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第六章 対決する物語とハッピーエンド
若菜姫とロースハム(中編)
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◇◇◇◇
その直売所は簡素だった。
僕は買い出しを終え、再び熊本に戻り、仕入れたハムやソーセージを手に再び森に侵入。
ビュッ
森に入るやいなや、木の陰から何かの噴出音が聞こえ、何かが僕の腕に命中。
それは糸。
ビュッビュッ、ビュッ
糸で腕が封じられ、動きが鈍くなった僕に次々と糸の雨。
そして、そのまま糸は蜘蛛の糸に編み上げられ、僕は木々の間に捕らえられる。
「……なんのつもり?」
僕の視線の先には大蜘蛛に乗った侍の姿。
「ハハハ! ノコノコとやって来おって! お前を人質に師匠の仇を取ってくれる!」
「……なるほど、そういうつもり」
「いかにも!」
ふぅ
「……いいよ、そうするといい」
「やけに殊勝だな? ひょっとして、お前は囮か!?」
蜘蛛の網の上をゆっくり近づいて来る侍の動きが停止。
このベトベトした糸にくっつかないなんて、蜘蛛凄い。
「……違うよ。だけど、僕を人質に兄さんの所に行く前に、ひとつお願いがある」
「何だ?」
「……復讐の前に僕の料理を食べて欲しい」
「はっ! くだらない!」
「くだらなくない!!」
僕は何度も見てきた。
珠子姉さんの料理で”あやかし”たちが笑顔になってきたのを。
それを馬鹿にされると、温厚な僕でも腹が立つ。
ゴロゴロゴロゴロッ
僕の身体が雷のような音を立て、光に包まれる。
帯電の熱で蜘蛛の糸は焼ききれ、僕は地面に着地。
このまま雷光に乗って飛べば、僕の友達、雷獣の技”雷鳴一閃”。
雷速で敵を切り裂く必殺技。
「ふ、ふん、やはり囮だったようだな。いや、囮に見せかけた本命か!?」
侍が蜘蛛から降り、刀を構える。
だけど、僕は飛ばない。
だって、この技って木のような障害物にぶつかると痛いから。
「ど、どうした。かかって来ないのか!?」
「……止めた。僕は君と戦いにきたわけじゃないから。それに、もう一度言うけど、料理はくだらなくない」
僕は言う、少し強めの語気で。
「わかった」
そう言って侍は刀を下ろす。
よかった、理解してもらえたみたい。
「だったら! 私がお前の料理を食べて、それがくだらないって証明してやる!」
……こいつ、ひょっとして、めんどくさいヤツ?
◇◇◇◇
現代日本には便利なキャンプグッズがいっぱいある。
この折り畳みテーブルと椅子もそう。
僕の異空間格納庫の容量は僕も大体しかわからないけど、限界はある。
だから、こんなにコンパクトなのは重要。
そして、日本はキャンプ用の調理道具も充実。
「それで、何を食べさせてくれるのだ?」
「……ソーセージ入りのポトフと、厚切りロースハムステーキ、そして生ハムメロン」
これは、買い出しの後、珠子姉さんに教えてもらったレシピのメニュー。
「ほう、なかなか旨そうなお品書きだな」
コトコトコトと固形燃料の上で沸くお湯。
その中で野菜と一緒に茹でられているのがソーセージ。
皮が熱でプリッと弾け、それの裂け目から旨みの脂が流出中。
「だけど、どうして鍋がふたつもあるのだ?」
「……食べれば理由はわかるよ」
サクッとメロンを切りながら僕は言う。
いつか珠子姉さんと一緒に台所のお手伝いをするために僕は料理を練習中。
少しは包丁使いも少しはさまになってきたかな。
「へぇ、楽しそうに料理するんだな」
おっと、いけない、珠子姉さんと一緒の台所シチュを想像して、顔がにやけた。
