れ晴れとした顔でいう娃琳に対して、とうの裴緘喬は、心底、どうでも良いという顔をして聞いている。
そして、鴻がうつらうつらと船を漕ぎながら作り上げた『五香糕』だったが、
「いちどすべて、天帝に捧げましょう」
ということで、裴緘喬自らに重たい三百人分を背負わせて行くことにした。
禄山へは、皇帝、その側近のはげ男、そして、娃琳の三人で向かう事になって居る。はげ男は禄山の地理に詳しいらしい。
「しかし、禄山とは、また、渋い場所を選びましたね。なにせ、禄山は、三代皇帝が封禅の儀式を行った場所ですからね。記録によれば、その場所は、今でも、祠が建っているということですが、間違っていますかね」
ぺらぺらとおしゃべりを続ける娃琳を「煩いぞ」と言って睨み付けてから、はげ男は「その場所に案内することになって居る。祭壇は作ってあって、供物は、俺が背負っている」と淡々と言う。
「ここから、どれくらいなんですかね」
「半刻も掛からない」
「それは良かった。私、こうみえて、日頃、大書楼に閉じこもりきりなもんですから、足腰が弱くって」
はははと、娃琳は笑う。
「それだけ煩きゃ、なにかのお釣りが来る」
裴緘喬は、心底辛そうだった。額に脂汗をかいている。実は、『五香糕』は、ずっしりと重たい。それを三百人分なのでそうとう、足腰に来るはずである。
そして、しばらく黙ったままで、封禅の儀式を行う祠まで辿り着いた。
「……おお! これは凄い。絶景ですな。これならば天帝も、おいでになることでしょう! 素晴らしい場所ですねぇ裴緘喬さま!」
呼びかけるが、裴緘喬はすっかり体力を奪われたようで、汗だくになりながら、肩で荒い息を吐いている。はげ男も、その他の供物を持ってきているのでかなりの重量だったはずだが、こちらはけろりとしている。
(このはげ……すこし、侮れないかもな)
そう思いながら、娃琳は、供物の間隔を整えはじめた。二寸である。二寸。
そして、『真実を告げる菓子』も、祭壇に備えて、封禅の儀式の開始だった。
こうなると、祭壇近くは、立ち入ることが許されない。娃琳とはげ男は、離れたところから、儀式を見守る。
「……ワクワクしますね!」
游帝国は、水の守護を得ている為、皇帝は黒衣を身に纏っている。だが、裴緘喬は、まだ、何の守護も得ていないらしく、真っ白な冕冠と衣装に着替えての儀式だった。
「裴緘喬さまは、何の守護を得るのですか?」
「さあ」
はげ男は、にべもない。
「ご存じでしたら、教えて下されば良いのに……」と詰るが、はげ男は、なにも言わなかった。
封禅の儀式事態は、非常に端から見ていて、地味だった。なにか、呪文を唱えるにしても、その呪文は、誰にも聞こえないように唱えるものなので聞こえなかったし、天帝が現れたと言い張っても、娃琳の目には見えない。
「天帝……いるのかなあ」
思わず呟いた言葉を聞いていた、はげ男が、くすり、と笑った。なにか、胸の奥がざらつくような、嫌な笑みだった。
封禅の儀式を行って居る間、城内の大広間では、裴緘喬の家臣達三百人が、宴の為に集っていた。
封禅の儀式を終え、晴れて『皇帝』として君臨した主の晴れ姿を見て、「裴皇帝陛下、万歳、万歳、万々歳!」と、地鳴りのような歓喜の声が瑠璃の王宮に谺する。
悠然と玉座に向かいながら皇帝は、
「朕は、皇帝なり!」
などと高らかに宣言した。―――が、『封禅の結果』については、口にしていなかったので、ホッとした。宴で、『五香糕』をみんなに配り、そしてみんなで食べてから、『封禅の結果』を口にするという決まりがあったのだ。正しくは、それがしきたりだ、と言うことにしておいた。
『五香糕』が切り分けられ、そして、配られる。
「娃琳殿と言いましたか?」
と、はげ男がやってきた。手には、『五香糕』を持っている。
「あなたも、是非。……私の分を差し上げますよ」
にこにこと微笑みながら言っているが、やはり、目の奥は笑っていない。
「いえ、私は、この光景を見られただけで十分です」
そう言って辞去しようと思ったが、「食べられない理由でも?」と聞いてくる。いつの間にか、大広間の全員の視線が、娃琳に注がれていた。みんな、この菓子を、警戒していたのだ。
(私は……なんの味覚も感じないんだぞ……)
