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第六章 対決する物語とハッピーエンド

絡新婦(じょろうぐも)とブラッドソーセージ(その4) ※全5部

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◇◇◇◇

 あれから、彼女の生まれ変わりと出逢えてはいない。
 アタシには本当にあるのかしら、”あやかし”を、人間に生まれ変わらせる権能ちからが。
 ううん、きっとあるはず。
 アタシは童貞を捨てた時に感じたの。
 アタシの中に輪廻を司る権能ちからがあることを。
 
 その権能ちからはこの世の理を歪めてもおかしくないくらい強力で、間違った使い方をすれば、きっと誰も幸せにしない。
 そんな権能ちから

 だからアタシは、あの時、この権能ちからは美しくて醜いもののために使おうと決めた。
 ”恋”というアタシの大好きなもののために。

◇◇◇◇

 『えー、藍ちゃんさんって、今、熊本に旅行中なんですかー! いいなー! あたしも行きたかったなー!』

 TV電話越しに珠子ちゃんの可愛らしい声が聞こえる。

 「ごめんね、今度は珠子ちゃんも誘うから」
 『おみやげー、おみやげー、熊本めいさんー』
 「はいはい、わかったわ」

 ここは熊本のアーケード”下通り”からちょっと離れた所、ガイドブックに載っていた、熊本名産の馬肉料理が美味しいお店。
 名は”さくらん”。
 ネットでは”錯乱”だとか”咲く乱”だとか言われているお店よ。
 ちょっと面白おかしい料理が出てくることで有名なの。

 「はい、ご注文の馬刺しとタルタルステーキおまちっ!」

 お店の大将がアタシたちのテーブルに注文の品を持ってくる。

 『うわー、おいしそー、画面キャプチャ画面キャプチャ』
 「うふふ、お土産に冷凍した物を持って帰るから、返ったら一緒に食べましょうね」
 『うわー、たのしみー! あれ? ねぇ、大将さん、ひょっとしてこのタルタルステーキって叩いて作ってません?』

 あちら側で映っているタルタルステーキの画像を見て、珠子ちゃんが言う。

 「あら、そうなの? それって昔のタタール人と同じ作り方?」
 『そうですそうです、肉を刻んだあと、くらと馬の間に挟んで作る方法です』

 あの日、絡新婦じょろうぐもの彼女から聞いた通りの方法を珠子ちゃんが言う。

 「おっ、お嬢ちゃんたちつうちゃね。そうたい、タルタルステーキの起源の作り方を取り込んでみたとよ」
 『すごーい! 下手な所ではミンチマシーンだけで作る所もあるってのに。そこまで手をかけているなんて……、あれ? ちょっと、藍ちゃんさん右上! メニュー!』
 
 画面の端に映った何かを見て、珠子ちゃんが少し興奮した声を上げる。

 「何かしら? え、角度を変えて? わかったわ、これで見えるかしら」
 
 タブレットをちょっと傾け、アタシは壁のメニューが映るようにする。

 『あーやっぱり”国産ブラッドソーセージ”ですって! マジですか!? 大将さん、これってマジですか!?』
 「ああ、曜日限定だけどね。ちょうど、今日の分が入った所さ。注文すると?」
 『注文します! というか、藍ちゃんさん! お土産に買ってかえってぇ~! なんでもするから~!』
 「どうしたの? そんなに興奮しちゃって。ブラッドソーセージなら東京でも手に入るじゃない」

 あの時、絡新婦じょろうぐもからご馳走になったブラッドソーセージは、90年代前半の日本では珍しかったわ。
 だけど、今は都心であれば簡単に手に入るし、通販だってある。

 『違うんです! あれは輸入品なんですよ! 国産のブラッドソーセージは激レアなんです! あたしは国産信奉者ではありませんが、鮮度が違うのは否めません!』
 「おっ、嬢ちゃん、よう知っとうねぇ。ウチのブラッドソーセージは契約した畜産家から直接買い付けた逸品いっぴんでな、なんと! 今日の午前中にケーシングして、そのままこの店で初茹はつゆでして提供するっとよ!」