「……料理はとっても楽しいし、それを食べてくれる相手の笑顔を想像すればもっと楽しくなる」
フライパンの上では厚切りロースハムがジュージュー鳴く。
「そういうものなのか」
「……そうさ」
これは珠子姉さんがよく言っている台詞で、僕も好きな言葉。
この料理はこいつに食べさせるためのものだけど、いい味だったら珠子姉さんにもごちそうするつもり。
喜んでくれるといいな。
「……できた。ソーセージのポトフと厚切りロースハムステーキ、生ハムメロンの各2種盛り」
テーブルの上には彼と僕の分。
ポトフの入ったふたつの小鍋と4つのお椀。
ロースハムステーキは半月状に切られた物が僕と彼の皿に2枚ずつ。
そして2種の生ハムメロン。
「各2種盛りということは、この料理は同じメニューでも2種類ずつあるということか」
「……そう。じゃ、食べよう。いただきます」
僕は両手を合わせてスプーンを取る。
侍は……両手を握り合わせて、数秒目を瞑った後に食器を取った。
「では俺も食べるとしよう。まずは洋風汁椀から」
彼の唇が器に触れ、スープが音もなく口に吸収。
「ふむ、普通の豚の腸詰め入り野菜スープのようだが……なんだろう、少し懐かしいような……」
そしてスプーンで具のソーセージを口にした時、
「!?」
彼の目が大きく見開いた。
「これは!? この味は!? まさか師匠の!? いや、微妙に違う!?」
「……もうひとつのスープも食べなよ。そっちは君の師匠の味にもっと近いと思う」
彼が最初に食べたのは普通のソーセージ入りのポトフ。
そして、もう一方は……赤黒いソーセージが入ったポトフだ。
ズッ、ズズッ、ブチィ、カカカカカッ
最初の上品な仕草とは打って変わって、彼はポトフの具ごとそれをかき込む。
「これは! まぎれもなく師匠の味! たまに逢いに行った時にご馳走してくれた味!」
「……そっちのポトフに入っているブラッドソーセージは君の師匠の特製レシピらしい。なんでも、ひき肉と内臓と血の他に、骨髄が入っているとか」
普通のソーセージは僕が八幡の直売所で買った物。
ブラッドソーセージは藍蘭兄さんが持っていた珠子姉さんへのお土産を使用。
ごめん珠子姉さん、明日また、あのお店で追加のブラッドソーセージをお土産に買うから。
「どうしてこの師匠の味を!?」
「……このブラッドソーセージは君の師匠の生まれ変わりと思われる女の子が考案したレシピ。君の師匠の味を憶えていた兄さんが偶然見つけた」
「そんなことありえるか!? ”あやかし”が人間に生まれ変わるなんてあるはずがない!」
「……藍蘭兄さんにはその権能がある。僕は信じている。それに君の師匠の味とその秘密を兄さんが憶えていたのは事実。これは、君の師匠と兄さんが一定の信頼で結ばれていた証。兄さんと君の師匠が互いに争い合った結果、君の師匠が殺されたって思ってるのは誤解」
「そ、それはそうかもしれぬが……」
彼の言葉が詰まる。
「……じゃあ次、そこのロースハムステーキを食べて。それもきっと君の師匠が作るハムの味に似ているはず」
僕の声に彼の視線は半月状の2枚のハムステーキに移動。
「ふん、市販のハムで作ったハムステーキなぞに師匠の味が再現できるはずも」
彼は見ているはず、僕が市販のロースハムを取り出して調理している所を。
だからそう思うのは当然。
彼がナイフでハムを切り、口に運ぶ。
僕も。
ギュ、ギュ、ギュ
その弾力はハムというよりもステーキのような力強い歯ごたえ。
そこからにじみ出る肉汁は融けた脂ではなく、細胞ひとつひとつから染み出る旨み。
「……おいしい! ハムステーキってこんなに美味しかったんだ!」
思わず声が出る。
