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クロエが出ていった後の、フェルノア帝国皇帝執務室。
若き皇帝イサークは両手で顔を覆い、大きな溜息を吐きながら天を仰いだ。そして・・・・
「あぁ・・・クロエが可愛い・・・綺麗・・・・愛おしい・・・辛い・・・どうしよう」
皇太子時代は「氷の皇子」と呼ばれ、今では「氷の皇帝」と呼ばれている。
だが、両手で顔を覆いながらクロエに対する好意を隠しもせず悶絶している男が、そんな二つ名を持つ者だとは誰も思わないだろう。
「陛下・・・現実逃避したいのはわかりますが、超気持ち悪いんですけど」
イサークの右腕で宰相を務めるアランドが、遠慮も無しに冷たく言い放つ。
「確かに。それよりもクロエ姫、相変わらず超綺麗だったなぁ!」
ソファーにふんぞり返る様に座る、イサークより態度のでかい男は皇帝の近衛騎士でもあるジャスパー。
「ジャスパー、お行儀が悪いですよ。私は初めてお会いしましたが、確かにクロエ姫は噂にたがわぬ美しい方ですね」
自分も含め、室内にいる四人分のお茶を用意しながらジャスパーに同意するのは、イサーク専属の側仕えでもあり暗部統括のユミル。
そう、先程この国に到着し挨拶に訪れたのを出迎えたのは、この四人だった。
というのも、クロエの希望により側妃に対し盛大な迎はいらないという事と、イサーク側としても婚姻を結ぶ一年後まではクロエの安全の為、他国や貴族から極力隠したいと思っていたので、極秘に近い面会となったのだ。
「しかし、姫も側妃を望むだなんて・・・・もう、十年近く前から後宮廃止になっているの知らないんだね」
ジャスパーがお茶をすすりながら首を傾げた。
「えぇ、ルナティア様は姫様に対し、故意にこの帝国内で起きた事を隠しているようです。内緒にする事がこちらに嫁いでもらう条件の一つだったのですから、こちらからも訂正する必要はありません」
甘い物好きなアランドが、クッキーをつまみながら状況を説明する。
「確かに、内緒にしていなければ絶対に嫁いできてはくれませんでしたね。あの表情は・・・」
ユミルの言葉に、皆が先ほどのクロエの浮かべた表情を思い出し、苦い表情になる。
先ほどとは一変、暗い表情になったイサークに皆が同情一色の眼差しを向けた。
「・・・・もう、あれは恐怖にこわばった顔だった。俺の事怖いって事だよなぁ・・・・」
あの美しい顔には・・・・恐怖と絶望しか浮かんでいなかった。
正直な所、イサークは軽く考えていた。
自分の知らない人生を一度終えたクロエ。彼女は自分に裏切られ自分の手で刺され二十才の若さで死んだ。
でも、此処に居る自分は彼女の知っている自分ではない。
接していくうちに距離が縮まるはずだと、いずれは自分に好意を抱いてくれるはずだと、心の中で思っていたのだ。
だが、対面したクロエの表情を見て、未来永劫無理なのではないかと、早くも挫けそうになる。
それほどまでに、彼女の表情が物語っていたのだ。
「まぁ、前途多難だよなぁ・・・・」
「彼女が体験した事だから、否定はできないですしね」
「・・・・それよりも、あの離宮の部屋を見てドン引きしないか、そちらが不安です」
ジャスパー、アランドはユミルの言葉に大袈裟なくらい大きく頷く。
そんな彼等に不貞腐れたように睨みをきかせ、ぷいっと横を向くイサークは、何度も言うが「氷の皇帝」と言われるその人だ。
イサークは必死だった。
クロエを手に入れる事ができるのならルナティアの助言も鵜呑みにし、成り振りなど構ってなどいられないほどに。
入れられた紅茶に手を付けることなく天を仰ぐと、五年前初めてフルール国を訪れた時の事を思い出していた。
イサークが二十才の時、父親であるエドリードから突然、自分の代わりにフルール国の『花祭り』に参加するよう言われた。
毎年、嬉々として夫婦揃って参加するその祭りに若干興味があった事も否めなかったので、二つ返事で参加する事にしたのだ。
フルール国は元々、花の栽培が盛んな国で、質の良いその花々は各国に輸出されていた。
他国では育つことのない珍しい花はかなり値が張り、貴族達が金持ちのステータスとして我先にと進んで買い求めていく。
