十六夜の月の輝く頃に

鳩子

文字の大きさ
2 / 8

2.朔(目に見えぬ)月

しおりを挟む
 朝の別れを惜しむ。

 惜しんでいなくとも、惜しむ。

 中将も、別れを惜しむふりしながら男の背中を見送って、昨晩贈られた和歌を破り棄てた。

 そのまま、火鉢にくべて火種にしてしまう。

 あっと言う間に燃え尽きた料紙は、灰になって、ふわりと火鉢から離れたので、中将は手にとって、外へ棄てた。

「中将さん、また、殿方を通わせていたの?」

 眠たげな声で、同僚の小宰相が問いかけた。

宿直とのいは、暇だもの」

 けだるく言いながら、中将は、ひとつ、欠伸をした。

「あら、中将さん、はしたなくってよ?」

 小宰相が眉を潜めてたしなめるのを聞いて、中将は、ふっ、と笑った。

「はしたないのは、昨夜の私かしら、それとも……欠伸かしらね?」

「中将さん、どちらもよ。あなたが、恋多き方だって、わたくしたちは知っているけど、毎回違う殿方を通わせるのは、不品行だわ」

 不品行、と中将は笑みを濃くする。

 そもそも、昨夜の交わりに、恋は存在しない。体温を求めただけだ。

「私は、恋はしないわ。小宰相さん」

「夜毎、違う殿方を通わせているのに、恋をなさらないのね」

「ええ、恋なんかしても仕方がないわ。恋にかまけて、なにも手に付かなくなるなんて、愚かよ。身を滅ぼすような恋をするなんて、愚かの極みね」

 中将の言葉を聞いて、小宰相は微苦笑した。

「中将さん、わたくしはあなたに忠告するけど、ままならないのが、自分の心よ? だから、あなたも、人を嘲るようなことを言ってはならないわ。
 もしかしたら、自分の身に帰ってくるかも知れないのよ?」

 真摯に言う小宰相は、心から中将を心配しているのだ。

 それだけは中将もありがたいことだと解っていたので、素直に、応じた。

「心配して下さって、ありがとう。人を貶めて自分を呪うような事を言うのは、やめておくわ」

「ええ、そうなさって。あなたは、美しいのだから、ご自身の身の上を悲観なさってはならないわ」

 では、わたくしは着替えて参りますわね、と立ち去った小宰相を見送って、中将は、きざはしへと視線を移せば、そこに一人の、素襖すおう姿の、下男がいるのが解った。

 先程の男が寄越した、後朝きぬぎぬの文だ。

 文には、真っ赤な南天の実が添えてあった。

「ありがとう、私からは、もう、お文を差し上げないと、主に伝えてちょうだい」

 なにか言いたげな文遣いを返してから、中将は、内容も確かめずに、文を破り棄てた。

 はらはらと、陛から破った文を空へ放せば、紙は六花のようにふわりと舞って、それだけは価値あることのように、美しかった。

 主である二条関白家の大姫……の部屋へ戻ろうとした中将は、ふ、と足を止めた。



 見ていた。

 一人の武官が、中将の様子をみていた。
 陛の下、庭の前栽せざいの辺りにいるので、禁中警護の宿直の兵衛ひょうえだろう。

 視線が絡むと、彼は恥ずかしげに視線をそらしてから、もう一度、中将を見上げていた。

「中将さん、どうなさったの?」

 陛に立ち尽くしたまま動かない中将を不審に思ったのか、同輩の早良さわらが、聞く。

「いえ、なんでも……」

「なら良いけど……あら、あそこにおいでの兵衛は、源家の若さまね。あなたに見とれているのかしら」

 源家……といえば、二代前の帝(鴛鴦えんおう帝)から姓を賜って出来た一族だ。

 朝廷での勢力はまだそれほど大きなものではないが、野心の翼を広げているとは噂に聞こえてくる。

 もっとも、中将がいるのは、源家にとって最大の敵であるはずの藤原氏二条関白家である。互いに、悪い印象の中での噂など、あてにはならないが。

「見とれているだなんて、あんな、わらべのような子が……」

 兵衛は、年若かった。恐らく、元服して間もないだろう。武官様の装束は、まだ、不恰好に見えるほどで、着なれた感じはない。

 中将と早良が話しているのを聞きつけた同僚の女房たちが部屋から出てくる。

「あら、若い武官ねえ」

「あれはダメよ」

 一人の女房が笑った。

「なにが、ダメなのかしら?」

「あの方、みなもとのかげいさまと仰有るのだけど、本当に、真面目で、うぶなの。ちょっと声を掛けたら、睨まれたわ。はしたないって」

 ああ、成る程、と中将は思った。主の殿舎に宿直の暇にあかして、男を連れ込むような女は、小宰相の言うところの『不品行』だろう。

(あの子、私を侮蔑したのね)

 普段ならば、そういうつまらない男もいるだろうと、中将は切り捨てるのだが、なぜか、気になった。

「そうだ!」

 先程、睨まれたという女房が手を叩く。

「当代切っての恋多き女と名高い、中将さん。あの方を、落とせるかしら?」

「あら、面白い」

「やってごらんなさいよ、あたくしたち、見物してさしあげるから」

 まわりの女房に囃し立てられて、中将は、うんざりした。

「面倒よ」

「いいじゃない。あなた、恋は、本気でするものじゃないんでしょ? あの、朝廷一の真面目な堅物を、落としてみなさいよ。上手く行ったら、これを差し上げるわ」

 先程の女房……相模さがみは、中将に一冊の本を差し出した。

 能筆で知られる先帝の宸筆しんぴつによる、漢籍だった。

 中将が、女だてらに真名(漢字)を遣い、漢文を学んでいるのを、同室で過ごす相模は、よく知っている。

「二言はないわね?」

 中将にとって、二度と手に入れることが出来ない、宝も等しい。

 相模は、たっぷりと頷いて言う。

「ええ。あなたが、見事にあそこにいる、源影を落とせたら、差し上げるわ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたが決めたことよ

アーエル
恋愛
その日は私の誕生日パーティーの三日前のことでした。 前触れもなく「婚約の話は無かったことにしよう」と言われたのです。 ‪✰他社でも公開

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

処理中です...