もう一枚のハムステーキは弾力こそ少し弱いけど、その肉の旨みは、もう一方に負けずとも劣らない。
人によっては、柔らかくておいしいって思うかも。
2種類のハムステーキはどちらも僕が今まで食べた中で、最高と最上の味だった。
「お前の言う通りだ……これは師匠のハムの味。昔、師匠はこのハムの作り方を独逸人に習ったと言っていた。確か、その独逸人の名は……」
「……アウグスト・ローマイヤー」
「そう、それだ! 知っているのか!?」
やっぱり珠子姉さんの予想は的中。
絡新婦にハムやソーセージの作り方を教えたのはアウグスト・ローマイヤー。
「……その人は第一次世界大戦で日本軍の捕虜となって、この熊本の捕虜収容所に送られたドイツ人。その時に収容所の調理担当になって、当時の日本では珍しかったハムやソーセージの作り方を伝えた。そして、そのまま日本に永住したらしい」
「そういえば、さっきの包みにもローマイヤーと印刷してあったな。なるほど、これは師匠の、ハムの師匠の味だったか。しかしなぜ2種類のハムがある? 味は似ているのだが……」
「……この2種類のハムのメーカーは”ローマイヤーハム”と”ヤギシタハム”。”ヤギシタハム”の創立者である八木下 俊三もローマイヤーの弟子だった。さて、ここで問題。このどっちがローマイヤーハムだかわかる?」
僕の問いに彼は一方のハムをパクリ。
それは弾力のある方。
「こちらだろう。こっちの方がより師匠の味に近い」
「……残念、不正解。そっちはヤギシタハム。こっちがローマイヤーハム」
「そんな? 嘘をつくな!」
「嘘じゃない、ほら」
僕はまだ包みが取れてないハムをふたつ差し出す。
包みには”ローマイヤ”と”やぎした”。
そのブランド名が印刷。
彼はそのふたつを僕の手からもぎ取ると、ガブリガブリと大きな口でそれを食べる。
「本当だ……ヤギシタハムの方が師匠の味に近い……」
「……これはね、僕の家の料理人が言ってたんだけど、
『現代の”ローマイヤハム”と”ヤギシタハム”のどちらが大本のアウグスト・ローマイヤーさんの味に近いかと言われたら、あたしは”ヤギシタハム”ではないかと思います。ローマイヤーハムの方は現代に合わせて少し柔らかくアレンジをしているんですよ。逆にヤギシタハムの方は伝統の製法を極力守っています。ちょっと固めで水分も少な目ですね。歯ごたえガシガシ、旨みマシマシのヤギシタハム。しっとり柔らかお子様やお年寄りもニコニコのローマイヤハムですっ!』
……だってさ」
「そうか、その八木下とやらは、師匠の兄弟弟子にあたる。そしてその兄弟弟子の方が、アウグスト・ローマイヤーの味を守っていて、アウグスト・ローマイヤーの後継者はその味を工夫しているのか」
「……そう。でもどちらかが優れているとかという話じゃない、新しい味の探求も、伝統を守るのもどっちも重要」
『消費者としては、どっちも食べたい!』
なんて、珠子姉さんは言ってた。
「つまり、このロースハムステーキには戦争で捕虜になったにも関わらず、日本に骨を埋めたアウグスト・ローマイヤーの精神とそれを継ぐ者の意志が込められていると言いたいのだな。争いあった過去があっても、交流の中で信頼や尊敬を集め、絆を深めた人の歴史が。そして、それは今も脈々と受け継がれていると」
「……そう。君と兄さんは戦い合ったけど、その過去を水に流して和解できるはず」
僕と彼の間に少しの間が流れる。
「こ、この最後の料理は何だ? 見た目はただの生ハムメロンに見えるが……」
少し気まずくなった雰囲気を変えようと、彼は最後の皿を指さす。
そこには2種類の生ハムメロン。
小口サイズに切られたメロンに生ハムが巻かれた”メロンの生ハム巻”。
