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検査の中
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ゆっくりと扉が内側に開かれる。そこには、ちゃんとイリナが立っていた。
ジーパンに迷彩柄の半袖シャツという格好だが、俺には純白の衣をまとった天使に見えた。
彼女は、涙と鼻水と吐瀉物でグチャグチャの顔をした俺に嫌な顔せず、個室に入り何も言わずに肩を貸してくれる。
彼女の手を借りてトイレから出ると、外には人だかりが出来ていた。
医者に看護師、入院患者からお見舞いに来た人までが、何事だとたかっている。
俺に奇異の目線が向けられるが、それに反応出来るほど元気ではなかった。
人だかりの中から、警備員が出てきてイリナに声を掛ける。
途切れ途切れの声を聞く限り、どうやら警備員は俺を薬中かアル中だと思っているらしい。
さもありなん。トイレで吐きながら号泣している奴がいれば、誰だってそう考えるだろう。普通の時の俺もそう考える。
青白い顔をしてぐったりとしていれば尚更だ。
しかし、イリナは警備員相手に毅然として、「彼は違います」と答えた。警備員は一瞬鼻白んだが、すぐに立て直しイリナを売人扱いした。
普段の彼女なら、警備員を引っ叩いていてもおかしくなかったが、落ち着いた態度でそれを否定してもう一度、俺が中毒者であることを否定した。
警備員は俺達への疑いを深くしたようだったが、ここで俺の担当医と世話をしてくれた看護師が駆けつける。
彼等は俺が銃で撃たれたことと、そのせいで一過性のショック状態にあるかもしれないと、警備員に伝えた。
そこでようやく、俺とイリナへの嫌疑が晴れた。警備員は俺とイリナに詫び、野次馬への対応へと移った。
警備員も、好きで俺達を疑っていたわけじゃない。なんとなく、そんな気がした。
病室のベッドに寝かされた俺は、水を飲まされ、顔を拭かれた。
それから、簡単な検査を受けさせられる。血圧とかの検査と、聞き取りの検査だ。
検査を受け終わってから、医者からの話を聞く。
どうやら彼は、昨晩からの俺の異変に気がついていたらしい。そして、元傭兵であることをイリナ経由で知っていたので、なんらかの精神疾患を疑っていたらしかった。
看護師とそのことを相談していた矢先、俺がトイレで号泣したのだ。
そして、全てを話し終わった後、一息付いてから俺にこう告げた。
「イシダさん。症状から推察するに、貴方は、心的外傷後ストレス障害。……俗に言う、PTSDの疑いがあります」
「PTSD……」
俺だって、無知ではない。
それがどういうものであるかは、知ってはいる。
強いストレス、例えば大災害を経験したり、戦場で筆舌に尽くし難い惨状を目にしたりするとなる、精神疾患のことだ。
症状は多岐にわたり、不眠や鬱、フラッシュバックなどがある。
前に発作について調べたときに、最も近かったのがこれだった。
医者は続ける。
「ですが、あくまでも疑いです。診断を下すには、もっと詳しく検査しなければなりません。それに、イシダさんの場合はPTSDかも怪しい。……最近は、全く出ていなかったそうですし」
「……ええ」
「精神疾患全般に言えることですが、こういうのは医者でも取り扱いが難しいんです。だからこそ、患者さんにも強力していただきたい。何か不調があれば、私共にご相談ください」
医者は話をそう締め、看護師と一緒に病室を出ていった。
病室には、俺とイリナの二人っきりとなる。
何をどう言っていいか分からず、俺は口を噤んでいた。黙っていると、イリナが口火を切った。
「いつからなの?」
「……なにがだ?」
「発作よ」
「……傭兵辞めてから」
「三年前ね。じゃあ、良くなってきたのは? さっきは、ここ一か月って言ってたけど」
「……『リンカーン』に乗るって決めた時。あの時は、あんな事になるなんて思ってもなかったしな」
医者には悪いが、お互いに気心が知れている分、イリナの方が話しやすかった。
「……精神的に安静な状態ってより、程良く刺激があった方がいいのかもね」
「かもな……」
日本を発つ前の浮ついた気持ちを思い出す。
良くも悪くも、何も知らずに舞い上がっていた時だ。
俺が目を細めて、薄い笑みらしきものを浮かべていると、彼女が顔を覗き込んできた。
「……今も、辛い?」
その言葉に、俺はせっかく乾いたかさぶたを引っぺがされるような痛みを感じた。
ジクジクとした傷口から、血や組織液や膿らしき黄色っぽい液が出てくる。
「……辛いに決まってんだろ」
その気にさせれば、ここでゲロ吐いて、もう一度号泣だって出来る。
「目の前で娘攫われて……平気な面出来ると思ってんのか」
「………………」
「どうにかなったかもしれないと、フラッシュバックの度に思う。でも、どうしようもない。苦しくてたまらない」
「………………」
「お前に分かるか? イリナ」
半泣きで彼女の顔を見詰める。
すると、イリナは。
「分かるわ」
そう即答した。思いがけない言葉に俺が驚いていると、更にイリナは言葉を続ける。