 ちょっと自慢そうにお店の大将が言い、キッチンへと入っていく。
 
 『あ゛あ゛あ゛あ゛~!! それって、本場ヨーロッパでも一部の農場でしか食べれないやつじゃないですかぁー! うわわわー! あたしも食べたことないぃぃぃぃー!!』

 ドッスンバッタンと画面の先で珠子ちゃんが揺れ動いている。
 あらま、取り乱した珠子ちゃんを見るなんて初めてね。

 「はいよ! 茹でたてお待ちっ!」
 
 湯気を立てた赤黒いブラッドソーセージがアタシの前に運ばれてくる。
 うふふ、そういえば、ブラッドソーセージはあれから何度も食べたけど、あの日の味が一番だったわね。
 この味は彼女の味にかなうのかしら。

 ブツッ、ジュワー

 歯がソーセージを噛み切ると、そこから肉汁と濃厚な肉の旨みとほんの少しの血の香りが漂う。
 あらやだ、おいしいわ。
 あの時と同じくらい……いいえ、あの時と同じ味!?

 「ね、ねえ大将ちゃん! このブラッドソーセージってひょっとして骨髄が入ってない!?」
 「おおっ! お客さん鋭かね! その通りたい! ひき肉に脂肪、それに内臓に骨髄、そして血! 生命いのちを余すことなく食べ尽くす逸品っとよ!」

 びしっっとサムズアップを決めて大将は言う。

 『うわぁぁぁぁー! 食べたい! 食べたい! たべたぁーい!』
 
 デデデデデデデンと画面の先からテーブルを叩く音が聞こえてくる。
 ちょっとぉ、行儀が悪いわよ珠子ちゃん。

 「ねぇ、大将さん。これを冷凍でお土産にしてくれない? ちょっとこのままでは収まりがつかなそうなの。お金なら奮発するから」
 「うーん、お客さんとお嬢ちゃんの気持ちはわかるっちゃが、この茹でたての味はこの時じゃないと。冷凍すると味が落ちてしまうけんねぇ」
 『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~、そうなんよ! そうなんよ! 冷凍でもきっと美味しいっちゃが、出来立てはまた格別やけん、くやしかぁ~! ああああ~あたしの想いと食い意地よ! 時間と空間を超えて藍ちゃんさんへ届け!』

 あらやだ、大将ちゃんの口調が珠子ちゃんにも伝播しちゃったわ。
 だけど、こればかりはしょうがないわね。
 また今度、熊本旅行にでも誘いましょ。

 「大将ちゃん。とっても美味しかったわ。さすが評判のお店ね。こんなに美味しいタルタルステーキとブラッドソーセージを作ってくれるヒトは初めてよ」

 確かに美味しかったわ、あの日と同じくらい。

 「いやぁ、おほめに預かり光栄なんやけど、実はこれは俺が考えた料理じゃないっちゃ。最初は普通の馬肉料理を出してたっちゃが、ある日、ウチの小学生の娘がアイディアを出して、それをお店で提供したら一部の人に大評判だったとよ。それからやね、この店の評判が上がったのは」

 え? それって……

 「ね、ねぇ、その娘さんって今どこに……」
 「今頃、山で遊んでいるんじゃなかと。というかヒルを捕まえて”真のブラッドソーセージ”を作るとか言ってたけん、きっと山の中やろね。まったく、今日の晩飯が思いやられるったい」

 ヒルを使った”真のブラッドソーセージ”ですって!?

 『へぇ~、それって”ヤマビルの牛血ソーセージ”かもしれませんね』
 「珠子ちゃん、あなた知ってるの!?」
 『あたしも文献で読んだだけですよ。90年代前半に小泉武夫こいずみたけお先生が書いた『寄食珍食』に載っている南米アマゾンの料理です。血吸いヒルに牛の血をたーっぷり吸わせて、血でパンパンになったヒルを茹でたり焼いたり、煮込んだりして食べる料理です。美味しいって書いてありました』

 あの料理と同じだわ!
 というか、きっと彼女が読んだのも同じ文献じゃないかしら。

 「うげぇ、そりゃ勘弁っちゃ。しゃーなか、また隣の八幡やはた君に食わせっか」
 
 弥太やた? いいえ八幡やはた!?