一口大に切られたメロンに小さな生ハムの片が乗った”メロンの生ハムのせ”。
「……こっちから食べて」
僕は”メロンの生ハム巻き”を前へ。
「わかった」
メロンの生ハム巻きが彼の口から響かせたのは、シャクッとした音。
「ほう! 市井で食べる生ハムメロンは別々に食べた方が良いと思った事もあるが、こいつは違うな。メロンの甘味は控え目で生ハムの塩気と良く合う」
シャクリ
僕も彼に続いて、メロンの生ハム巻きを口へ。
うん、生ハムの強いしょっぱさをメロンの水分と爽やかさが中和して、その旨みが引き立っている。
おいしい。
「これは良い味だ。では、こちらは……」
続いて彼手が伸びたのは”メロンの生ハムのせ”。
ジャクッ
「これは! さっきのより甘味が強い! いや、甘味が強いだけではない、これは生ハムの塩気が甘味を引き立てている! スイカに塩のように! なるほど、だからメロンは大き目で生ハムは小さ目なのだな」
ジュワッ
僕の口の中でもメロンがその汁を放出。
その甘味は生ハムの塩分で強調され、口の中で大きな甘露の花を開く。
うん、珠子姉さんの言ってた通り。
甘くておいしい。
「この味の秘密は何だ? どちらも美味いがその美味さの質が違う」
「……秘密はメロンの種類と生ハムの量の差だよ。生ハム巻きの方はシャリっという食感が豊かで甘味の控え目な”ニューメロン”という品種。生ハムのせの方は少し柔らかめで甘味の強い”プリンスメロン”。ちなみに”プリンスメロン”は”ニューメロン”と”シャランテメロン”の交配種。どちらも熊本名産」
珠子姉さんは『生ハムメロンなら、本場ヨーロッパのカンタロープ種のメロンで作りたい所ですが、日本での販売は少ないので、九州で手に入りやすいニューメロンとプリンスメロンにしましょう』なんて言ってた。
「……よくレストランで出される生ハムメロンは甘味の強いマスクメロンに塩気の少ない現代風の生ハムをのせているので、味がちぐはぐ。強すぎるマスクメロンの甘味が、生ハムの味を殺してしまっているから」
『バブルの時に ”とにかく高いメロンと高い生ハムを組み合わせればいい!” なんて形で日本に生ハムメロンが広まったっちゃったので、日本の生ハムメロンはその真の美味しさが伝わっていません。本場ヨーロッパのように甘味の控え目のメロンと本格的な塩気の強い生ハムを組み合わせるべきです!』
なんて珠子姉さんは言ってたけど、食べてみると分かる、同意。
「……この”ニューメロンの生ハム巻き”は野菜にも似た食味のニューメロンで本格生ハムの味をさっぱりと味わえる前菜。そして”プリンスメロンの生ハムのせ”は新しい生ハムメロンの形として、プリンスメロンの甘味を引き立てるために生ハムを使ったデザート」
ちなみにプリンスメロンは昭和後半から平成初期には人気が高かったが、より甘味の強いアンデスメロンやマスクメロンに押されて、今は作付けは減っているらしい。
珠子姉さんは『安くておいしい、昭和の人には思い出のメロンなんですけどねぇ』なんて言ってた。
「そうか、生ハムメロンという料理は、その素材を単純にそれを組み合わせるだけでなく、互いの性質を見極めなくてはならないのだな」
「……そう、互いの理解が必要」
僕はもうひとつ”プリンスメロンの生ハム乗せ”を口に追加。
口にジュワッと生ハムの塩気で甘さの引き立った果汁があふれる。
やはり最後は甘い物がいい。
「誤解を解き、和解を経て、理解を深める。さすれば、道は開けるということか……」
「……その通り。わかってくれた?」
「ああ、お前の言う通り、料理はくだらなくない」
よかった、わかってくれたみたい。
ん? 料理は?
