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無知の中
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太陽がてっぺんに昇った頃。操舵室の無線の一つが受信音を立てた。
『こちら、アメリカ合衆国沿岸警備隊巡視艇"ミジェット"。"リンカーン"応答願います』
無線士が受話器を取り、通信を始める。
「こちら"リンカーン"。"ミジェット"感度良好です。どうぞ」
『艦載機を二機、そちらに向かわせているので、停船願います』
「了解。通信終わり」
通信を終わらせた無線士が席を立つと、船長に報告する。無線の声は聞こえていたので報告の必要は無さそうに思えるが、こうした形式ばった事も長い航海をする上で規律を保つ上で必要なのだろう。
一見すると無駄に見える事も、当事者からすれば途轍もなく重要な事というのは往々にしてよくあるものだ。
「――分かった」
船長は頷くと、船内電話を取り機関室と話し始めた。
そのやり取りを横目で眺めながら、三日間の短い船旅に思いを馳せる。足に絡みついて底無し沼に引きずり込む様な、憂鬱な気分を振り切ろうとこの船旅に参加した。
しかし、当初の目的であった大海原を見るより、ただの知的好奇心に引っ張られここまでの大騒動に巻き込まれ……いや、自ら飛び込んでいったのだが。
掛けられていた毛布を床に敷き、俺とイリナは足を伸ばしてボーッとしていた。乗っ取りの意思が無いのを示す為、銃器は船長達に預けてある。
子供達は例の浅黒い娘を中心に輪を作っている。同じ言葉を喋る者同士で隣同士になり、言葉が通じない子は例の娘っ子がフォローをしている。それを見ていると、やはりあの女の子だけ少し雰囲気が違うのが際立つ。
他と違って、大人びているというかなんというか。良くも悪くも、年相応でない面が目立つ気がする。
(……そういえば、俺、この子の名前知らないな)
知る必要と機会が無かったから聞かなかったわけだが、あの子には世話になったから最後に名前を訊ねても罰は当たらないだろう。
喉の調子を変える為に何度か喉を鳴らし、口を開いた。
「……Me pregunto si está bien」
何人かのスペイン語話者の子がこちらを向くが、俺が例の子を指定すると他の子達は「なんだ」と言った顔をしてそのグループで会話を再開する。
俺が呼んだ子は「何ですか?」と俺の目を見て言った。俺も彼女の目を見て、話し出した。
「gracias por antes」
少女は一瞬、俺が言った言葉を理解出来なかったのかキョトンとしたが、数秒後感謝の言葉を言われたと理解出来たのか、「あ、ああ……」と漏らし。
「de nada」
とたどたどしく返した。
「cómo te llamas」
俺の問いから少し間を置いて、少し照れながら。
「Elena」
と答えた。
「Elena es un buen nombre」
「……gracias」
「¿En qué país está tu casa?」
スペイン語で話をしているし、肌の色的にも南米系だろうか。しかし、彼女の口から出てきたのはそんな予想を軽く超えてきた言葉だった。
「……no sé」
「no sé?」
思わず、オウム返しで応じてしまう。母国が分からないというのはどういうことか。
「Eso es porque no me han enseñado」
「!」
とんだ盲点だった。
言われてみれば、幼子は教えてもらわなければ自分が何処の国の何処の街で暮らしているかは分からない。
どんなに遅くとも、小学生頃には自分で自分が住んでいる国を理解するだろう。学校で教えてくれるはずだからだ。
逆を言えば、その様な事を教えてもらわなければ、人間自分の立ち位置を理解する事が出来ないのだ。
「……Es eso así」
「Vendido por mi madre y antes de darme cuenta estaba en un barco……」
「………………」
「hola tio」
「¿qué?」
「Qué debería hacer ahora」
そう言う少女の顔には、見てて痛々しいほどの笑みがあった。もう笑うしかない。そんな感じなのだろう。
選択肢も、それを無視できるほどの力も何も無い。そんな力無き者の現実が如実に表れている。
俺は彼女にどんな言葉を投げかければいいのだろうか。
その最適解は、これまでの人生経験の中から導き出される様な物じゃない。
