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2章 新しい風

38 春の嵐は突然に ― 1 ―

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 直ぐに帰ると言っていたアーロンはそれから5日経っても帰って来なかった。

 アーロンが戻らなくなって一つ気がかりな事がある。

 どうも私はアーロンが一緒にいるせいでこちらの年齢に沿った精神年齢になってきてるみたいだ。
 ここしばらくアーロンが帰って来ないので今度は少しアチラにいた頃に引きづられて精神年齢が上がって来ている。
 アーロンと一緒にいる時の私はどうしても情緒不安定になって中々思い通りに行動出来ない。一人になると余計自分の空回りが目立ってきて落ち込む。

 いっそ今の自分ならもう少しマシな対応もできるかもしれないがアーロンと関わる私はやっぱりコチラの私なのだ。

 そして今のところ「私」はアーロンが嫌いではない。
 それどころか、これから新しい関係を少しずつ築いていこうと決心した所なのだ。

 だからせめてアーロンに構ってもらえる一番『正しい』理由の勉強をおろそかにはしたくない。

 アーロンが帰ってきたら早速訓練をしてもらえる様に予習復習をして質問を準備する。

 それが今の私にとって唯一の繋がりを保つ努力なのだから。

 アーロンのいない間、私は一人で届いた教本に目を通していた。

 いくら予習復習をするといっても、スチュワードさんもアーロンもいないこの屋敷で私は本を読む事しか出来ない。
 なぜならどの教本にも最初のページに『実地訓練は必ず指導員同伴の元に行う事』と大きな字で注意書きがされているのだ。

 自転車に乗るのを習う時のように魔術なんて実際に出してみてなんぼのものなので教本ばかり読んでいても全然面白くない。
 仕方がないのでページををパラパラとめくって時間を潰す。

 本自体が高価なコチラの世界において修道院で育った私は学校に入るまで教会関係以外の本を見たことがなかった。
 だから私のような境遇ならば本来本を読むこと自体が娯楽とも言えるのだが、アチラの世界の娯楽に慣れてしまっている私には刺激が足りなくて飽きてきてしまう。

 読んでいるだけでもそこそこ楽しいのは『魔法陣』と『精霊界』の教本くらいだ。

 『魔法陣』は絵がとても綺麗で、組み合わせで色々変わるので取りあえず描いてみたくなる。
 指で机に練習書しながらタラタラと読み進める。

 『精霊界』の教本は私が辺境の学校に通っていて時には一度も見た事のなかったしろ物だ。

 それを言ったら『事象』もそうだったんだけど、『事象』は要は広範囲な『自然科学』関係の知識で、一応高校まで行った私にはもう常識と言える範疇の内容だった。

 『精霊界』のお話はいわゆるおとぎ話だ。
 神だ王だと言うギリシャ神話系ではなく日本の伝承や昔話に近い気がする。

 例えば『水の精霊は気まぐれ。訪れる旅人を千里の果、深海の宴へといざなう。美しき主はされど我々の時間をもてあそぶ。』……もしかして浦島太郎?

 『土の精霊界に続く道は闇。振り返る事なかれ。さすれば親しき者の醜きを見ることとなる』……ってこれもなんだか黄泉平坂みたい。

 『火の妖精は対価を要求する。力なき者、翼を焼かれ地に失墜しっついす』……ってイカロス?

 でも一つ大きな違いは、これらのおとぎ話はこの世界では『史実』及び『法則』として認識されている。

 しかも違う章ではどのようにしてそれぞれの『精霊界』に干渉すべきかが説明されている。

 あるんだよね、ほんとに。この前ちょっと覗いちゃったし。

 読み進めるうちに、この前の私の疑問に一部答えが出た。
 水魔法の水はこの精霊界に干渉してそこから引き出しているらしい。

 でも皆が皆、水の精霊界に干渉して水を引き出したらいくら水の精霊界だっていつか水が尽きちゃうんじゃ?

 また新しい疑問が湧いてくる。

 アーロンがいない間、時間を持て余したエリーさんとマイアさんは2人がかりで毎日私を磨き上げ、私は着せ替え人形の様に2人に遊ばれている。
 アチラの世界でさえあまりオシャレなどしていなかった私には発言権など無く、全て2人におまかせだ。

「アエリア様、今日は今年最初のスミレが咲きましたよ」
「あら、でしたら折角ですからこちらの薄紫のレースが可愛らしいドレスに着替えましょう」
「では髪留めもミントグリーンに銀糸のリボンの物が宜しいですわ」
「それを使うのでしたら髪型もこことここを三つ編みにして後ろは軽いウェーブをかけて……」
「それに合う編み上げの靴が確かこちらに……」

 午後のお茶の前に繰り広げられる二人による私を使った『着せ替え人形』遊びは止める者のいないままどこまでも続いていく。
 されるがままの私はエリーさん達がパタパタと動き回る間もボーッと外を見つめている。

