やはり、父になれず。

ヤマノ トオル/習慣化の小説家

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第四章 やはり、何者にもなれず。

第16話 やはり、完璧になれず。

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上司に連絡をして、とりあえず一週間仕事を休ませて頂いた。

そして、すぐに心療内科に電話をかけ、三日後に通院することになった。

あと一曲納品しなければならなかったため、休日となったこの日に一曲作り上げた。
正直完成度は良くないが、もう仕方がない。

徹はギリギリ期日までに五曲納品することが出来た。

久しぶりに平穏な日々を過ごし、徹は思った。

自分に完璧を求め過ぎていたのではないか?

曲だってそうだ、自分は有名人じゃない、チャレンジャーだ。
それなのに無駄にプライドが高く、完璧な曲を作ろうとしていた。
もちろん良いものを作ろうとするのは悪いことではない、だが完璧を求め過ぎていたのは確かだ。
自分の力量を正しく判断する必要があった。

仕事だってそうだった、いつも徹は誰よりも仕事をしていた。
同僚の誰もが山下さんのポジションは誰にも真似できないと言っていたほどだ。
皆が明日までの書類を作っている時、徹はもう来月の資料を作成していた。
利用者のちょっとした変化に誰よりも早く気付き、親身に話を傾聴していた。
我ながら完璧だった。
気付かぬうちに疲れていたのかもしれない。

そう思って、心療内科までの日々は静かに過ごした。
何もやる気は起きなかった。
子供達とは奴隷のように遊んでいた。
決して楽しくはないが、それでも苦ではなくなっていた。

