十六夜の月の輝く頃に

鳩子

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3.臥待(ふしまち)の月

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 いたいけで、ものなれていなそうなわらべをからかうのは、気が進まないけど。

 中将は、そう思いながら、みなもとのかげいの姿を目で追った。

 勤勉で、公務の最中、雑談の一つもしたことはないような男だった。

 当然、陛の上……廊下から、女たちに声をかけられても、ほとんど応じることはない。

 せいぜい、風に飛ばされた物を取ってもらったり、その程度だ。

「あれから、三日にもなるけど、まだ、中将さんの活躍が聞こえてこないわね」

 同僚が、くすくす笑いながら言う。面白がっているのはわかっているので、中将も、まともに相手はしない。

「どういう男か、見ているのよ。好みの一つ、親しい友人の一人知らなければ、確実に落とせないわ」

「それが、あなたが、狙った殿方を確実に仕留める、秘訣なの? そんなことで?」

「そうよ、伊勢さん。あなただって、本当は似合わないけど、あなたが大好きな紅梅のかさね……あれを、見ず知らずの殿御から贈られて、その時に、
『伊勢さまには、きっとこのようなはなやかな装束がお似合いになると思いました。その装束を纏ったあなたに、是非、お逢いしたいものです』なんていわれたら、まんざらでもないでしょう?
 だから、必用なのよ。あの方を、知ることが」

 中将の説を聞いた伊勢は、大きく頷いた。

「さすがだわ、わたくし、良い和歌が作れるようにとばかり、思っていたのよ」

「その、和歌も。……あなたの好きなものとか、あなたにだけ伝わるようなものを織り込むの。……あなたは、その和歌を、あたかも自分の為にだけ作られた特別なものだと思うし、他の方には解らない言葉があれば、みんなの前で披露したとしても、あなたと、その方だけの秘密が隠されていることに、胸が高鳴るでしょうよ」

 伊勢の頬が、ぽっ、と紅くなった。

「そんな和歌、頂いてみたいわ」

 うっとりと、伊勢は呟く。

「そうなるように、差し向けなさいな。かけひきの出来る男なら、視線ひとつで気を引くのも、突き放すのも、容易く出来るものよ」

 だからこそ、こまるのが……と、中将は言葉を飲み込んだ。

 源影のような、堅物だ。

 視線の意味にも気付かず、話しかけるにしても、その端緒も掴めない。そもそも、恋を探している男なら、すぐに相手になるのだが、あちらは……源影は、恋など探している気配がない。

 当世の男子としては、恋もしないような……色めいた噂一つ立たない男は、たとえ、仕事が出来たとしても、つまらない男として見られる。

 源影などは、将来、間違いなく、そうなるだろう。

 賭けをしたとはいえ、厄介な相手だ。

 欄干に凭れながら外をみやっていれば、内舎人うどねりが中将のところへやって来た。

「これは女房殿、憂い顔でおられますが、なにか、お悩みでも?」

 などと声をかけてくる。

 顔も隠さずに迂闊に外にいた軽率を、中将は悔やんだが、内舎人は中将になおも近づいてくる。

 中将は、返事をしなかったが、男は、独りで勝手に喋りながら、中将に手を伸ばした。

 さすがにまずいと思った中将が、立ち上がろうとしたその時だった。

「おまたせいたしました、女房殿! いま、薬師くすしをお呼び致しましたゆえ!」

 息せき切って叫びながら影が、駆け寄ってきた。

 薬師、には心当たりがなかったが、中将は、か細い声で、「はい……」と答えた。

 なにはともあれ、このしつこい内舎人を相手にしなくて済むのはありがたいことだ。

「内舎人殿お引き取りを。二条関白家の女房殿は、急に胸が苦しくなったと、仰せです」

 キッパリと言い切る源影に、中将はあきれながらも、すごすごと内舎人が退散していくのは有りがたかった。

「助かりました。存外、しつこい殿御でしたの」

 まさか、こんな形で源影とやりとり出来るとは思わなかったので、中将は、これは、好機だと思って、やんわりとした笑顔で呼び掛けた。

「……そのようなところで、あられもなくおられたら、ああいう不埒ものを呼び寄せますよ。ただでさえ、あなたは、美しいのですから」

 生真面目にいう影の言葉尻を、中将は、つい、とらえてしまった。影のような男が口にするのは似合わない単語であったからだ。

「美しい? わたくしが?」

 中将に言われて、初めて影は自らの発言に気がついたようだった。

 顔がたちまち夕焼けに染まったように真っ赤になる。

「い、いえ! そのっ! それは、失言で……いや、あなたが美しいというのは、まったく真実なのですけれども!」

 影は、あたふたと身ぶり手振りを交えながら必死で訴える。その姿が、あまりにも一生懸命なので、中将は、悪いとは思いながらも笑ってしまった。

「おかしな方」

 花がほころぶような可憐な笑い方に 影は見とれて、ぼーっと立ち尽していた。

「どうなさいましたの?」

「い、いえっ! 青女せいじょ殿が、その、私のような、武官等に微笑んで下さるとは思わなかったので……胸が苦しくて」

「青女?」

 それは、大陸の神話で雪降らす女神のことだ。

「初めて、あなたを見たとき、その陛からこう、紙を裂いて千切ったものを、宙へ逃していたので……私は、そのお姿を青女のようだと思いました。
 あなたの、女房としての呼び名すら私は、存じ上げませんでしたから、心の中で、青女殿とお呼びしていたのです。
 その……見ず知らずの男から、こんなことをいわれたら、気分がわるくなりますよね」

 頬を赤く染めながらいう源影は、恥ずかしそうに目を伏せた。

「差し出がましいことを致しました。それでは……」

 あわただしく立ち去っていく源影の後ろ姿に声も掛けられず、中将はただ、見ているだけしかできなかった。





 とにかく、切っ掛けは掴めた。 

 中将は、仕事の合間、同僚の女房と交代で休憩に入った時に、文を書くことにした。

 源影に宛てるものだ。

 先日は、助けてもらい、大変助かったという旨の、簡単な文にするつもりだったが、妙に筆が進まない。

 影の、真っ赤な顔を思い出したら、手が止まってしまったのだ。

いこと」

 中将は、呟く。

 殿御に宛てる文などは、半分眠っていても書けるのが、宮中でも恋多き女として名高い、中将の自慢であったのに。

 源影など、子供ではないか。

 中将が恋の相手にするには物足りない相手のはずだし、駆け引きの一つも通じなさそうな、うぶな様子であったのに。

「そうね、あの子が、あんまりうぶなものだから、わたくしも調子が狂うのよ」

 そう納得すると、嘘のようにすらすらと文が仕上がった。



   わたくしを青女のようだと仰有ったあなたのほうが、秋を連れる神のようです。
     あなたを見るたびに、私の頬は、紅葉のように色付いてしまうのだから。


 文の最後に、和歌を書き付けて、中将は、文を同僚らしき兵衛に託した。

 
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