「この料理に込められた心で、お前は信頼できる男だとわかった。だが! あの男がお前にすらも嘘を言っていないという証拠にはならん! お前すらもだましているやもしれぬ! それがわからぬ限りは、俺はヤツを狙い続ける!」
ダメだこいつ……
その直売所は簡素だった。
僕は買い出しを終え、再び熊本に戻り、仕入れたハムやソーセージを手に再び森に侵入。
ビュッ
森に入るやいなや、木の陰から何かの噴出音が聞こえ、何かが僕の腕に命中。
それは糸。
ビュッビュッ、ビュッ
糸で腕が封じられ、動きが鈍くなった僕に次々と糸の雨。
そして、そのまま糸は蜘蛛の糸に編み上げられ、僕は木々の間に捕らえられる。
「……なんのつもり?」
僕の視線の先には大蜘蛛に乗った侍の姿。
「ハハハ! ノコノコとやって来おって! お前を人質に師匠の仇を取ってくれる!」
「……なるほど、そういうつもり」
「いかにも!」
ふぅ
「……いいよ、そうするといい」
「やけに殊勝だな? ひょっとして、お前は囮か!?」
蜘蛛の網の上をゆっくり近づいて来る侍の動きが停止。
このベトベトした糸にくっつかないなんて、蜘蛛凄い。
「……違うよ。だけど、僕を人質に兄さんの所に行く前に、ひとつお願いがある」
「何だ?」
「……復讐の前に僕の料理を食べて欲しい」
「はっ! くだらない!」
「くだらなくない!!」
僕は何度も見てきた。
珠子姉さんの料理で”あやかし”たちが笑顔になってきたのを。
それを馬鹿にされると、温厚な僕でも腹が立つ。
ゴロゴロゴロゴロッ
僕の身体が雷のような音を立て、光に包まれる。
帯電の熱で蜘蛛の糸は焼ききれ、僕は地面に着地。
このまま雷光に乗って飛べば、僕の友達、雷獣の技”雷鳴一閃”。
雷速で敵を切り裂く必殺技。
「ふ、ふん、やはり囮だったようだな。いや、囮に見せかけた本命か!?」
侍が蜘蛛から降り、刀を構える。
だけど、僕は飛ばない。
だって、この技って木のような障害物にぶつかると痛いから。
「ど、どうした。かかって来ないのか!?」
「……止めた。僕は君と戦いにきたわけじゃないから。それに、もう一度言うけど、料理はくだらなくない」
僕は言う、少し強めの語気で。
「わかった」
そう言って侍は刀を下ろす。
よかった、理解してもらえたみたい。
「だったら! 私がお前の料理を食べて、それがくだらないって証明してやる!」
……こいつ、ひょっとして、めんどくさいヤツ?
◇◇◇◇
現代日本には便利なキャンプグッズがいっぱいある。
この折り畳みテーブルと椅子もそう。
僕の異空間格納庫の容量は僕も大体しかわからないけど、限界はある。
だから、こんなにコンパクトなのは重要。
そして、日本はキャンプ用の調理道具も充実。
「それで、何を食べさせてくれるのだ?」
「……ソーセージ入りのポトフと、厚切りロースハムステーキ、そして生ハムメロン」
これは、買い出しの後、珠子姉さんに教えてもらったレシピのメニュー。
「ほう、なかなか旨そうなお品書きだな」
コトコトコトと固形燃料の上で沸くお湯。
その中で野菜と一緒に茹でられているのがソーセージ。
皮が熱でプリッと弾け、それの裂け目から旨みの脂が流出中。
「だけど、どうして鍋がふたつもあるのだ?」
「……食べれば理由はわかるよ」
サクッとメロンを切りながら僕は言う。
いつか珠子姉さんと一緒に台所のお手伝いをするために僕は料理を練習中。
少しは包丁使いも少しはさまになってきたかな。
「へぇ、楽しそうに料理するんだな」
おっと、いけない、珠子姉さんと一緒の台所シチュを想像して、顔がにやけた。
「……料理はとっても楽しいし、それを食べてくれる相手の笑顔を想像すればもっと楽しくなる」
フライパンの上では厚切りロースハムがジュージュー鳴く。