おかげでこの国は、他国と比べそこそこ裕福で貧富の差もあまりないと言われていた。まぁ、そのような政策を打ち出している国王達が優秀なのだが。
そんな花の精霊への感謝を込めて『花祭り』を毎年開催するのだ。
イサークは王宮で行われる祭りの前夜祭に参加するため昼過ぎに城へと入った。
フェルノア帝国はルナティアの友人扱いで王宮に部屋が用意されている。
そこは父であるエドリードが何時も使っている部屋で、驚いたことにまるで自国の私室の様に私物で溢れかえっていた。
「なんだか、自国の部屋にいるような雰囲気だな」
付き添ってきたジャスパーは少し呆れたように肩をすくめるも、この居心地の良さは父達が長年築き上げた王妃たちとの信頼の様な気もして、少し誇らしくも思うのだ。
夕刻から始まる前夜祭は他国からの王族貴族が一斉に集まる夜会で、当然、警備は厳重だが会場内は一見和やかな雰囲気の元、国王一家の登場を待っていた。
「なんか、本当にすごい・・・・」
参加している人々の顔ぶれに、ジャスパーは言葉を失くしピリピリとした緊張感に顔を強張らせていた。
それもそのはず。帝国ですら未だ接点を持つことのできない重要国の高位貴族達が、これでもかと言うくらい揃っているのだから。
これにはイサークも驚き、どうりで夫婦揃って毎年欠かさずに参加していたのかがわかり、どことなく息苦しく感じこくりと唾を飲み込んだ。
この国に来る前に父からのアドバイスは貰っていたが、できる事ならこの状況を説明して欲しかったと切に感じていた。
そして周りの視線がイサークに集中しているのは、恐らく勘違いではないだろう。
今年は皇帝ではなく皇太子を派遣した。その事実は、周りの国々に色々な憶測をもたらす。
その理由が単に、皇帝が忙しかっただけだったのだとしても。
「いやー、めちゃくちゃ見られてますね」
小声でジャスパーが声を掛けてくる。
男からは値踏みするような、女からは羨望と欲に塗れた眼差しが。
「皇子、顔だけはいいですからね~。変な女引掻けないで下さいよ」
「誰がするか」
揶揄う様なジャスパーをひと睨みすると、急に会場が静かになり国王一家の入場を知らせる声が響いた。
国王を先頭に、王妃、そして王太子一家が現れると、会場の人達から感嘆の溜息が漏れ始めた。
会場から見て左に国王、右に王妃が座れば、国王側に王太子夫婦とロゼリンテが立ち、王妃の横にクロエが立った。
王太子妃がクロエを虐げている事は有名な話で、毎年参加する人達はこの状況が普通なようで誰も気にする者はなく、皆の視線は一斉にクロエへと集まっていた。
何を隠そうイサークもその一人で、クロエを見た瞬間、まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が走り、彼女から目を離すことが出来なくなっていた。
自分に起きた不可解な状況。だが、本能はそれに納得し、心のままにクロエへと熱い眼差しを向ける。
国王の挨拶を聞きながらも、この状況に戸惑っていると、不意に王妃がイサークに視線を向け小さく微笑んできた。
王妃はクロエと同じ艶やかな黒い髪に、深い海の底を思わせる様な青い瞳をしており、実年齢よりかなり若く美しい人だった。
その横に立つクロエもまた同じく美しく光る黒髪を複雑に結い上げ、緩くカールさせたおくれ毛を両サイドから垂らし、髪飾りには銀色の小さな薔薇を散りばめ光に反射しキラキラと輝いている。
そして、彼女の瞳と同じサファイアブルーのドレスは瑞々しくも張りのある胸と細くくびれた腰を際立たせるかの様に、幾重かに重なるレースをウエストからふんわりとボリュームをもたせ、裾には銀糸で薔薇が刺繍されていた。
偶然か必然か・・・自分の花紋を身に纏う美しいクロエに、易く認める。
彼女に一目で心を奪われたのだと・・・・
認めた途端、苦い物も同時に込み上げてくる。なぜならば、王位継承順位からみても、互いに国の後継者であり、決してその運命が交わる事がないのだ。
初恋を自覚した途端、失恋も自覚し、天上の心地よさから極寒の大地に投げ出されたかのような絶望感に飲み込まれ、今にも心臓が止まりそうなほどの痛みに唇を噛みしめた。
