戦う理由

タヌキ

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疑惑の中

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「それじゃあ、楽しんでください」
 そうして爽やかな笑みを見せつけながら、梁は店の奥へ消えていった。姿が見えなくなって余韻も完全に消えてから、言葉が漏れる。
「いけすかない奴だ」
 言い終わってから少しして、俺は自分が言った事を理解した。意識しない内に自然と思っていた事が漏れてしまったのだ。
「……スマン」
 俺はヴァンプ改め、イリナに謝った。彼女からすれば彼は警護対象者である。いくら無意識の上でもそれはデリカシーに欠ける発言だったと、心の中で反省の念が湧き上がる。
 しかし。
「いいよ別に。私もそう思うし」
 あっけからんとイリナはそう返した。
「逆に、同じ事思ってる人がいたのと、それを思ったのが知り合いで安心したわ」
「……いいのか?」
「いいの。今は仕事中じゃないし、何より……」
「?」
 箸の先を俺に向けながら、彼女は目尻を下げた。
「亮平のその変なトコで素直なの、変わってなくて嬉しくてさ」
「なんだよそれ」
 俺のぼやきに、彼女はいたずらっぽい笑みを投げかける。
「良くも悪くも、本当に亮平って変わってない」
「そうかい。俺としちゃあ、結構かわったつもりだけどな」
「それは自分から見てでしょ。私という他人からすれば、全く変わってないんだから」
「さよか」
 ここで眼科の受診を進めないでやるのが、優しさなのかと考えずにはいられない。俺からすれば、この三年間で一気に老け込んだのに。
 だが、とにもかくにもイリナの機嫌が直ったお陰でさっきまで漂っていた不穏な空気が無くなり、料理を味わって食えるようになった。
 エビチリや棒棒鶏に舌鼓を打っていると、イリナが唐突に口を開く。
「ねぇ」
「あん?」
「この船の従業員でさ、なんか気付いた事ない?」
「どうした藪から棒に」
「いいから」
 そう言われても、船に乗って一日も経っていないのに気付くも何も無い。
「無いな」
 ついでに首も横に振る。すると彼女は箸を握る手を止め、腕組みをして思案をしだす。それからまた質問をぶつけてきた。
「亮平の部屋って?」
「一番グレードの低い部屋」
「そうじゃなくて、部屋番号」
 質問の意図が読めないまま答えるのはどうかとも思ったが、イリナの表情が余りにも真剣だったので俺は答えてしまう。
「じゃあ、デッキフロア六ね」
 さらりとデッキフロアを言い当てつつ、彼女はまた考え込む。
「それがどうしたんだよ」
「……多分だけど、デッキによって配置されてる従業員が違うんだ」
「さっきからなんだよ」
「亮平」
 イリナが身を乗り出し、大きなテーブルの真ん中まで寄ってくる。
「この船の一部の従業員が少しおかしいの」
 声を潜め、周囲を気にしながら彼女は話を続けた。
「――かなり高度な戦闘訓練を受けてるみたい」
「……え?」
 思わぬ方向の話にエビを運ぶ手を止め、俺も身を乗り出した。
「どういうことだよ」
「簡単よ。手よ手」
 イリナは右手のひらを左手の人差し指で叩く。
「親指の腹と人差し指の皮が分厚くなってた」
 弾倉に弾を込める時と、引き金を引く時に酷使する指の部分だ。
「そこだけ分厚いのなら、もっと他に理由はあるかもしれないだろ」
「勿論、それだけじゃないわ。従業員の拳、あれは間違いなく格闘技をやってる人間の拳だった」
 手の皮や拳の形は、一朝一夕の訓練で形成される物ではない。イリナが口にした特徴は、繰り返し繰り返し訓練を行った結果とも言えるものだ。
「……なんで、そんな人間がこの豪華客船にいると思う?」
「VIPの警護も兼ねてるんじゃないか?」
 投げやりな俺の言葉に、イリナは得意げな顔をする。
「この船に、襲うだけの価値はあるかしら」
「……あるんじゃないか? 知らないけどさ」
「この船をシージャックするだけの人員や装備を用意出来る組織ってのはそういないし、仮にシージャックしたとしても港には必ず停まらないといけないから、その時に特殊部隊を送り込まれて終わりよ」
 彼女の意見はもっともだ。それに、長い船旅で多少のトラブルはあるだろうが、それらの対処には過剰なまでの戦力だ。
「……まぁお前の言う通りだな」
「でしょ」
 イリナはしたり顔で頷く。無性に腹立つ顔だが、沸き立つ感情を抑え話を進めるよう促す。
「警護にしては、戦力も数も多い従業員。何の目的も理由も無く配置する訳ないじゃない」
「……じゃあ、お前はなんか理由とか考えたのか?」
「そういうのはまだ分かんないけれど、そういった従業員がいたのは高い客室が集中しているフロアだけなの」
「……明らかな作為を感じるな」
「でしょでしょ。気になるよね」
 興が乗って来て心の底から楽しそうにするイリナ。彼女のそんな顔を見るのは、本当に久し振りだ。
「で? お前は結局何がしたいのさ」
「大したことじゃないわ。なんでそんな人間が配置されているか、知りたいだけ」
 子供じみた知的好奇心が、彼女の心に火を付けていたらしい。そう思わせると同時に、俺も巻き込むという意志が垣間見える口ぶりだった。
「亮平もどう? 暇つぶしにさ」
 彼女の口車に乗るか否か。普通に考えて、こんな藪をつついて蛇を出すような真似はするべきではない。
 世の中には怒らせてもいいモノと良くないモノがあり、これの場合は後者に値する事柄だろう。素直に身を引くのが賢い選択なのは火を見るよりも明らかだ。
 ――だが。
「……そうだな」
 そんな理屈より先に、俺の心の中で未だに燻っていた何かが動いてしまった。
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