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結婚しても今のところあまり生活には変わりがない。変わったことと言えばらラニーが私の部屋で一緒に休むようになったことだろう。
相変わらず午前中に経済についての勉強を見てもらい、時には簡単な書類整理などの仕事を手伝わせてくれるようにもなった。それ以外の時間はお茶やら散歩やら読書やらと、ゆったりと過ごす。この贅沢な時間の使い方にも随分慣れ、初めは世話をされることになるとよらずうまく話すこともできなかったが、今では屋敷で働く人達とも普通に会話ができるようになった。
もう少しだけ仕事を覚えたら、できればラニーの仕事に同行してみたい。最終的にはそれが目標であるけれども、友人も少なく、研究室にこもりっきりで商業にも触れてこなかった自分にはやはりそれは少し難しい。
ラニーと生きる。そう思うだけで胸がほわりと暖かくなるのを感じた。
「そうか、君は来月から秘書として同行するのか、私の義娘は実に素晴らしいな」
「……恐れ入ります」
「あの日は嫉妬深い息子のせいでなかなか聞くことができなかったが、記憶の方はどうだい? まだまったく駄目なのかな?」
「いえ、もうほとんど……」
嘘ではないと思う。まだ少し曖昧な部分はあるが生活に支障もない。
「そうか、それはよかった、来た甲斐があったよ」
口調とは裏腹に相変わらず厳しい顔のお義父さま。きっと元がこの顔なんだろうと失礼なことを考えながら、暖かいカップに口をつける。
テーブルの上にはお義父さまが持ってきてくださった高級店のケーキや焼き菓子がいくつも並ぶ。
前回お会いしてからさほど日にちは空いていない。
ラニーもカールさんも忙しくここのところ屋敷を開けることが多く、今日も不在だ。
きっとラニーがいたらお義父さまと会うことを渋っただろう、もしくは禁じたかもしれない。それほどまでに、前回の二人の雰囲気は悪かったのだが、だからといって追い返すわけにもいかず、応接間で向かい合って聞かれたことには角が立たない程度に答えた。
「レイニー、君のために用意したものだ、食べてみてはくれないか」
「……はい、ありがとうございます」
優しい声で進められて、華やかな見た目のケーキを一口食べる。
「どうかな。女性に人気だと聞いたのだが、お口に合ったかな?」
「はい。とても美味しいです」
有名店のケーキは口当たりも良く香りも良い。通常の一般人なら口にするのは誕生日や特別な祝い事の日くらいだろう。私もラニーと結婚してなかったら、一生のうちで口にすることは殆ど無かったんじゃないだろうか。
「息子は君にこういった贈り物をしているかい?」
「はい。ここのお店のお菓子はどれも美味しくて。あ、このケーキは今日初めて食べましたが、相変わらずとても美味しい、です」
ラニーがちゃんと夫として妻に尽くしているのかと聞かれたようで、私は慌てて答えた。
お義父さまはとても満足したように頷き、控えていたお共の方に視線を送る。
「今日は結婚祝いを持ってきたんだよ」
すっとお供の方に大きな封筒を差し出され、戸惑いながらもそれを受け取った。
お義父さまを見ると、開けてみろというかのように眉を上げた。
ずっしりと重いそれの封をそっと開くと、一番最初に目に付いたのは、土地の権利書とあった物だ。
「こ、れは」
「土地建物、経営権に至るまで、すべて君の名義に変えてある。これからは好きな時にここのケーキを食べるといい」
どっと背中から汗が吹き出すのを感じ、クラリとした。
何か話さないとそう思っても口からはなかなか言葉が出てこない。緊張で震える指先をぎゅっと握りしめ、浅く吸い深く吐く呼吸を繰り返した。
お義父さまはやはり満足そうに、そして、どこか面白いものでも見るように私を眺める。
からかわれているのだろうか、それだけのためにこんな事をするとも思えない。
「……私のような者に経営など務まるとは思えません。せっかくですが」
「何気にすることはない。しばらくの間は息子のところに引き継ぎのものをよこそう。あれに一緒にやってもらえば良い。それに、あれの横に立つのならば小さな店の一つぐらいこなせなくてどうするのだい?」
「ですが、このような過分なお祝いをいただくわけには」
「アンダーソン家に名誉をもたらせた君に、過分などということはあるまい」
お義父さまの言葉に私の胸はドキリと鳴った。
「ビズマー病の薬は今期の分はタダ同然の格安の値段で卸すのだろう? 来期からは通常に戻すようだが、儲けよりも命が優先と明日の新聞にも載るそうだね」
ビズマー病? 薬? 名誉をなんですって?
なんの事を話しているのか、聞こうにも唇が震えて上手く言葉が出てこない。
なんの事?