「……Qué tengo que hacer」
今の俺に出来る事は、本気で困った顔をするしかない。
『こちら、アメリカ合衆国沿岸警備隊巡視艇"ミジェット"。"リンカーン"応答願います』
無線士が受話器を取り、通信を始める。
「こちら"リンカーン"。"ミジェット"感度良好です。どうぞ」
『艦載機を二機、そちらに向かわせているので、停船願います』
「了解。通信終わり」
通信を終わらせた無線士が席を立つと、船長に報告する。無線の声は聞こえていたので報告の必要は無さそうに思えるが、こうした形式ばった事も長い航海をする上で規律を保つ上で必要なのだろう。
一見すると無駄に見える事も、当事者からすれば途轍もなく重要な事というのは往々にしてよくあるものだ。
「――分かった」
船長は頷くと、船内電話を取り機関室と話し始めた。
そのやり取りを横目で眺めながら、三日間の短い船旅に思いを馳せる。足に絡みついて底無し沼に引きずり込む様な、憂鬱な気分を振り切ろうとこの船旅に参加した。
しかし、当初の目的であった大海原を見るより、ただの知的好奇心に引っ張られここまでの大騒動に巻き込まれ……いや、自ら飛び込んでいったのだが。
掛けられていた毛布を床に敷き、俺とイリナは足を伸ばしてボーッとしていた。乗っ取りの意思が無いのを示す為、銃器は船長達に預けてある。
子供達は例の浅黒い娘を中心に輪を作っている。同じ言葉を喋る者同士で隣同士になり、言葉が通じない子は例の娘っ子がフォローをしている。それを見ていると、やはりあの女の子だけ少し雰囲気が違うのが際立つ。
他と違って、大人びているというかなんというか。良くも悪くも、年相応でない面が目立つ気がする。
(……そういえば、俺、この子の名前知らないな)
知る必要と機会が無かったから聞かなかったわけだが、あの子には世話になったから最後に名前を訊ねても罰は当たらないだろう。
喉の調子を変える為に何度か喉を鳴らし、口を開いた。
「……Me pregunto si está bien」
何人かのスペイン語話者の子がこちらを向くが、俺が例の子を指定すると他の子達は「なんだ」と言った顔をしてそのグループで会話を再開する。
俺が呼んだ子は「何ですか?」と俺の目を見て言った。俺も彼女の目を見て、話し出した。
「gracias por antes」
少女は一瞬、俺が言った言葉を理解出来なかったのかキョトンとしたが、数秒後感謝の言葉を言われたと理解出来たのか、「あ、ああ……」と漏らし。
「de nada」
とたどたどしく返した。
「cómo te llamas」
俺の問いから少し間を置いて、少し照れながら。
「Elena」
と答えた。
「Elena es un buen nombre」
「……gracias」
「¿En qué país está tu casa?」
スペイン語で話をしているし、肌の色的にも南米系だろうか。しかし、彼女の口から出てきたのはそんな予想を軽く超えてきた言葉だった。
「……no sé」
「no sé?」
思わず、オウム返しで応じてしまう。母国が分からないというのはどういうことか。
「Eso es porque no me han enseñado」
「!」
とんだ盲点だった。
言われてみれば、幼子は教えてもらわなければ自分が何処の国の何処の街で暮らしているかは分からない。
どんなに遅くとも、小学生頃には自分で自分が住んでいる国を理解するだろう。学校で教えてくれるはずだからだ。
逆を言えば、その様な事を教えてもらわなければ、人間自分の立ち位置を理解する事が出来ないのだ。
「……Es eso así」
「Vendido por mi madre y antes de darme cuenta estaba en un barco……」
「………………」
「hola tio」
「¿qué?」
「Qué debería hacer ahora」
そう言う少女の顔には、見てて痛々しいほどの笑みがあった。もう笑うしかない。そんな感じなのだろう。
選択肢も、それを無視できるほどの力も何も無い。そんな力無き者の現実が如実に表れている。
俺は彼女にどんな言葉を投げかければいいのだろうか。
その最適解は、これまでの人生経験の中から導き出される様な物じゃない。
「……Qué tengo que hacer」
今の俺に出来る事は、本気で困った顔をするしかない。
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