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第一章 婚礼
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東宮へたどり着くと、そのまま寝所へ向かうわけではなかった。一度、身支度を整え直して、化粧を直してからの初夜になる。
衣装は、例の真紅のものだ。頭から、被り布も掛けている。
皇太子が平素、執務を行う鳳舞殿から、皇太子の色である『紺』一色で彩られた回廊を渡っていくと、風華池と呼ばれる池があり、そこに乗り出すようにして立つ殿舎が、寝所であった。
華臥殿と呼ばれる殿舎で、東宮の中でも、特に優美な建屋として名高い。
湯殿まで備えた広々とした殿舎で、奥の寝室は、広々とした牀褥(ベッド)が設えられて、真紅に染められた牀帷が天井から垂れ込めている。
華臥殿へ入ると、明かりが煌々と灯されていた。
初夜だけは、明かりを消すことは許されない。魔除けだとは謂うが、本当のところは替え玉を防ぐ為だろう。
牀褥の傍らには、羅を張った衝立があって、その影に、卓子があった。
灑洛が身なりを整えて参ると、既に遊嗄は、卓子の所に座って、茶を飲んでいるようだった。
「濘家令嬢の、ご到着です」
皇太子付の宦官が、恭しく灑洛の到着を告げる。
「ご苦労。……灑洛、こちらへ」
宦官をねぎらってから、灑洛を呼ぶ。ここには、もう、灑洛の侍女は立ち入ることは出来ない。転ばないように、ゆっくりと歩く。さほど長い距離でもないのに、永遠にも長いように思えるほど、卓子まで移動するのに時間が掛かった。
(顔に布を掛けているのですもの……)
心の中で言い訳をする。遊嗄は、灑洛の顔から布を取り去った。
灑洛は、遊嗄を見た。薄物越しでなく遊嗄を見るのは、何年ぶりのことだろう。遊嗄は、整った美貌に、甘い微笑みを浮かべていた。その、包み込むような眼差しを受けているだけで、身体がとろけてしまいそうになる。
「さあ、灑洛。まずは座って……。互いに酒を酌み交わすのが、習わしだよ」
酒を酌み交わし、髪を解き、そして床へ入る。
男が女の髪を解き、女が男の髪を解く。通常、夜眠る時には、髪を解いて休むが、今日は、婚礼用の盛装なので、髪は高々と結われ、鳳冠を付けた風に、玉のついた金釵や、大輪の牡丹と木槿の造花などを飾っている。
遊嗄の方も、漆黒の髪を結い上げて冠を飾っている。冠は、皇太子の色である『紺』と黄金、それと真珠で飾られた美々しい儀礼用のもので、遊嗄の美貌を引き立てている。普段、皇太子は、『紺』色の装束を身に纏っているが、今宵ばかりは、真紅である。
翡翠で出来た酒器で、互いの杯に酒を注ぐ。
杯を捧げあった二人は、二口に分けて飲み干す。灑洛は、頬が熱くなっていくのを感じていたが、決して酒だけのせいではないだろう。
遊嗄が立ち上がり、灑洛に手を差し出す。言葉もなく手を取って、立ち上がると牀褥の傍らに向かう。牀褥に釵などを持ち込めば危険がある。その為、牀帷の外で髪を解くのだ。
そっと遊嗄の手が、鳳冠を留める釵を抜き取り、鳳冠を外す。それを傍らの卓子の上に置き、造花を取る。牡丹、木槿、それに、梅と桃まで挿してあった。
「この世の春のようだね」
遊嗄が笑う。灑洛は、それだけで胸が一杯になって仕舞って、上手く、返事を言うことも出来なかった。
次々と、釵が外され、最後の一本が抜き取られた時、踝まで届く漆黒の髪が、さらりと宙を舞った。
(今度は、わたくしの番)
遊嗄の顎下にある冠の紐を、震える指で解いて、冠を取る。かがんで貰って、きつく結われた髪を留める小さな釵と、紐を解けば、夜の闇が広がるように、遊嗄の髪もふわりとほどけた。
牀帷を開けて、中へ入る。
あまりにも広い牀褥なので、這うようにしていかないと枕までたどり着かなさそうだ。
そして、牀帷が掛けられているとは雖も、あまりにも、明るい。
薄暗いところで交わるとばかり思って居た灑洛には、酷く恥ずかしい。
「おいで」
遊嗄に優しく誘われて、彼に抱えられるようにして、牀褥に上がる。