嘘でも良いから、美味しいとでも言わなければ成らないだろう。そして、たっぷり睡眠薬が入って居るはずなので、これを食べれば、動きは制限される。だが、意を決した。
「本当に、私も、頂いてよろしいので?」
「ええ、勿論!」
皇帝も、固唾を呑んで見守っていると言うことは、あの封禅の儀式の際、食べなかったのだ。
娃琳は、はげ男から『五香糕』を受け取って一度捧げ持ってから「新皇帝陛下に感謝を」と申し上げてから、ぱくっと一口口に含んで、驚いた。
まず、蓮の香りがふんわりと漂った。そして、様々な生薬が混じり合った、複雑な香り。うるち米の、甘い香り……。それが、白砂糖の甘みで整えられていて、ふんわりと上品だった。食感は、もちもちとしている。その、歯ごたえも良い。
「お……いしい……」
「え?」
「お、美味しいですっ! ……あの、済みませんっ! もう一個、くれませんか?」
娃琳は、無我夢中で、もう一つ食べる。やはり、とても美味しかった。
娃琳のその意地汚い食べ方を見て、男たちが、先を争うように、『五香糕』を食べ始める。
「あ……美味しい……嬉しい、私、いつの間に、味覚が戻ってたんだろう……」
奇跡のようだと思ったが、これはきっと、鴻が優しく包んでくれたからだ。それを噛みしめていた娃琳だったが、はた、ととんでもないことに気がついた。
(しまった……これ、睡眠薬入りだった……)
急に、目の前が、ぐるぐると回り出す。裴緘喬と、はげ男は、まだ口にしていない。用心深いことだ。
(絶対に、眠ってはいけない!)
娃琳は、皮膚に爪が食い込むほど、強く手を握りしめて、なんとか耐える。
「あなたは召し上がらないんですか? とても、美味しいですよ?」
はげ男に言うと、渋々という風情で、はげ男は『五香糕』を食べ始め、やはり、その美味に目を剥いていた。
「これは……美味いな」
「ええ、そうでしょう! ……こんなに美味しいものなんか、今まで食べたことないですよ!」
娃琳は、浮かれた足取りを装ってはげ男から離れる。
「ちょっと厠へ! そして、この感動を書き記さねば!」
そして、そのまま、大広間の外へ出た。大広間の外には、鴻が控えていた。そして、その後ろには、雑琉の男達が取り囲んでいる。
「……鴻……済まない。私は、眠い……」
「へっ? ……なんで、こんな時に……」
「『五香糕』を食べたんだ……。裴緘喬も食べたが、まだ、効果は出ていない……」
そして、少々荒っぽいが、今からの作戦はこうだった。
実は、大広間には、あと半刻程度で、煙が立ちこめるような仕掛けを作っておいた。この煙自体は、何の害もないものだ。敷いて言うならば、夏場、農家が虫除けに使うものだった。
なので、娃琳は割と丁度良い、と思って居る。
煙に驚いた裴緘喬たちは、きっと出てくるだろうが、眠り薬が効き始めているはずだ。
そこを一網打尽にして、駆けつけてくれるはずの、游帝国の軍に引き渡す……のが簡単な計画だったが……。
「游帝国の軍は?」
「……軍は、来ていないよ」
鴻が微笑む。駄目だったか、と落胆しかけたが、代わりに、麗しい声が聞こえてきた。
「軍ではなく、わたくしが直接参った。……大叔母上、感謝します。ここからは、わたくしが指揮しましょう!」
娃琳は目を疑った。多忙のはずの女帝が、なぜ、国を遠く離れたこの地にいるのか。
だが、目の前で、鮮やかな漆黒の軍装を身にまとった女帝は、艶然と微笑している。
「さあ、行きなさい!」
どうやって集めたのか解らないほどの大軍が、女帝の合図一つで、宮殿になだれ込む。内部は、既に、ぐっすりと眠りこける者たちが多かったので、たいした混乱なく、事態は収束したようだった。
「堋国と雑琉の婚姻を許す勅許を置いて行くわ。……大叔母上は、幸せになってね」
女帝の指先が、娃琳の頬に触れたような気がしたが、睡魔に引きずられて、もはや、判然としなかった。
かくて、仙花大女皇帝陛下の登場を持って、簒奪は、失敗に終わり、裴緘喬以下三百名は、その場で処刑される事となった。
族滅を逃れた者たちは、まだ、大陸に多く点在しているはずだ。
その者達に蜂起させない為のものだが、厳しい処分ではあった。
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