69 / 70
後始末の中
しおりを挟む
安置所は薄暗く、冷蔵庫の冷気が漏れ、肌寒い。責任者の手によって、冷蔵庫の一つが開けられる。
「比較的綺麗なやつです。……肉塊みたいになってるやつもありますけど、ご覧になりますか?」
「いや結構。ベジタリアンになる予定は無くてね」
責任者の冗談をあしらい、コッポラは死体の顔を覗き込んだ。
どこからどう見ても白人で、中東系にはどう足掻いても見えない。
「……本当に、これはイスラム過激派なんですかね?」
それは責任者も同じなようで、それをハッキリと口に出した。
「そうですよね」と言いたくなる気持ちを堪え、あらかじめ考えておいたことを口にする。
「まぁ、イスラム過激派と言っても、本家本元からしたら数ある枝に過ぎませんよ。社会からあぶれ、反政府的な行動を取るのにイスラムの名前を使っているだけで」
「ははぁ。なるほど、本物のイスラム教徒ではないと」
「ええ、お祈りとか食事制限はポーズのためにするでしょうが、アッラーを心の底からは信じてないでしょう」
本当のところ、彼は死体達が生前なんの宗教を信仰していたか知らなかった。しかし、そう報告書に書くわけにはいかない。
彼の上司は口をきかない死体達に、イスラム過激派の冠を付け、全ての責任をおっ被せる気でいる。石田もそれを利用し、自らの存在を無いことにする気でいる。
アラモアナセンターを襲撃した犯人達は、なんならかの方法、理由でバハマに飛んだ。そして、逃走資金確保のために強盗をしようとした。梁は運悪くその標的になり、殺された。
屋敷にいたガードマン達との銃撃戦の末、犠牲を出しながらも強盗は成功。だが、分け前に不満を持った一人が発砲、それが飛び火し仲間内で殺し合いに発展する。その後、生き残った一人か二人が屋敷内にあった金、約一億円を持って逃走。
……というのが、石田が書いた図である。コッポラの上司が描いた、アラモアナセンター銃撃事件の犯人はイスラム過激派で今尚逃走中という図を書き足した形だ。
図の全容を石田から聞いたとき、コッポラは思わず舌を巻いた。FBIが求める着地点からは外れているものの、人身売買組織とは関係無いという注文からは外れていないし、曖昧なところは死人に口無しということで押し通せるからだ。
もちろん、証拠がコッポラ達の手にある以上、いくらでも人身売買組織と結びつけることは出来る。
それでも石田は、「これでいく」と言い切った。コッポラとしては不安だったが、少なくとも石田達が真犯人だとは気づいてないらしいことが分かり、少し安心する。
これであとは、適当に写真を撮ったり、捜査員達から話を聞いて報告書を書けばいい。
長い仕事に終わりが見えてきた。そのことにコッポラは表情に出さないようにして喜び、終わってからのことを考え始めた。
ナザロフはがらんとした自室で、パソコンに向かっていた。がらんとしているのは、石田達が彼の家を発ち、静かになったからである。
石田にも仕事があるし、エレナの養子縁組の件もある。日本に帰ったのだ。イリナもどうせ行くところないしと付いていった。
彼女は「リンカーン」で暴れたせいで、勤めていた警備会社から首を言い渡されたらしい。当たり前といえば当たり前だが、彼女はダメージを受けた様子はなかった。「まぁ、いいか」といった感じで、非常に軽い反応だった。
社会人としてそれでいいのかと言いたくなるが、イリナ・ガルキアがそういう人間であるのをナザロフは思い出した。
思えば傭兵時代も、そんな彼女にマトモに構っているのは石田だけだった。
(あの二人、仲良くやっているかな)
今頃機上の人になっている彼等に思いを馳せつつ、ナザロフは意識をキーボードへ向ける。
彼が今書いているのは、新作のプロット。
元傭兵の日本人とアメリカ人が、人身売買組織と戦うアクション小説のプロットである。
プロットといっても、そのほとんどが石田やイリナから聞いた人身売買組織との戦いの記録である。それを、物語が成り立つように脚色しただけだ。
脱走兵時代の出来事を書いた半自伝小説でデビューした彼が、物語を書くのを彼の編集は驚くだろう。