「そういうものなのか」
「……そうさ」
これは珠子姉さんがよく言っている台詞で、僕も好きな言葉。
この料理はこいつに食べさせるためのものだけど、いい味だったら珠子姉さんにもごちそうするつもり。
喜んでくれるといいな。
「……できた。ソーセージのポトフと厚切りロースハムステーキ、生ハムメロンの各2種盛り」
テーブルの上には彼と僕の分。
ポトフの入ったふたつの小鍋と4つのお椀。
ロースハムステーキは半月状に切られた物が僕と彼の皿に2枚ずつ。
そして2種の生ハムメロン。
「各2種盛りということは、この料理は同じメニューでも2種類ずつあるということか」
「……そう。じゃ、食べよう。いただきます」
僕は両手を合わせてスプーンを取る。
侍は……両手を握り合わせて、数秒目を瞑った後に食器を取った。
「では俺も食べるとしよう。まずは洋風汁椀から」
彼の唇が器に触れ、スープが音もなく口に吸収。
「ふむ、普通の豚の腸詰め入り野菜スープのようだが……なんだろう、少し懐かしいような……」
そしてスプーンで具のソーセージを口にした時、
「!?」
彼の目が大きく見開いた。
「これは!? この味は!? まさか師匠の!? いや、微妙に違う!?」
「……もうひとつのスープも食べなよ。そっちは君の師匠の味にもっと近いと思う」
彼が最初に食べたのは普通のソーセージ入りのポトフ。
そして、もう一方は……赤黒いソーセージが入ったポトフだ。
ズッ、ズズッ、ブチィ、カカカカカッ
最初の上品な仕草とは打って変わって、彼はポトフの具ごとそれをかき込む。
「これは! まぎれもなく師匠の味! たまに逢いに行った時にご馳走してくれた味!」
「……そっちのポトフに入っているブラッドソーセージは君の師匠の特製レシピらしい。なんでも、ひき肉と内臓と血の他に、骨髄が入っているとか」
普通のソーセージは僕が八幡の直売所で買った物。
ブラッドソーセージは藍蘭兄さんが持っていた珠子姉さんへのお土産を使用。
ごめん珠子姉さん、明日また、あのお店で追加のブラッドソーセージをお土産に買うから。
「どうしてこの師匠の味を!?」
「……このブラッドソーセージは君の師匠の生まれ変わりと思われる女の子が考案したレシピ。君の師匠の味を憶えていた兄さんが偶然見つけた」
「そんなことありえるか!? ”あやかし”が人間に生まれ変わるなんてあるはずがない!」
「……藍蘭兄さんにはその権能がある。僕は信じている。それに君の師匠の味とその秘密を兄さんが憶えていたのは事実。これは、君の師匠と兄さんが一定の信頼で結ばれていた証。兄さんと君の師匠が互いに争い合った結果、君の師匠が殺されたって思ってるのは誤解」
「そ、それはそうかもしれぬが……」
彼の言葉が詰まる。
「……じゃあ次、そこのロースハムステーキを食べて。それもきっと君の師匠が作るハムの味に似ているはず」
僕の声に彼の視線は半月状の2枚のハムステーキに移動。
「ふん、市販のハムで作ったハムステーキなぞに師匠の味が再現できるはずも」
彼は見ているはず、僕が市販のロースハムを取り出して調理している所を。
だからそう思うのは当然。
彼がナイフでハムを切り、口に運ぶ。
僕も。
ギュ、ギュ、ギュ
その弾力はハムというよりもステーキのような力強い歯ごたえ。
そこからにじみ出る肉汁は融けた脂ではなく、細胞ひとつひとつから染み出る旨み。
「……おいしい! ハムステーキってこんなに美味しかったんだ!」
思わず声が出る。
もう一枚のハムステーキは弾力こそ少し弱いけど、その肉の旨みは、もう一方に負けずとも劣らない。
人によっては、柔らかくておいしいって思うかも。
2種類のハムステーキはどちらも僕が今まで食べた中で、最高と最上の味だった。
