Rain

ゆか

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「何故か君のことが気になって、ブルック氏に会いに行くたびに少しづつ君に近ずいたんだ」



私はレイと知り合った時のことを少しだけ話した。

レイは何処かぼんやりと聞いているようだったが、少し疲れているのかもしれない。




出会った時はまだ製薬会社を立ち上げて間もなかった。ブルック氏には研究資金を提供する代わりに新薬の製薬を依頼していて、定期的に会いに行っていたのだ。


レイは仕事熱心で常に黙々と作業をしていて、私を見ても表情は動かなかった。チラリと一瞥し、すぐ手元に視線を落とす。それが不思議だった。

教授との面会が終わり研究所を出た時は随分遅い時間で、まだポツポツと建物には明かりが灯っていた。

研究室の明かりを見上げながら、時折見える彼女の姿を何となく見ていた。

何故見ていたのか、自分でもよく分からないが、静かな彼女の表情が気になったのかもしれない。

だから目が合ったのは偶然では無い。私はそこで随分長い事見ていたのだから。


まだ20代半ば程の彼女はいつも髪をひっつめて化粧もほとんどしていなかった。あまりに表情も乏しく、大人しいという印象だった。


挨拶から始まりどんな事をしているのかと仕事の話をするようになり、やっとのことで休み時間にカフェでお茶をするようになった。

笑顔を見せてくれるようになるまでは実に長かった。


今まで知り合ったどの女性とも違う。媚びるような態度も興味を引くための駆け引きの仕草もない。ただの仕事上の知り合いであって友人でもない。一歩も二歩も引いた彼女の笑顔を初めて見た時は自分でも驚くほどに動揺したが、ブルック氏に対して時折見せるレイの笑顔はとても自然で、美しかった。



「なかなかガードが硬くて、君の笑顔までは随分かかったよ」

「……何だか、自分が知らない自分の話を聞くのは不思議な感じがするわね」


少し困ったように小さく笑うレイ。記憶を失っていても何も変わらない。


「……レイ、君を愛してる。どうか私の妻になって欲しい」



記憶を無くして不安定の状態で言うのは卑怯だと分かっている。それでもレイを手に入れるのは、こんな状態の今しかないのでは無いかとも思っていた。


レイは静かに私の顔を見つめた。

真っ直ぐに、まるで私の中身を透かして見るかのように。



「前にも言ったと思いますが、私の記憶は戻らないかもしれないの」

「構わない。今のレイも同じように愛してる」

「ラニーの妻として、相応しいとは思えない」

「どのような意味で? 記憶が無いから?」

「……私に実家は無いみたいだし、仕事もない。それにラニーにとって有益な相手は私以外に沢山いるでしょう」

「私が私の妻に求めるのは利益じゃない。一人の男として、愛した女と共に在りたいと思っているんだ」

「本当に何も持っていないのよ。何も、覚えてもいない」


真っ直ぐに見つめていた瞳には少しだけ戸惑いが浮かぶ。


「無理に思い出さなくてもい。思い出はこれからいくらでも作れるから」



レイは戸惑うように顔を伏せ、もう一度顔を上げる。


ほんの僅かな沈黙は、とても長く感じた。


「よろしく、お願いいたします」


レイの表情に戸惑いは消え、真っ直ぐに見つめる瞳には私の姿が映っていた。












プロポーズから私たちの距離は変わった。恋人のように手を繋ぐようになり頬へのキスは軽くだが唇へ。親愛のハグはお互いを確かめ合う様に長いものになった。


結婚式の準備も徐々に進み、いつの間にかレイの笑顔が当たり前になっていた。





いつか記憶が戻るかもしれない。


思い出して欲しい。だが、このまま何も思い出さないでいて欲しいと思う気持ちの方が大きくもある。




あの日、病院からの問い合わせを受けたのは側近でもあるカールだった。

手帳にあった連絡先だけで取り次ぐ事など通常は有り得無いが、患者の特徴を聞いて慌ててカールが取り次いだ。



遠目からだが確かに彼女である事を確認した。知っている彼女とは違い、幾分やつれて見え、その瞳は不安げに揺れていた。

間違いなくレイニー・ブラウンだと告げると、医者からは関係を聞かれることは無く身元引受け人になれるかの確認をされた。病院側としては身元の知れない彼女の処遇に困っていたのだろう。

勿論だと応えると、そこで初めて記憶が無いのだと聞かされた。

事故のことも、私との関係も何もかもを失っていた。

『婚約者』などと苦しいことを言った。だが彼女はそうでも言わなければ私の世話にはならないだろうと思ったのだ。

私の後ろで話を聞いていたカールは直ぐに屋敷に部屋の手配をしてくれ、急な事にも急ぎ対応してくれるカールには頭が下がる。


三日後、屋敷にレイを連れ帰り、私も拠点を街のタウンハウスから同じ屋敷に移した。






記憶の無いレイに求婚するのは卑怯だったろう。


それでも私は受け入れて貰えたことに胸が踊る。

出来ればこのまま思い出さないで欲しいが、何時かは話さなければならないのかもしれない。



いつか来るその日まで、どうか私の傍で笑っていて欲しい。



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