 「ね、ねぇ、その八幡君って……」
 「娘の幼馴染ったい。結構、ひどい目に遭っているようにも見えるっちゃが、なんでかウチの娘にご執心でな。娘もまんざらでもないようやけん、ま、温かい目でみちょる」
 「そう、そうなの、仲がいいのね。よかったわ」
 『仲良しさんなのはいいことですよねー』

 珠子ちゃんはきっと何もわかっていないのでしょうね。
 ううん、わかるはずもないわ。
 これはアタシだけの秘密の思い出にしておきましょ。

 「ほいこれ、冷凍のブラッドソーセージ。ちょっとサービスしとるけん、あの食いしん坊のお嬢ちゃんによろしくな」
 『やったー! あたしは食いしん坊のお嬢ちゃんですとよ!』
 「ありがと。ああ、大将ちゃん、お礼と言っては何だけど、もしあなたの娘ちゃんが東京に遊びにくることになったら、八王子の『酒処 七王子』においでって伝えておいて。アタシたちがやっているお店なのよ。ごちそうするわ」
 「ああ、そのうち修学旅行で東京へ行くこともあるっけん。行った時に寄ってみるよう伝えとっちゃる」

 そして、カランとベルの音を立てアタシは店を出た。
 さすが九州の夏の日差しは暑いわね、でもこんな暑い日でも子供は元気だわ。

 アタシの目の前から仲良く手をつないだ一組の少年少女が虫取りかごを抱えながら歩いてくる。
 あれが大将ちゃんの娘ちゃんと幼馴染ちゃんかしら。
 ううん、きっとそう、だってその虫かごにはヒルがウネウネと動いているんだもの。

 いつか、彼女たちが『酒処 七王子』を訪れたら、その時はとびっきりの笑顔で……
 からかってやろうかしら。

◇◇◇◇

 ザザーンと波の音が聞こえる。
 ここはあの日、アタシが彼女の亡骸なきがらと彼の髑髏を埋めた墓。

 「んもう、アタシの権能ちからで殺しちゃうと、死体が残っちゃうなんて思わなかったわよ」

 もはや魂すら残っていない、地下の亡骸に向けてアタシは愚痴をこぼす。
 ”あやかし”は普通死ぬと、その身体は霧散し、幽世かくりよで現界する。
 だから死体なんて残らない……はずだった。
 だけど、アタシの権能ちからで殺しちゃうと、そのことわりから外れ、人間と同じように死体が残っちゃうみたい。
 ま、食べてるものは殆ど同じだから、そりゃそうだと思うけど。

 「あれからね、いろんなことがあったの。黄貴こうき兄さんが復活して、資金面での余裕が生まれて、『酒処 七王子』がオープンして、紫君しーくんちゃんと蒼明そうめいちゃんも封印から覚めたわ。アタシのお店では人間も働いているのよ、すぐ辞めちゃうけど。アンちゃんに安場アンバ―ちゃん、安藤龍アンドリューちゃんに、有栖アリスちゃん。今は珠子ちゃんって娘と一緒に働いているわ」

 この声はただのつぶやき。
 死者に向けたものじゃなく、アタシの中でアタシの気持ちを整理する言葉。

 「また、来年、ここに来るわ。その時は……大悪龍王様、ううん次の妖怪王と一緒に来るかもしれないわね」

 ”あやかし”の死体なんて見つかったら大変!
 だから、アタシはここに人間が近づかないように人払いの術をかけた。
 そして一年に一回ずつ、それをかけ直す。
 まるで墓参りするみたいに。
 だけど、地から感じる妖気の残滓ざんしはもはやわずかで、それは亡骸が地にかえっているの示している。
 あと数年でそれは消えるだろう。
 
 「さてと、次は東京で逢いましょ。その時は満点の料理を作ってくれることを期待するわ」

 潮騒の音を背にアタシはその場を去ろうとする。
 が、何者かの気配を感じ足を止めた。
 人間? ううん、人間に似ているけど”あやかし”の気配ね。
 橋姫ちゃんみたいな人間から妖怪になった”あやかし”かしら。

 地面がむくりと起き上がり、そこに潜んでいた誰かから糸が飛ばされる。
 
 「あらま、懐かしい」

 アタシは糸の張力を、その糸の特性を無効化する。
 その糸はアタシに届かず、だらりと地面に落ちた。

 「残念だったわね。アタシには通じないわよ」
 「くっ!?」

 地面の下からハスキーな声が聞こえ、そこから誰かが飛び出してくる。
 
 「師匠の仇! 覚悟ぉ!」

 森から飛び出してきたのはひとりの男の子。
 和風の羽織を纏い、日本刀を振りかぶった、美貌の男の子だったわ。
 あらやだ、カッコいいじゃない。
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