「お前の言う通りだ……これは師匠のハムの味。昔、師匠はこのハムの作り方を独逸人に習ったと言っていた。確か、その独逸人の名は……」
「……アウグスト・ローマイヤー」
「そう、それだ! 知っているのか!?」
やっぱり珠子姉さんの予想は的中。
絡新婦にハムやソーセージの作り方を教えたのはアウグスト・ローマイヤー。
「……その人は第一次世界大戦で日本軍の捕虜となって、この熊本の捕虜収容所に送られたドイツ人。その時に収容所の調理担当になって、当時の日本では珍しかったハムやソーセージの作り方を伝えた。そして、そのまま日本に永住したらしい」
「そういえば、さっきの包みにもローマイヤーと印刷してあったな。なるほど、これは師匠の、ハムの師匠の味だったか。しかしなぜ2種類のハムがある? 味は似ているのだが……」
「……この2種類のハムのメーカーは”ローマイヤーハム”と”ヤギシタハム”。”ヤギシタハム”の創立者である八木下 俊三もローマイヤーの弟子だった。さて、ここで問題。このどっちがローマイヤーハムだかわかる?」
僕の問いに彼は一方のハムをパクリ。
それは弾力のある方。
「こちらだろう。こっちの方がより師匠の味に近い」
「……残念、不正解。そっちはヤギシタハム。こっちがローマイヤーハム」
「そんな? 嘘をつくな!」
「嘘じゃない、ほら」
僕はまだ包みが取れてないハムをふたつ差し出す。
包みには”ローマイヤ”と”やぎした”。
そのブランド名が印刷。
彼はそのふたつを僕の手からもぎ取ると、ガブリガブリと大きな口でそれを食べる。
「本当だ……ヤギシタハムの方が師匠の味に近い……」
「……これはね、僕の家の料理人が言ってたんだけど、
『現代の”ローマイヤハム”と”ヤギシタハム”のどちらが大本のアウグスト・ローマイヤーさんの味に近いかと言われたら、あたしは”ヤギシタハム”ではないかと思います。ローマイヤーハムの方は現代に合わせて少し柔らかくアレンジをしているんですよ。逆にヤギシタハムの方は伝統の製法を極力守っています。ちょっと固めで水分も少な目ですね。歯ごたえガシガシ、旨みマシマシのヤギシタハム。しっとり柔らかお子様やお年寄りもニコニコのローマイヤハムですっ!』
……だってさ」
「そうか、その八木下とやらは、師匠の兄弟弟子にあたる。そしてその兄弟弟子の方が、アウグスト・ローマイヤーの味を守っていて、アウグスト・ローマイヤーの後継者はその味を工夫しているのか」
「……そう。でもどちらかが優れているとかという話じゃない、新しい味の探求も、伝統を守るのもどっちも重要」
『消費者としては、どっちも食べたい!』
なんて、珠子姉さんは言ってた。
「つまり、このロースハムステーキには戦争で捕虜になったにも関わらず、日本に骨を埋めたアウグスト・ローマイヤーの精神とそれを継ぐ者の意志が込められていると言いたいのだな。争いあった過去があっても、交流の中で信頼や尊敬を集め、絆を深めた人の歴史が。そして、それは今も脈々と受け継がれていると」
「……そう。君と兄さんは戦い合ったけど、その過去を水に流して和解できるはず」
僕と彼の間に少しの間が流れる。
「こ、この最後の料理は何だ? 見た目はただの生ハムメロンに見えるが……」
少し気まずくなった雰囲気を変えようと、彼は最後の皿を指さす。
そこには2種類の生ハムメロン。
小口サイズに切られたメロンに生ハムが巻かれた”メロンの生ハム巻”。
一口大に切られたメロンに小さな生ハムの片が乗った”メロンの生ハムのせ”。
「……こっちから食べて」
僕は”メロンの生ハム巻き”を前へ。
「わかった」
メロンの生ハム巻きが彼の口から響かせたのは、シャクッとした音。