「明るいのは落ち着かないだろうが、今夜だけのことだから……とはいえ、閨でのことも、宦官も侍女も聞いているのだから、落ち着かないだろうけれど。これは、慣れておくれ」
逞しい遊嗄の腕の中に抱き寄せられて、灑洛は答えることも出来ずに、ただ、こくん、と頷いた。
そっと、遊嗄の胸に頬を寄せる。筋肉の付いた逞しい胸は、燃えたぎるように熱い。
遊嗄の指が、灑洛の頬に触れ、髪を撫でる。優しいが情感の籠もった仕草に、海嘯のような眩暈がした。
「遊嗄さま……」
名前を呼んだその言葉の語尾を、口唇に吸い取られる。
戯れるように口づけながら、真紅の装束が少しずつ暴かれていく。灑洛は愛しい男の首に腕を回して口づけを、存分に味わっていた。
生まれたままの姿が、明るい初夜の牀褥に晒された時、遊嗄は、その姿をまじまじと見つめながら、胸元に跡が残るほどに強く口づけを落とした。
「花鈿(額に丹青で施した梅花の化粧)のように。私は、あなたの肌から、口づけの痕を消さないことを誓うよ」
灑洛の指先に口づけを落としながら、遊嗄は言う。
遊嗄の見せた、思いがけない強い執着には驚いたが、灑洛は嬉しかった。
「嬉しゅうございます……どうか、その誓いを……、違いませぬよう」
「初夜に交わす誓いを破ることがあれば、私は命を賭けてあなたに贖うほかない」
初夜に、なんと物騒な睦言だろうとは灑洛も思ったが、今は、ただ、それが嬉しかった。
自分でも触れたことのない奥まった場所を暴かれ、細い喉を仰け反らして、生まれて初めて味わう、強い官能に悶えながら、灑洛も、途切れ途切れに呟いた。
「あぁ……遊嗄、さま……。わたくしは……、たとえ……なにがあっても、あなたへの、愛を、貫きますわ……」
何があっても。天に背くことになろうとも。愛しい方への思いを貫くことだけが、わたくしの望み。
深く、遊嗄の昂ぶりを受け容れて、彼の所作にしては乱暴に揺さぶられながら、苦痛から滲みでるような、快楽に息も出来なくなりつつ。灑洛は、白く明滅する意識の中で、初めて、遊嗄と出逢った日のことを思い出していた。
―――遠雷。
雨と、土の香り。
睡蓮。鈴蘭。梔子。噎せ返るほど、甘い匂い。
衣装は、例の真紅のものだ。頭から、被り布も掛けている。
皇太子が平素、執務を行う鳳舞殿から、皇太子の色である『紺』一色で彩られた回廊を渡っていくと、風華池と呼ばれる池があり、そこに乗り出すようにして立つ殿舎が、寝所であった。
華臥殿と呼ばれる殿舎で、東宮の中でも、特に優美な建屋として名高い。
湯殿まで備えた広々とした殿舎で、奥の寝室は、広々とした牀褥(ベッド)が設えられて、真紅に染められた牀帷が天井から垂れ込めている。
華臥殿へ入ると、明かりが煌々と灯されていた。
初夜だけは、明かりを消すことは許されない。魔除けだとは謂うが、本当のところは替え玉を防ぐ為だろう。
牀褥の傍らには、羅を張った衝立があって、その影に、卓子があった。
灑洛が身なりを整えて参ると、既に遊嗄は、卓子の所に座って、茶を飲んでいるようだった。
「濘家令嬢の、ご到着です」
皇太子付の宦官が、恭しく灑洛の到着を告げる。
「ご苦労。……灑洛、こちらへ」
宦官をねぎらってから、灑洛を呼ぶ。ここには、もう、灑洛の侍女は立ち入ることは出来ない。転ばないように、ゆっくりと歩く。さほど長い距離でもないのに、永遠にも長いように思えるほど、卓子まで移動するのに時間が掛かった。
(顔に布を掛けているのですもの……)
心の中で言い訳をする。遊嗄は、灑洛の顔から布を取り去った。
灑洛は、遊嗄を見た。薄物越しでなく遊嗄を見るのは、何年ぶりのことだろう。遊嗄は、整った美貌に、甘い微笑みを浮かべていた。その、包み込むような眼差しを受けているだけで、身体がとろけてしまいそうになる。
「さあ、灑洛。まずは座って……。互いに酒を酌み交わすのが、習わしだよ」
酒を酌み交わし、髪を解き、そして床へ入る。