若き皇帝イサークは両手で顔を覆い、大きな溜息を吐きながら天を仰いだ。そして・・・・
「あぁ・・・クロエが可愛い・・・綺麗・・・・愛おしい・・・辛い・・・どうしよう」
皇太子時代は「氷の皇子」と呼ばれ、今では「氷の皇帝」と呼ばれている。
だが、両手で顔を覆いながらクロエに対する好意を隠しもせず悶絶している男が、そんな二つ名を持つ者だとは誰も思わないだろう。
「陛下・・・現実逃避したいのはわかりますが、超気持ち悪いんですけど」
イサークの右腕で宰相を務めるアランドが、遠慮も無しに冷たく言い放つ。
「確かに。それよりもクロエ姫、相変わらず超綺麗だったなぁ!」
ソファーにふんぞり返る様に座る、イサークより態度のでかい男は皇帝の近衛騎士でもあるジャスパー。
「ジャスパー、お行儀が悪いですよ。私は初めてお会いしましたが、確かにクロエ姫は噂にたがわぬ美しい方ですね」
自分も含め、室内にいる四人分のお茶を用意しながらジャスパーに同意するのは、イサーク専属の側仕えでもあり暗部統括のユミル。
そう、先程この国に到着し挨拶に訪れたのを出迎えたのは、この四人だった。
というのも、クロエの希望により側妃に対し盛大な迎はいらないという事と、イサーク側としても婚姻を結ぶ一年後まではクロエの安全の為、他国や貴族から極力隠したいと思っていたので、極秘に近い面会となったのだ。
「しかし、姫も側妃を望むだなんて・・・・もう、十年近く前から後宮廃止になっているの知らないんだね」
ジャスパーがお茶をすすりながら首を傾げた。
「えぇ、ルナティア様は姫様に対し、故意にこの帝国内で起きた事を隠しているようです。内緒にする事がこちらに嫁いでもらう条件の一つだったのですから、こちらからも訂正する必要はありません」
甘い物好きなアランドが、クッキーをつまみながら状況を説明する。
「確かに、内緒にしていなければ絶対に嫁いできてはくれませんでしたね。あの表情は・・・」
ユミルの言葉に、皆が先ほどのクロエの浮かべた表情を思い出し、苦い表情になる。
先ほどとは一変、暗い表情になったイサークに皆が同情一色の眼差しを向けた。
「・・・・もう、あれは恐怖にこわばった顔だった。俺の事怖いって事だよなぁ・・・・」
あの美しい顔には・・・・恐怖と絶望しか浮かんでいなかった。
正直な所、イサークは軽く考えていた。
自分の知らない人生を一度終えたクロエ。彼女は自分に裏切られ自分の手で刺され二十才の若さで死んだ。
でも、此処に居る自分は彼女の知っている自分ではない。
接していくうちに距離が縮まるはずだと、いずれは自分に好意を抱いてくれるはずだと、心の中で思っていたのだ。
だが、対面したクロエの表情を見て、未来永劫無理なのではないかと、早くも挫けそうになる。
それほどまでに、彼女の表情が物語っていたのだ。
「まぁ、前途多難だよなぁ・・・・」
「彼女が体験した事だから、否定はできないですしね」
「・・・・それよりも、あの離宮の部屋を見てドン引きしないか、そちらが不安です」
ジャスパー、アランドはユミルの言葉に大袈裟なくらい大きく頷く。
そんな彼等に不貞腐れたように睨みをきかせ、ぷいっと横を向くイサークは、何度も言うが「氷の皇帝」と言われるその人だ。
イサークは必死だった。
クロエを手に入れる事ができるのならルナティアの助言も鵜呑みにし、成り振りなど構ってなどいられないほどに。
入れられた紅茶に手を付けることなく天を仰ぐと、五年前初めてフルール国を訪れた時の事を思い出していた。
イサークが二十才の時、父親であるエドリードから突然、自分の代わりにフルール国の『花祭り』に参加するよう言われた。
毎年、嬉々として夫婦揃って参加するその祭りに若干興味があった事も否めなかったので、二つ返事で参加する事にしたのだ。
フルール国は元々、花の栽培が盛んな国で、質の良いその花々は各国に輸出されていた。
他国では育つことのない珍しい花はかなり値が張り、貴族達が金持ちのステータスとして我先にと進んで買い求めていく。
おかげでこの国は、他国と比べそこそこ裕福で貧富の差もあまりないと言われていた。まぁ、そのような政策を打ち出している国王達が優秀なのだが。