「ほう! 市井で食べる生ハムメロンは別々に食べた方が良いと思った事もあるが、こいつは違うな。メロンの甘味は控え目で生ハムの塩気と良く合う」
シャクリ
僕も彼に続いて、メロンの生ハム巻きを口へ。
うん、生ハムの強いしょっぱさをメロンの水分と爽やかさが中和して、その旨みが引き立っている。
おいしい。
「これは良い味だ。では、こちらは……」
続いて彼手が伸びたのは”メロンの生ハムのせ”。
ジャクッ
「これは! さっきのより甘味が強い! いや、甘味が強いだけではない、これは生ハムの塩気が甘味を引き立てている! スイカに塩のように! なるほど、だからメロンは大き目で生ハムは小さ目なのだな」
ジュワッ
僕の口の中でもメロンがその汁を放出。
その甘味は生ハムの塩分で強調され、口の中で大きな甘露の花を開く。
うん、珠子姉さんの言ってた通り。
甘くておいしい。
「この味の秘密は何だ? どちらも美味いがその美味さの質が違う」
「……秘密はメロンの種類と生ハムの量の差だよ。生ハム巻きの方はシャリっという食感が豊かで甘味の控え目な”ニューメロン”という品種。生ハムのせの方は少し柔らかめで甘味の強い”プリンスメロン”。ちなみに”プリンスメロン”は”ニューメロン”と”シャランテメロン”の交配種。どちらも熊本名産」
珠子姉さんは『生ハムメロンなら、本場ヨーロッパのカンタロープ種のメロンで作りたい所ですが、日本での販売は少ないので、九州で手に入りやすいニューメロンとプリンスメロンにしましょう』なんて言ってた。
「……よくレストランで出される生ハムメロンは甘味の強いマスクメロンに塩気の少ない現代風の生ハムをのせているので、味がちぐはぐ。強すぎるマスクメロンの甘味が、生ハムの味を殺してしまっているから」
『バブルの時に ”とにかく高いメロンと高い生ハムを組み合わせればいい!” なんて形で日本に生ハムメロンが広まったっちゃったので、日本の生ハムメロンはその真の美味しさが伝わっていません。本場ヨーロッパのように甘味の控え目のメロンと本格的な塩気の強い生ハムを組み合わせるべきです!』
なんて珠子姉さんは言ってたけど、食べてみると分かる、同意。
「……この”ニューメロンの生ハム巻き”は野菜にも似た食味のニューメロンで本格生ハムの味をさっぱりと味わえる前菜。そして”プリンスメロンの生ハムのせ”は新しい生ハムメロンの形として、プリンスメロンの甘味を引き立てるために生ハムを使ったデザート」
ちなみにプリンスメロンは昭和後半から平成初期には人気が高かったが、より甘味の強いアンデスメロンやマスクメロンに押されて、今は作付けは減っているらしい。
珠子姉さんは『安くておいしい、昭和の人には思い出のメロンなんですけどねぇ』なんて言ってた。
「そうか、生ハムメロンという料理は、その素材を単純にそれを組み合わせるだけでなく、互いの性質を見極めなくてはならないのだな」
「……そう、互いの理解が必要」
僕はもうひとつ”プリンスメロンの生ハム乗せ”を口に追加。
口にジュワッと生ハムの塩気で甘さの引き立った果汁があふれる。
やはり最後は甘い物がいい。
「誤解を解き、和解を経て、理解を深める。さすれば、道は開けるということか……」
「……その通り。わかってくれた?」
「ああ、お前の言う通り、料理はくだらなくない」
よかった、わかってくれたみたい。
ん? 料理は?
「この料理に込められた心で、お前は信頼できる男だとわかった。だが! あの男がお前にすらも嘘を言っていないという証拠にはならん! お前すらもだましているやもしれぬ! それがわからぬ限りは、俺はヤツを狙い続ける!」
ダメだこいつ……
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