「だって、娘を攫われたのは、私も一緒なんだから」
イリナの言葉に、俺は目の前が真っ白になった。
ジーパンに迷彩柄の半袖シャツという格好だが、俺には純白の衣をまとった天使に見えた。
彼女は、涙と鼻水と吐瀉物でグチャグチャの顔をした俺に嫌な顔せず、個室に入り何も言わずに肩を貸してくれる。
彼女の手を借りてトイレから出ると、外には人だかりが出来ていた。
医者に看護師、入院患者からお見舞いに来た人までが、何事だとたかっている。
俺に奇異の目線が向けられるが、それに反応出来るほど元気ではなかった。
人だかりの中から、警備員が出てきてイリナに声を掛ける。
途切れ途切れの声を聞く限り、どうやら警備員は俺を薬中かアル中だと思っているらしい。
さもありなん。トイレで吐きながら号泣している奴がいれば、誰だってそう考えるだろう。普通の時の俺もそう考える。
青白い顔をしてぐったりとしていれば尚更だ。
しかし、イリナは警備員相手に毅然として、「彼は違います」と答えた。警備員は一瞬鼻白んだが、すぐに立て直しイリナを売人扱いした。
普段の彼女なら、警備員を引っ叩いていてもおかしくなかったが、落ち着いた態度でそれを否定してもう一度、俺が中毒者であることを否定した。
警備員は俺達への疑いを深くしたようだったが、ここで俺の担当医と世話をしてくれた看護師が駆けつける。
彼等は俺が銃で撃たれたことと、そのせいで一過性のショック状態にあるかもしれないと、警備員に伝えた。
そこでようやく、俺とイリナへの嫌疑が晴れた。警備員は俺とイリナに詫び、野次馬への対応へと移った。
警備員も、好きで俺達を疑っていたわけじゃない。なんとなく、そんな気がした。
病室のベッドに寝かされた俺は、水を飲まされ、顔を拭かれた。
それから、簡単な検査を受けさせられる。血圧とかの検査と、聞き取りの検査だ。
検査を受け終わってから、医者からの話を聞く。
どうやら彼は、昨晩からの俺の異変に気がついていたらしい。そして、元傭兵であることをイリナ経由で知っていたので、なんらかの精神疾患を疑っていたらしかった。
看護師とそのことを相談していた矢先、俺がトイレで号泣したのだ。
そして、全てを話し終わった後、一息付いてから俺にこう告げた。
「イシダさん。症状から推察するに、貴方は、心的外傷後ストレス障害。……俗に言う、PTSDの疑いがあります」
「PTSD……」
俺だって、無知ではない。
それがどういうものであるかは、知ってはいる。
強いストレス、例えば大災害を経験したり、戦場で筆舌に尽くし難い惨状を目にしたりするとなる、精神疾患のことだ。
症状は多岐にわたり、不眠や鬱、フラッシュバックなどがある。
前に発作について調べたときに、最も近かったのがこれだった。
医者は続ける。
「ですが、あくまでも疑いです。診断を下すには、もっと詳しく検査しなければなりません。それに、イシダさんの場合はPTSDかも怪しい。……最近は、全く出ていなかったそうですし」
「……ええ」
「精神疾患全般に言えることですが、こういうのは医者でも取り扱いが難しいんです。だからこそ、患者さんにも強力していただきたい。何か不調があれば、私共にご相談ください」
医者は話をそう締め、看護師と一緒に病室を出ていった。
病室には、俺とイリナの二人っきりとなる。
何をどう言っていいか分からず、俺は口を噤んでいた。黙っていると、イリナが口火を切った。
「いつからなの?」
「……なにがだ?」
「発作よ」
「……傭兵辞めてから」
「三年前ね。じゃあ、良くなってきたのは? さっきは、ここ一か月って言ってたけど」
「……『リンカーン』に乗るって決めた時。あの時は、あんな事になるなんて思ってもなかったしな」
医者には悪いが、お互いに気心が知れている分、イリナの方が話しやすかった。
「……精神的に安静な状態ってより、程良く刺激があった方がいいのかもね」
「かもな……」
日本を発つ前の浮ついた気持ちを思い出す。
良くも悪くも、何も知らずに舞い上がっていた時だ。
俺が目を細めて、薄い笑みらしきものを浮かべていると、彼女が顔を覗き込んできた。
「……今も、辛い?」
その言葉に、俺はせっかく乾いたかさぶたを引っぺがされるような痛みを感じた。
ジクジクとした傷口から、血や組織液や膿らしき黄色っぽい液が出てくる。
「……辛いに決まってんだろ」
その気にさせれば、ここでゲロ吐いて、もう一度号泣だって出来る。
「目の前で娘攫われて……平気な面出来ると思ってんのか」
「………………」
「どうにかなったかもしれないと、フラッシュバックの度に思う。でも、どうしようもない。苦しくてたまらない」
「………………」
「お前に分かるか? イリナ」
半泣きで彼女の顔を見詰める。
すると、イリナは。
「分かるわ」
そう即答した。思いがけない言葉に俺が驚いていると、更にイリナは言葉を続ける。
「だって、娘を攫われたのは、私も一緒なんだから」
イリナの言葉に、俺は目の前が真っ白になった。
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