もちろんいつも通り、夜は一睡も出来なかった。

~~~~~~~~~~

心療内科への通院日、その日は奥様もいらっしゃるようにとのことで雪乃と共に車で向かっていた。

徹は仕事柄、精神病というものをよく理解しているが、おそらく雪乃は全く分からない状態だろう。

今も一応共に通院してくれているが、頭では理解していないということが言葉の節々に表出している。

気持ちは分かる。

徹だってこの仕事に就くまでは、精神病は甘えだと思っていた。
やる気がない、気力がない、動けない、仕事が出来ない、そんなものは本人次第だと思っていた。

でも違うということは利用者との関係を通じて理解している。
そして、徹自身もそれを現に体験しているわけだ。

心療内科に到着して、待合室で呼ばれるのを待つ。

他にも待っている人々がいて、雪乃は驚いた表情をしていた。
「こんなに心療内科に来る人っているんだね」

こればっかりは、こっちの世界を知っていないと理解が出来ないのだろう。
雪乃本人は何気なく放った言葉だと思うが、その言葉からは棘が感じられた。

こんなにも、病のせいにしている人っているんだね。

徹にはそう聞こえた。

心の病なんて言葉があるから知れ渡っていないが、実際に精神病というのは身体の不調である。
本来分泌されるはずのホルモンが分泌されなかったり、副交感神経が優位になるはずなのにならなかったり、心がどうにかなっているのではなく、本来人間が普通に生きるために備わっている正常に作動するはずの身体のシステムが誤作動を起こしているのだ。

だから、本来怒りの感情は時間経過と共におさまるようになっているのに正常な状態に戻す成分が分泌されないから怒りがおさまらないことがある。

身体が健康な人は「疲れたら眠れるよ、眠れないのは身体が疲れていないから」なんて馬鹿なことを口にするが、そうじゃない。
どれだけ身体が疲れていても、副交感神経が優位にならなければ人間は眠れない。
その機能が壊れると、ずっと交感神経が優位になり、眠気というものがこない。

それが今の徹の状態である。

「山下さん、どうぞ。奥様はお待ちください」

待ち時間に[鬱病とは?]と書かれたパンフレットを読んでいた雪乃が不安そうな表情をしてこちらを見ている。

「行ってくる」

徹は診察室に入室した。

ドクターは優しそうな中年の男性だった。

「こんにちわ」

「こんにちわ」

あらかじめ予約の際にどんな状況かを説明しているので、おそらくそれが書かれているのであろう書類を見ながらドクターが口を開いた。

「イライラが止まらず、不安で眠れず、死ぬことを考えてしまうとのことですが、最近もその症状は続いていますか?」

「はい、継続中です。夜は今もほとんど眠れていません」

ドクターは徹の顔を見て、うんうんと頷いている。

「確かにそのようですね」

続けてドクターが質問をする。

「子供さんはいらっしゃいますか?」

「二人、娘がいます」

「そうですか、それはお忙しい毎日でしょうね」

「はい、仕事から帰ってきても子育てという仕事が待っていますからね」

半分冗談、半分本気の発言だった。

「そうですよね、お仕事は何をされているんですか?」

「精神病の方々の職業指導員をしています」

「あ、そうなんですね。じゃあ精神に関しても詳しいですよね」

「はい、ある程度は」

「私も似たような仕事ですから、山下さんの仕事の大変さは理解できますよ」

ドクターはニコッと微笑んで優しい口調で言葉を続ける。

「今の状態になってしまった原因というのは自分で分かっていますか?」

原因、、、

利用者も日々状態が違う。
それは天気によって変わることもあれば、理由もなく変わることもある。
しかし、病状の悪化には何か具体的なストレスや悩みが原因となっていることが多い。

自分にもそれがあるだろうか?

考えてみたが思い当たる原因は自分にとって全て必要なものだった。

「私は子育てが苦手です、それでも何とか良い父親になろうと努力しています。それが原因だとしても父親を辞めたいとは思いません。妻の家族と共に過ごしていて、それもストレスになっていることを内心分かっていますが、実際にお世話になりっぱなしだし、何よりも妻が妻自身の家族と離れる気がないので、それが原因だとしてもどうしようもありません」

口にして初めて実感した。
そうか、家庭環境にストレスを抱えていたんだ。

「そうですか、それは大変ですね。他に思い当たることはありますか?例えば仕事のこととか」

「仕事では主任になり、上司と部下の仕事を一挙に引き受けています。毎日疲れますが、自分にしか出来ないことが沢山あるのでやりがいを感じています。あと私は曲作りでお金を稼いでいます。本当は音楽で生計を立てていきたいという想いがあるので、仕事が上手くいけばいくほどにモヤモヤしている状況です」

「そうですか、山下さんは時間のない中で全てを頑張ろうとしているように見えますね」

ドクターは優しい眼差しで徹を見ていた。

「手を抜いて良いのであれば、全て手を抜きたいです。でもそうしてしまうと、何もかもが崩れてしまうと思うんです」

実際にその通りである。
子育ての手を抜けば、雪乃が限界を超え、家族が崩壊する。
仕事に手を抜けば、残業になり、結局家族の時間や自分の時間が減る。
曲作りに手を抜けば、夢を叶えることが出来ない。

二十四時間を全力で使い果たす必要があった。

「そうですか、何か聞きたいことはありますか?」

徹が心療内科に来た理由は一つだ。
もう二度と、家族を置いてこの世を去るなどという思考に陥らないようにしたい。
そのためなら薬を服用することも厭わない。
そう決心してここに来たのだった。

「もう死のうなんて思いたくない。それだけじゃなく、イライラしたり眠れない日々が続いたり、普通に生活するための障害になっているものを排除したい。薬を服用することでその障害を排除出来るのであれば、薬を処方してもらいたいです」

徹の言葉を聞いたドクターが深く頷いた。

「もちろん処方しますよ、正直に言うとあなたは軽い鬱症状です。でもきっと今だけです。この世界を知っているあなたならば薬の依存性についてもよく理解しているはずだ。今日薬を処方しますが、そのうち必要なくなるはずです。そうなったら通院しなくても良いですからね」

心のどこかで、もう自分は利用者と同じ立場で過ごすことになるのではないかという不安があった。
そうなれば雪乃達と共に過ごすことは出来ないかもしれない、と。
しかし、ドクターの言葉を聞いて、徹は決心した。

今の生活のままでは薬を服用し続けることになるだろう。
薬を服用しているうちに、この生活の乗りこなし方を見つけてみせる。

そして薬を断ち切る。

「はい、お願いします。薬が必要なくなるように、今の生活を改めます」

「他にも話しておきたいことはありますか?」

「特にないです、ありがとうございました」

徹は診察室を後にした。

続いて雪乃が呼ばれ、診察室へと入って行った。

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