何故聞くの。
知ってるじゃない。
そのために学んだ。
ビズマー病は私から沢山のものを奪った。
なぜ忘れていたの。
こんなに大切なことを。
「顔色が悪い。体調が?」
黙り込んだ私を心配したのか、お義父さまが声をかける。
「……いえ」
私はそれに、できる限り笑顔で答えるしかなかった。
そして気が付いた時には、列車に乗り込んでいた。
相変わらず午前中に経済についての勉強を見てもらい、時には簡単な書類整理などの仕事を手伝わせてくれるようにもなった。それ以外の時間はお茶やら散歩やら読書やらと、ゆったりと過ごす。この贅沢な時間の使い方にも随分慣れ、初めは世話をされることになるとよらずうまく話すこともできなかったが、今では屋敷で働く人達とも普通に会話ができるようになった。
もう少しだけ仕事を覚えたら、できればラニーの仕事に同行してみたい。最終的にはそれが目標であるけれども、友人も少なく、研究室にこもりっきりで商業にも触れてこなかった自分にはやはりそれは少し難しい。
ラニーと生きる。そう思うだけで胸がほわりと暖かくなるのを感じた。
「そうか、君は来月から秘書として同行するのか、私の義娘は実に素晴らしいな」
「……恐れ入ります」
「あの日は嫉妬深い息子のせいでなかなか聞くことができなかったが、記憶の方はどうだい? まだまったく駄目なのかな?」
「いえ、もうほとんど……」
嘘ではないと思う。まだ少し曖昧な部分はあるが生活に支障もない。
「そうか、それはよかった、来た甲斐があったよ」
口調とは裏腹に相変わらず厳しい顔のお義父さま。きっと元がこの顔なんだろうと失礼なことを考えながら、暖かいカップに口をつける。
テーブルの上にはお義父さまが持ってきてくださった高級店のケーキや焼き菓子がいくつも並ぶ。
前回お会いしてからさほど日にちは空いていない。
ラニーもカールさんも忙しくここのところ屋敷を開けることが多く、今日も不在だ。
きっとラニーがいたらお義父さまと会うことを渋っただろう、もしくは禁じたかもしれない。それほどまでに、前回の二人の雰囲気は悪かったのだが、だからといって追い返すわけにもいかず、応接間で向かい合って聞かれたことには角が立たない程度に答えた。
「レイニー、君のために用意したものだ、食べてみてはくれないか」
「……はい、ありがとうございます」
優しい声で進められて、華やかな見た目のケーキを一口食べる。
「どうかな。女性に人気だと聞いたのだが、お口に合ったかな?」
「はい。とても美味しいです」
有名店のケーキは口当たりも良く香りも良い。通常の一般人なら口にするのは誕生日や特別な祝い事の日くらいだろう。私もラニーと結婚してなかったら、一生のうちで口にすることは殆ど無かったんじゃないだろうか。
「息子は君にこういった贈り物をしているかい?」
「はい。ここのお店のお菓子はどれも美味しくて。あ、このケーキは今日初めて食べましたが、相変わらずとても美味しい、です」
ラニーがちゃんと夫として妻に尽くしているのかと聞かれたようで、私は慌てて答えた。
お義父さまはとても満足したように頷き、控えていたお共の方に視線を送る。
「今日は結婚祝いを持ってきたんだよ」
すっとお供の方に大きな封筒を差し出され、戸惑いながらもそれを受け取った。
お義父さまを見ると、開けてみろというかのように眉を上げた。
ずっしりと重いそれの封をそっと開くと、一番最初に目に付いたのは、土地の権利書とあった物だ。
「こ、れは」
「土地建物、経営権に至るまで、すべて君の名義に変えてある。これからは好きな時にここのケーキを食べるといい」
どっと背中から汗が吹き出すのを感じ、クラリとした。
何か話さないとそう思っても口からはなかなか言葉が出てこない。緊張で震える指先をぎゅっと握りしめ、浅く吸い深く吐く呼吸を繰り返した。
お義父さまはやはり満足そうに、そして、どこか面白いものでも見るように私を眺める。
からかわれているのだろうか、それだけのためにこんな事をするとも思えない。
「……私のような者に経営など務まるとは思えません。せっかくですが」
「何気にすることはない。しばらくの間は息子のところに引き継ぎのものをよこそう。あれに一緒にやってもらえば良い。それに、あれの横に立つのならば小さな店の一つぐらいこなせなくてどうするのだい?」
「ですが、このような過分なお祝いをいただくわけには」
「アンダーソン家に名誉をもたらせた君に、過分などということはあるまい」
お義父さまの言葉に私の胸はドキリと鳴った。
「ビズマー病の薬は今期の分はタダ同然の格安の値段で卸すのだろう? 来期からは通常に戻すようだが、儲けよりも命が優先と明日の新聞にも載るそうだね」
ビズマー病? 薬? 名誉をなんですって?
なんの事を話しているのか、聞こうにも唇が震えて上手く言葉が出てこない。
なんの事?
何故聞くの。
知ってるじゃない。
そのために学んだ。
ビズマー病は私から沢山のものを奪った。
なぜ忘れていたの。
こんなに大切なことを。
「顔色が悪い。体調が?」
黙り込んだ私を心配したのか、お義父さまが声をかける。
「……いえ」
私はそれに、できる限り笑顔で答えるしかなかった。
そして気が付いた時には、列車に乗り込んでいた。
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