そんな花の精霊への感謝を込めて『花祭り』を毎年開催するのだ。
イサークは王宮で行われる祭りの前夜祭に参加するため昼過ぎに城へと入った。
フェルノア帝国はルナティアの友人扱いで王宮に部屋が用意されている。
そこは父であるエドリードが何時も使っている部屋で、驚いたことにまるで自国の私室の様に私物で溢れかえっていた。
「なんだか、自国の部屋にいるような雰囲気だな」
付き添ってきたジャスパーは少し呆れたように肩をすくめるも、この居心地の良さは父達が長年築き上げた王妃たちとの信頼の様な気もして、少し誇らしくも思うのだ。
夕刻から始まる前夜祭は他国からの王族貴族が一斉に集まる夜会で、当然、警備は厳重だが会場内は一見和やかな雰囲気の元、国王一家の登場を待っていた。
「なんか、本当にすごい・・・・」
参加している人々の顔ぶれに、ジャスパーは言葉を失くしピリピリとした緊張感に顔を強張らせていた。
それもそのはず。帝国ですら未だ接点を持つことのできない重要国の高位貴族達が、これでもかと言うくらい揃っているのだから。
これにはイサークも驚き、どうりで夫婦揃って毎年欠かさずに参加していたのかがわかり、どことなく息苦しく感じこくりと唾を飲み込んだ。
この国に来る前に父からのアドバイスは貰っていたが、できる事ならこの状況を説明して欲しかったと切に感じていた。
そして周りの視線がイサークに集中しているのは、恐らく勘違いではないだろう。
今年は皇帝ではなく皇太子を派遣した。その事実は、周りの国々に色々な憶測をもたらす。
その理由が単に、皇帝が忙しかっただけだったのだとしても。
「いやー、めちゃくちゃ見られてますね」
小声でジャスパーが声を掛けてくる。
男からは値踏みするような、女からは羨望と欲に塗れた眼差しが。
「皇子、顔だけはいいですからね~。変な女引掻けないで下さいよ」
「誰がするか」
揶揄う様なジャスパーをひと睨みすると、急に会場が静かになり国王一家の入場を知らせる声が響いた。
国王を先頭に、王妃、そして王太子一家が現れると、会場の人達から感嘆の溜息が漏れ始めた。
会場から見て左に国王、右に王妃が座れば、国王側に王太子夫婦とロゼリンテが立ち、王妃の横にクロエが立った。
王太子妃がクロエを虐げている事は有名な話で、毎年参加する人達はこの状況が普通なようで誰も気にする者はなく、皆の視線は一斉にクロエへと集まっていた。
何を隠そうイサークもその一人で、クロエを見た瞬間、まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が走り、彼女から目を離すことが出来なくなっていた。
自分に起きた不可解な状況。だが、本能はそれに納得し、心のままにクロエへと熱い眼差しを向ける。
国王の挨拶を聞きながらも、この状況に戸惑っていると、不意に王妃がイサークに視線を向け小さく微笑んできた。
王妃はクロエと同じ艶やかな黒い髪に、深い海の底を思わせる様な青い瞳をしており、実年齢よりかなり若く美しい人だった。
その横に立つクロエもまた同じく美しく光る黒髪を複雑に結い上げ、緩くカールさせたおくれ毛を両サイドから垂らし、髪飾りには銀色の小さな薔薇を散りばめ光に反射しキラキラと輝いている。
そして、彼女の瞳と同じサファイアブルーのドレスは瑞々しくも張りのある胸と細くくびれた腰を際立たせるかの様に、幾重かに重なるレースをウエストからふんわりとボリュームをもたせ、裾には銀糸で薔薇が刺繍されていた。
偶然か必然か・・・自分の花紋を身に纏う美しいクロエに、易く認める。
彼女に一目で心を奪われたのだと・・・・
認めた途端、苦い物も同時に込み上げてくる。なぜならば、王位継承順位からみても、互いに国の後継者であり、決してその運命が交わる事がないのだ。
初恋を自覚した途端、失恋も自覚し、天上の心地よさから極寒の大地に投げ出されたかのような絶望感に飲み込まれ、今にも心臓が止まりそうなほどの痛みに唇を噛みしめた。
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