だが、内容と物語を紡ぐ文章は一級品であり、そう簡単にボツにはならない仕上がりにはなっている。それに、編集者自体、次回作をせっついていたので文句は言わない。
(これでいいんですよね。石田さん)
今回の事件を元にして、小説を書いてくれ。そうナザロフに頼んだのは、石田であった。FBIに圧力が掛けられ、沿岸警備隊に内通者がいる以上、誰を信用していいか分からない状況。
正攻法で戦って、勝てないのは目に見えている。ならば、取る方法は一つ、場外乱闘である。傭兵ならではの泥臭い手段だが、文句は言われない。
暴れるだけ暴れて責任を他へ押し付け、別の方法で相手に警告する。石田は前者をコッポラへ、後者をナザロフへ頼んだ。
そして、警告の方法というのが、彼が構想を練る小説である。
人身売買組織が「リンカーン」でやっていたことが、そのまんま書かれ、その後の対応もそっくりそのまんまである。
沿岸警備隊に内通者がいるのも同じだ。
これではただの挑発にも見えるが、本質はそうではない。彼が書く小説は、あくまでもフィクションという点にある。
下手に手を出せば馬脚を現すことになるし、そもそも人身売買組織の捜査は打ち切られたことになっていて、世間的にはもう終わったことになっている。
おまけに、最初に出した本が売れたおかげでナザロフの名前は売れている。そんな彼が、人身売買に関する本が出版されてから死んだら、世の中はどう判断するだろうか。
怪しいと勘ぐる人間も、少なからず出てくるはずだ。
要は、「下手に手を出すととんでもないことになるぞ」という意思を相手に示すためである。
組織も馬鹿ばかりではない。いくらメンツを潰されたからといって、一々喧嘩を買っていたらキリがないことくらい中学生でも分かる。
それに、石田達の目的は「エレナを取り返す」その一点であり、「人身売買組織を潰す」ことが目的ではないのだ。
良くも悪くも、この状態が双方にとって都合がいい状態になっている。
その状態を保つために、石田は作戦を立て、自らは鉄火場に立ち、コッポラとナザロフにも頼み事をした。
そして、その作戦は石田にとって満足のいく結果で成功を果たした。
「比較的綺麗なやつです。……肉塊みたいになってるやつもありますけど、ご覧になりますか?」
「いや結構。ベジタリアンになる予定は無くてね」
責任者の冗談をあしらい、コッポラは死体の顔を覗き込んだ。
どこからどう見ても白人で、中東系にはどう足掻いても見えない。
「……本当に、これはイスラム過激派なんですかね?」
それは責任者も同じなようで、それをハッキリと口に出した。
「そうですよね」と言いたくなる気持ちを堪え、あらかじめ考えておいたことを口にする。
「まぁ、イスラム過激派と言っても、本家本元からしたら数ある枝に過ぎませんよ。社会からあぶれ、反政府的な行動を取るのにイスラムの名前を使っているだけで」
「ははぁ。なるほど、本物のイスラム教徒ではないと」
「ええ、お祈りとか食事制限はポーズのためにするでしょうが、アッラーを心の底からは信じてないでしょう」
本当のところ、彼は死体達が生前なんの宗教を信仰していたか知らなかった。しかし、そう報告書に書くわけにはいかない。
彼の上司は口をきかない死体達に、イスラム過激派の冠を付け、全ての責任をおっ被せる気でいる。石田もそれを利用し、自らの存在を無いことにする気でいる。
アラモアナセンターを襲撃した犯人達は、なんならかの方法、理由でバハマに飛んだ。そして、逃走資金確保のために強盗をしようとした。梁は運悪くその標的になり、殺された。
屋敷にいたガードマン達との銃撃戦の末、犠牲を出しながらも強盗は成功。だが、分け前に不満を持った一人が発砲、それが飛び火し仲間内で殺し合いに発展する。その後、生き残った一人か二人が屋敷内にあった金、約一億円を持って逃走。
……というのが、石田が書いた図である。コッポラの上司が描いた、アラモアナセンター銃撃事件の犯人はイスラム過激派で今尚逃走中という図を書き足した形だ。
図の全容を石田から聞いたとき、コッポラは思わず舌を巻いた。FBIが求める着地点からは外れているものの、人身売買組織とは関係無いという注文からは外れていないし、曖昧なところは死人に口無しということで押し通せるからだ。
