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1.有明の月
しおりを挟む十二単を身に纏った女性たちが、わらわらと宮中や貴族のお邸に仕える今日この頃。
東の空がそろそろ白み初めたのだろう。
夜明け前特有の凛とした冷たさが、火照った素肌には、心地が良かった。
鳥鳴く時間だ。
女は、億劫そうに、身体に巻き付いてくる男の太い腕を引き離しながら、溜め息をついた。白く凍った。
夜明け前には、男を帰さなければならない。
それがたしなみである。日が高くなってから男を帰すような不作法をすれば、男も、そして女も、非を問われる。
恋は、夜の時間だけにあるものだ。昼間に恋は、存在しない。
もしあるとしたら、それは、玄宗皇帝と楊貴妃のように、不吉な交わりだ。
小袖に単、長袴まで纏った女は、そっと、男の体を揺り動かす。
「お目覚めになって。夜が開けてしまうわ」
「ん」
顔を向けた男は、寝ぼけ眼を擦りながら、女の腰を引き寄せる。
「今日は、物忌みだと言って、あなたと過ごそうか」
などと男が戯れ言を口にするので、女は、男から離れつつ、そっと、囁いた。闇にとろけるような、夜の声音だった。
「わたくしを、朝になっても男を帰せば帰さない恥知らずな女と呼ばせたいのですか?」
「いっそ、共にその汚名を着ようか。中将」
中将、と呼ばれた女は、ふ、と笑う。
「本気でわたくしを、求めてもいない殿方が、軽々しく、仰有ってはなりません」
「中将」
男は、眉を切なげに引き締めた。
「中将、あなたが、本気でなくとも、私は、本気でしたよ」
「あなたの本気は、閨でだけ力をもつことば。……わたくしは、それに惑わされませんわ。ねえ、この閨でだけ、愛しいあなた。わたくしは、それで充分なの」
中将は、男の唇を指で触れた。
「外にまで、閨の言葉を持ち出す方は苦手だわ。わたくしを、困らせないで。
ほどなく、大納言の、姫ぎみをおむかえする方が、みんなを困らせるようなことを仰せになるのは、良くないわ」
男は、渋々たちあがる。小袖を着せ、単を掛けようとした中将の手を、男が止めた。
「あなたは、一度も単を下さったことはない」
恨みがましい言葉に、中将は、鬱陶しい気分になって、男の手を振り払うと、そのまま、下帯を結んで青の単を着せ、袴を着けさせた。袍の着装まで終えて装束を整えると、男は、名残惜しそうに、去っていく。
男の真意はともかく、こういう朝には、『名残惜しそうに去っていく』のは、殿方の礼儀だ。
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