男が女の髪を解き、女が男の髪を解く。通常、夜眠る時には、髪を解いて休むが、今日は、婚礼用の盛装なので、髪は高々と結われ、鳳冠を付けた風に、玉のついた金釵や、大輪の牡丹と木槿の造花などを飾っている。
遊嗄の方も、漆黒の髪を結い上げて冠を飾っている。冠は、皇太子の色である『紺』と黄金、それと真珠で飾られた美々しい儀礼用のもので、遊嗄の美貌を引き立てている。普段、皇太子は、『紺』色の装束を身に纏っているが、今宵ばかりは、真紅である。
翡翠で出来た酒器で、互いの杯に酒を注ぐ。
杯を捧げあった二人は、二口に分けて飲み干す。灑洛は、頬が熱くなっていくのを感じていたが、決して酒だけのせいではないだろう。
遊嗄が立ち上がり、灑洛に手を差し出す。言葉もなく手を取って、立ち上がると牀褥の傍らに向かう。牀褥に釵などを持ち込めば危険がある。その為、牀帷の外で髪を解くのだ。
そっと遊嗄の手が、鳳冠を留める釵を抜き取り、鳳冠を外す。それを傍らの卓子の上に置き、造花を取る。牡丹、木槿、それに、梅と桃まで挿してあった。
「この世の春のようだね」
遊嗄が笑う。灑洛は、それだけで胸が一杯になって仕舞って、上手く、返事を言うことも出来なかった。
次々と、釵が外され、最後の一本が抜き取られた時、踝まで届く漆黒の髪が、さらりと宙を舞った。
(今度は、わたくしの番)
遊嗄の顎下にある冠の紐を、震える指で解いて、冠を取る。かがんで貰って、きつく結われた髪を留める小さな釵と、紐を解けば、夜の闇が広がるように、遊嗄の髪もふわりとほどけた。
牀帷を開けて、中へ入る。
あまりにも広い牀褥なので、這うようにしていかないと枕までたどり着かなさそうだ。
そして、牀帷が掛けられているとは雖も、あまりにも、明るい。
薄暗いところで交わるとばかり思って居た灑洛には、酷く恥ずかしい。
「おいで」
遊嗄に優しく誘われて、彼に抱えられるようにして、牀褥に上がる。
「明るいのは落ち着かないだろうが、今夜だけのことだから……とはいえ、閨でのことも、宦官も侍女も聞いているのだから、落ち着かないだろうけれど。これは、慣れておくれ」
逞しい遊嗄の腕の中に抱き寄せられて、灑洛は答えることも出来ずに、ただ、こくん、と頷いた。
そっと、遊嗄の胸に頬を寄せる。筋肉の付いた逞しい胸は、燃えたぎるように熱い。
遊嗄の指が、灑洛の頬に触れ、髪を撫でる。優しいが情感の籠もった仕草に、海嘯のような眩暈がした。
「遊嗄さま……」
名前を呼んだその言葉の語尾を、口唇に吸い取られる。
戯れるように口づけながら、真紅の装束が少しずつ暴かれていく。灑洛は愛しい男の首に腕を回して口づけを、存分に味わっていた。
生まれたままの姿が、明るい初夜の牀褥に晒された時、遊嗄は、その姿をまじまじと見つめながら、胸元に跡が残るほどに強く口づけを落とした。
「花鈿(額に丹青で施した梅花の化粧)のように。私は、あなたの肌から、口づけの痕を消さないことを誓うよ」
灑洛の指先に口づけを落としながら、遊嗄は言う。
遊嗄の見せた、思いがけない強い執着には驚いたが、灑洛は嬉しかった。
「嬉しゅうございます……どうか、その誓いを……、違いませぬよう」
「初夜に交わす誓いを破ることがあれば、私は命を賭けてあなたに贖うほかない」
初夜に、なんと物騒な睦言だろうとは灑洛も思ったが、今は、ただ、それが嬉しかった。
自分でも触れたことのない奥まった場所を暴かれ、細い喉を仰け反らして、生まれて初めて味わう、強い官能に悶えながら、灑洛も、途切れ途切れに呟いた。
「あぁ……遊嗄、さま……。わたくしは……、たとえ……なにがあっても、あなたへの、愛を、貫きますわ……」
何があっても。天に背くことになろうとも。愛しい方への思いを貫くことだけが、わたくしの望み。
深く、遊嗄の昂ぶりを受け容れて、彼の所作にしては乱暴に揺さぶられながら、苦痛から滲みでるような、快楽に息も出来なくなりつつ。灑洛は、白く明滅する意識の中で、初めて、遊嗄と出逢った日のことを思い出していた。
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