 師匠、もしかしてもう帰って来なかったりして……

 アーロンにはお城での地位も仕事もあるし、ここを離れればきっと忙しく働いているのだろう。

 私も私で前みたいに食べ物も無いままに一人で放り出されている訳でも無いので、アーロンが居なければいないで過不足なく毎日が過ぎて行く。

 一つだけ足りていないのは師匠の存在だ。

 そんな事をぼーっと考えていた私の耳に、突然アーロンの声が響いた。

「アエリアは何処だ? 時間がない!」

 声は執務室からしたようだ。

 アーロンのいない時は決して執務室には入らないようにタイラーさんに言い渡されていたのでそこに人の気配がある事自体久しぶりだ。

「師匠! 今行きます!」

 私が声を張り上げると、まぁっと私の髪にリボンを絡めていたエリーさんとマイアさんが驚いた声をあげた。

「アエリア様そんなに声を張り上げなくても私どもがお連れしますのに」

 そんなこと言ったってアーロンはきっと待ってくれない。
 直ぐに行かないときっと機嫌を損ねる。

「すみませんが、師匠のところに行きます!」

 そう言って編み上げ途中の髪のまま部屋を飛び出した。

「おまえ、髪がまたグチャグチャだぞ?」

 久しぶりにあった師匠の第一声はやっぱり文句だった。

 なぜか顔が笑ってしまう。

「師匠、お帰りなさい。すぐ帰るって言ったっきり帰って来ないので心配してたんです。忙しかったんですか?」
「ああ、殺されるかと思った。こんなに働いたのは本当に久しぶりだ。ったく、ピピンの奴人の足元見やがって」
「へ? ピピンさんとお仕事だったんですか?」
「……ああ、喜べ、お前が会いたがっていたピピンに会わせてやるぞ」
「え!? 本当ですか!」

 一体どうしちゃったんだろう、あんなにいつも怒ってたのに。
 ま、いいか。これでピピンさんの謎が解けるよ。

「支度はちょうど良さそうだな。もう一度自分の部屋に戻って髪をきちんとまとめてもらって来い」

 イライラと時間を気にしながらアーロンが私を追い立てる。

「わ、分かりました、えっと、師匠はここに居るんですか?」

 まだ行っちゃわないよね?

「ああ、ここに居るから早くしろ。エリーとマイアに10分で終わらせろと伝えておけ」

 そう言っているところにエリーさんとマイアさんが部屋まで来て扉の前でアーロンに挨拶をする。

「エリー、早くこいつの髪をどうにかしてやってくれ。時間がない」

 小首を傾けたエリーさんはマイアさんに耳打ちをしてアーロンの元に置いて私を連れて部屋に戻る。

 2分と待たずに部屋に駆け込んできたマイアさんが血相を変えてエリーさんに耳打ちをした。
 途端、エリーさんの顔色が変わり、空気を凍りつかせる様な厳しい剣幕で指示を出し始める。

「マイア、ブリジットさんも呼んでください。後アーロン様に今すぐタイラーさんを送って頂くように手配して。それからあちらにも応援の準備を。アーロン様に30分で必ず仕上げますのでお時間を稼いで頂けるようお願いして」

 指示を出している間もエリーさんの手は止まらない。
 一度結い上げられていた私の髪はもう一度全て解かれ、香油をしっかりと揉み込まれて今度はさっきより数段手の混んだ髪型に結直されていく。

「アエリア様、大変申し訳ありませんが緊急ですので少し手荒い支度になることをご容赦ください」

 そう言って私の着ていた服を引き剥がし、クローゼットの中のドレスの中でも一際豪華な薄水色のサテンとレースをふんだんに使い小さなパールがそこら中に散りばめられたロングドレスを取り出す。

「アエリア様、今日のお食事は我慢です。何を出されても一口以上手を付けてはなりませんよ」

 そう言いながらブリジットさんと二人掛で私の人生初のコルセットを締め上げた。

「く、苦しいです、息が詰まる!」
「大丈夫です。すぐに慣れますから」

 確かに一旦締め終わるとなんとか息が付けた。
 でも確かにこれじゃあ何も食べられない。

 ガーターベルトでこの世界で始めて太ももから吊るす大人の靴下も履き、新しいなめ皮の靴を履く。
 ヒールは流石にまだ今日は無理だと理解してもらえた。

 そこにコンコンとノックの音が響く。

「タイラーです。お手伝いに参りました。宜しいでしょうか?」
「ああ、タイラーさん、ちょうどよい所に!申し訳ありませんがアエリア様に浄化魔法をお願い出来ませんか?」
「ああ、そういう事でしたか。それでは早速」
「アエリア様、ちょっとそのままで」

 え?

 何が起きるのかわからずキョトンとしている私の目の前で、タイラーさんが詠唱を始める。

 魔術も使える執事さんってホントだったんだ。

 などと考えている間に私の皮膚がピリピリとしてきた。

 な、何これ。

 痛くはないけど全身の皮膚と毛穴がバキュームされてるみたい!

 それはそのまま5分ほど続き、肌が全身ツヤツヤになり、何故か爪までキラキラに輝いた所で終わった。

「流石ですわね。タイラー様の浄化魔法はいつ見ても素晴らしい。さあ、アエリア様、最後の仕上げです。こちらでお化粧を施しましょう」
「それでしたら私はこれで失礼させて頂きます」
「タイラーさん、アーロン様に時間通りお連れするので転移は私もご一緒させて頂けますようお願いしていただけますか?」
「はい」

 いつも以上に気合の入った化粧を施され、一体どこのお貴族様だというていになった私はエリーさん共々急ぎ執務室に向かう。
 執務室ではタイラーさんとマイアさんもアーロンと一緒に私達を待っていた。

「アーロン様、お待たせ致しました。早速転移をお願い致します。マイア、後は宜しくお願いします」
「かしこまりました。アエリア様、おめでとうございます。お早いお帰りをお待ちしております」

 え? おめでとうって?

 私が聞き返そうとしている間にも景色は色を失いマイアさんの姿は消え去ってしまった。

 突然世界は暗転したあとまたも少しずつ明るくなり、やがて世界に色が帰ってくる。

 そこは今までで私が一度も来たことのない場所だった。
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