もちろん、証拠がコッポラ達の手にある以上、いくらでも人身売買組織と結びつけることは出来る。
それでも石田は、「これでいく」と言い切った。コッポラとしては不安だったが、少なくとも石田達が真犯人だとは気づいてないらしいことが分かり、少し安心する。
これであとは、適当に写真を撮ったり、捜査員達から話を聞いて報告書を書けばいい。
長い仕事に終わりが見えてきた。そのことにコッポラは表情に出さないようにして喜び、終わってからのことを考え始めた。
ナザロフはがらんとした自室で、パソコンに向かっていた。がらんとしているのは、石田達が彼の家を発ち、静かになったからである。
石田にも仕事があるし、エレナの養子縁組の件もある。日本に帰ったのだ。イリナもどうせ行くところないしと付いていった。
彼女は「リンカーン」で暴れたせいで、勤めていた警備会社から首を言い渡されたらしい。当たり前といえば当たり前だが、彼女はダメージを受けた様子はなかった。「まぁ、いいか」といった感じで、非常に軽い反応だった。
社会人としてそれでいいのかと言いたくなるが、イリナ・ガルキアがそういう人間であるのをナザロフは思い出した。
思えば傭兵時代も、そんな彼女にマトモに構っているのは石田だけだった。
(あの二人、仲良くやっているかな)
今頃機上の人になっている彼等に思いを馳せつつ、ナザロフは意識をキーボードへ向ける。
彼が今書いているのは、新作のプロット。
元傭兵の日本人とアメリカ人が、人身売買組織と戦うアクション小説のプロットである。
プロットといっても、そのほとんどが石田やイリナから聞いた人身売買組織との戦いの記録である。それを、物語が成り立つように脚色しただけだ。
脱走兵時代の出来事を書いた半自伝小説でデビューした彼が、物語を書くのを彼の編集は驚くだろう。
だが、内容と物語を紡ぐ文章は一級品であり、そう簡単にボツにはならない仕上がりにはなっている。それに、編集者自体、次回作をせっついていたので文句は言わない。
(これでいいんですよね。石田さん)
今回の事件を元にして、小説を書いてくれ。そうナザロフに頼んだのは、石田であった。FBIに圧力が掛けられ、沿岸警備隊に内通者がいる以上、誰を信用していいか分からない状況。
正攻法で戦って、勝てないのは目に見えている。ならば、取る方法は一つ、場外乱闘である。傭兵ならではの泥臭い手段だが、文句は言われない。
暴れるだけ暴れて責任を他へ押し付け、別の方法で相手に警告する。石田は前者をコッポラへ、後者をナザロフへ頼んだ。
そして、警告の方法というのが、彼が構想を練る小説である。
人身売買組織が「リンカーン」でやっていたことが、そのまんま書かれ、その後の対応もそっくりそのまんまである。
沿岸警備隊に内通者がいるのも同じだ。
これではただの挑発にも見えるが、本質はそうではない。彼が書く小説は、あくまでもフィクションという点にある。
下手に手を出せば馬脚を現すことになるし、そもそも人身売買組織の捜査は打ち切られたことになっていて、世間的にはもう終わったことになっている。
おまけに、最初に出した本が売れたおかげでナザロフの名前は売れている。そんな彼が、人身売買に関する本が出版されてから死んだら、世の中はどう判断するだろうか。
怪しいと勘ぐる人間も、少なからず出てくるはずだ。
要は、「下手に手を出すととんでもないことになるぞ」という意思を相手に示すためである。
組織も馬鹿ばかりではない。いくらメンツを潰されたからといって、一々喧嘩を買っていたらキリがないことくらい中学生でも分かる。
それに、石田達の目的は「エレナを取り返す」その一点であり、「人身売買組織を潰す」ことが目的ではないのだ。
良くも悪くも、この状態が双方にとって都合がいい状態になっている。
その状態を保つために、石田は作戦を立て、自らは鉄火場に立ち、コッポラとナザロフにも頼み事をした。
そして、その作戦は石田にとって満足のいく結果で成功を果たした。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる