魔法省事故処理班オメガは史上最低の愛を喰らってます

トノサキミツル

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第二話 溺愛管理癖の元恋人なのです

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「そう、よかったわ。これで安心した。あたしったら熱くなっちゃってごめんなさい。そうと決まればすぐにこの書類にサインをしてちょだい。お相手からの了承を得てから、名を明かすことになるけれども、相手は厳正な審査を受けたアルファだから安心して」

 欣喜雀躍、思い通りになったのかミズ・クランツがやっとおれに眩い笑顔をむけた。

「あ、あの……、ちょっとまってください。ひとつだけいいですか?」

「なにかしら? あなた、まだなにか?」

 次の瞬間、余計なことを質問するなといわんばかりにおれを睨んだ。産業医である彼女の声はきつく絞り上がり、黒々と縁どった睫毛が勢いよく揺れた。

「相手が既婚者の可能性ってあるんでしょうか? たしか、この魔防法は、アルファだけは既婚者でもいいと聞いたことがあります……」

「ええ、アルファは既婚者でもオーケーよ。ただ、オメガには特別金が配給されるし、あなたの権利はちゃんと補償されているわ。だからなにひとつ心配する必要はないの」

「で、でも……。もし結婚していた場合、奥方に恨まれるのはおれですよね……? 刺されたらどうするんですか?」

「その場合は魔防法第七十一条を提示して、弁護士を雇いなさい。もちろん、刺されるときはかすり傷程度じゃダメよ。ザックリ切られて、魔工具で証拠を残す。そして回復魔法をせずに、診断書をだしてもらうといいわ。そうすればなにもかも安泰よ。内容証明書を送付して、示談交渉が困難になれば裁判をしてばっちり慰謝料を請求すればいいわ。精神的苦痛も合わせれば完璧。この法の下で番契約を結んだのなら、だれがなにを言おうと一切口出しはできないはずよ」

 にこりと柔らかな笑みをこぼして、ミズ・クランツはいった。

「それって、おれが刺される前提じゃないですか……。しかもそんな恐ろしいこと……」 

「あら、死ぬよりいいじゃない。怪我なんて魔法で治るし、呪いのほうがやっかいでしょ。顔がドロドロに溶けて、手足が腐っていくより断然いい。さ、ムダ話はここまでよ。ささっとここにサインしてちょうだい。これからまた別件で人がくるの。急いでもらってもいいかしら?」

 厄介な質問はこれで終わりというジェスチャーをされて、おれは羽根ペンを手に取る。
 書面に目を通し、差し出された羽根ペンの先をインク瓶につける。羽根ペンを真下にむけると、先端が羊皮紙にひっかかり、名前の後ろにインクが飛んだ。それも勢いよくだ。
 しまった、と思った。

 インクは不格好な黒い果実のような染みになった。
 なんたる不吉な兆候。ギロチンで首を真っ二つにされた女王のように不吉でしかない。

「あら、ちょっとついちゃったわね」
「えっと。あの……、書き直しましょうか……?」

 おそるおそると訊いたが、ミズ・クランツは気にしてない様子だった。

「その必要はないわ。紙食いインプでもないし、これで十分よ」

 ミズ・クランツはにこにこしながら、羊皮紙を巻いて麻紐で縛り、封印魔法を唱えて円筒の中に雑に押し込んだ。

「では、ミスタ・ヴィンセント。あなたによいご加護を」
 
 まるでおれの治療が終わったとでもいうような口調で、さわやかな笑顔をむけられた。用件は終わりだと告げられたわけで、おれは追い出されるように治療室をでた。



★★

 バタンと扉を固く閉じて、ため息をひとつ落とす。
 やっと終わった。
 というか、終わる。
 長々としたミズ・クランツの説明と、おれの一方的な片想いから解放される。急に呼ばれたときはこの世の終わりだと思ったが、生きて戻ってこれた。
でも、すべてはこの法律がわるい。

『魔力暴発防止番契約法』

 略して、魔防法。

 この国では魔法使いのオメガは必ず番契約を結ぶよう強制されている。
 ある程度の年齢に達した場合、またはおれのようにマナとフェロモン値が基準値に満たしていない場合なども対象者となる。
 理由としては、ツガイのいないオメガは魔力の素となるマナがコントロールできずに、いつか魔力が暴走するおそれがあるからだ。

 そんなイカれた法律があるせいで、子どもがオメガ性と判明すれば、親たちは貴族図鑑を手にとって、婚約者をすぐに見つけようとやっきになる(この国のオメガの大半は強制的契約結婚だ)。

 ちなみに、おれのように新しい恋人を見つけられず、婚活すらしていないと、こんなふうに呼びだされるというわけだ。

 階段を上がり、地上にでたとき、どっと疲れが込み上げてきた。
 だれもいないのを確認して、おれは壁に背を凭れさせた。ずるずると尻もちをついて、ぺたりと座り込む。洋灯は頼りない光を放ち、魔法省の庁舎は魔法石の節約のためか、冥界のように闇に沈んでいる。
 ここは明かりが足りず、不便でだれも通らない。一人で落ち込むにはちょうどいい。

「……なんだよ、欠乏症って……そもそもオメガ性が未熟なのはとうの昔に知っていたさ……」

 そもそもだ。

 自分のオメガ性が未熟なのは知っている。

 それでもいつかどうにかなるんじゃないだろうかという高を括っていた罰なのか。
 もちろん、努力はしている。抑制剤は商業区にある薬師から毎月送ってもらっているし、医者の処方箋に基づいて苦い粉末を煎じたものも常用している。
 分厚い革性のネックガードをつけてその上に防御魔法もかけているし、なにもせずに愚鈍になっていたわけでもない。
 見た目は平凡というか、特徴がほぼない(眉毛は別だ)。

 ヒートがきていない、それだけだ。

 自分がオメガだと自覚していたし、抑制剤を飲んでまっていても一度もこない。ベータになったのだと思うが、どうもちがう。
 よくよく考えても、むりだ。おれの第二の性が熟すなんてことがあるのだろうか……。

「いや、その前に、アルファの恋人をいますぐつくれなんてムリすぎる……」

 地味で、性格もひん曲がっているので、ごもっともである。

 はあ……と深いため息がまたでる。

 すべてが無謀で、むちゃくちゃだ。

 顔も知らない、名も知らないヤツとツガイとなれなんて……。むりだ。ムリムリムリ。そんなのできない。愛人になったとしても、その役目を全うする自信すらない。

 そもそもだ。大概のアルファはクソ野郎が多い。

 誘引剤を飲ませ、卑劣な手を使って、オメガを襲うアルファが数知れない。

 それが重種アルファだったら、なおさら最悪だ。ちょっとしたことで揉めても、十中八九オメガが悪いと騒ぎ立てられ、自動的に有罪判決が下され、オメガのほうが拘置所にぶっこまれて謎の死を食らうのがオチだ。

 それにオメガを愛人にして、ヒートだけで楽しみたいやつなんてのもたくさんいる。
 その逆もしかりだ。国からの補助金目当てで暮らすオメガも存在するが、おれはそんなふうになりたくない。
 
 それでも結局はアルファという存在に頼らざるをえないわけだ。

 ……いまさら考えでも、おそいけど。

 うまく作動しないスプリンクラーのように悩みが泡沫となってパンパンになっている。頭の中がぐるぐるとムダな思考がひしめき合ってる。ただ、すでに答えは決まっている。

 サインしてしまったからには、もう拒否することはできない。
 つまり、国から指定されたアルファとツガイになるしかない。目隠しして、流れに身を任せればなんとかなるか……。

 いや、なるわけないか。

 窓から、雨音が激しくなっていくのがわかった。大きな影が視界を遮り、おれに覆いかぶさる。

「ロン、こんなところで座り込んでどうしたの?」

 頭上から柔らかな声が降ってきて、顔を上げる。元恋人のルーク・ブラン・ディグビーがいた。
 心配そうに身を屈めて、おれの顔を見ていた。

「ルー……」
「ロン?」

 しまった、と思った。二度目だ。
 のっけから、一番会いたくない相手に鉢合わせしてしまった。

「どうしたの、こんな寒い場所で。なにかよくないことでもあった?」

 灰色の瞳がまっすぐにおれをとらえる。

 かっちりとした濃紺色のスーツに身を包み、爪先まで磨きあげられた革靴が眩しい。艶やかな黒髪を後ろになでつけ、どこか気品が漂う。

 今日も完璧だ。

 涼しげな美貌は貴族の中でも一級品だとおれは思う。
 ルーク・ブラン・ディグビー。王族の分家でもある、ディグビー公爵家の令息だ。国家総合職の超エリート高官で、出世街道の一番安全な真ん中を歩いている。
 重種で、この国の獣性カーストのトップに君臨する蛟(蛟は特別で神の眷属ともいわれている)。現在はルークの父である当主が宰相を務め、ルークの兄が家督を継ぐ予定だが、いつだって貴族然とした風貌を保っている。

「だいじょうぶ?」

 眼前で手を翳され、おれはあわてて笑顔をとり繕う。

「あっ……、えっとルーク……。その。……ひさしぶり。げんき……だった……?」

 なんたる失態。庭園に面した西向きの部屋に高官たちの執務室が並んでいるのをすっかり忘れていた。ついていない。

「元気さ。昨日、南ゲートできみをみたよ。目が合ったのに、顔をそらされたから無視されたのかなと思ったんだけど……。ちがう?」

「ち、ちがうよ。無視なんかしない」

 首をふってちがうと主張する。本音は存在を悟られたくなかっただけで、逃げたのは本当だ。

「そうかな。ぼくは目が合ったと思ったんだけどね」

 ルークの拗ねた顔に、うぐっとへんな声がくぐもってでた。
 あの場で、おれから声をかけたらまたへんな噂がたつだろうが……。
 元恋人がなれなれしくすり寄ってきているとか、まだ復縁を望んでいるんじゃないかとか。いまだに未練たらたらなんじゃないかとか。
 そうやって、塩コショウのような嘘をふりかけられて真実性を歪め、ゆっくりとさざ波のように波紋を起こして噂は広がる。

「ごめん。ルークがあまりにも忙しそうだから、話しかけるのを遠慮したんだ。その、定例会議とか出張とかいろいろあっただろう?」

「そんなのいつものことだよ。今日はあの赤毛の用心棒は隣にいないの? いつもぼくを睨んでくるんだけどね」

「ああ、ギルかな。いつもああいう表情なんだよ。言葉は荒いけど、根は真面目でいいやつなんで誤解しないでほしいな」

「……へぇ、そうか。悪くいって申し訳ない。しかし、彼がきみの部署に配属されてからずいぶんと仲がよくなったね」

「たまに飲みにいくからかな。彼、この国にきたばかりで友人が一人もいないんだ。お酒が好きみたいで、よく誘われるんだ」

「そうなんだ。……それはいいね」

 のろのろと身体を起すと、ルークがぐっと持ち上げてくれた。勢いがついて、足がもつれて、おれの身体が前かがみに倒れる。

「うわっ、ごめん……」

 どすっとという鈍い音とともに、顔面がルークの胸にぶつかった。
 そのとたん、ゆったりとあまい香りが漂った。穏やかで優しい匂いに、瞼の奥が熱くなる。

「ロン、だいじょうぶ?」

 ルークのひんやりと冷たい手がおれの頬を包み、はっと我に返る。一瞬、なにも考えられなかった。

「……だ、だいじょうぶ。ああ、あ、ありがとう……」

「声がへんだけど、風邪でも引いてる? なんだか身体が熱いけど」

「風邪じゃないよ」

 知恵熱だ。きっと。
 ゆっくりとほほえんで、おれは両腕をのばしてルークの胸をつっぱねるように押した。

「ごめん。もう、だいじょうぶ。朝飯を抜いてきたからくらっときただけだ。だから、もう離してほしい」

 もぞもぞと腕から逃げようとするが、ルークは離そうとしない。

「ちゃんと食べなきゃダメだよ。きみは一日一食みたいなところがあるから、せめて朝食と昼だけは食べたほうがいいっていつも言っているじゃないか」

「うん、帰ったらちゃんと食べるよ……だからはなし……」

「……ロン、ここは冷え込むから、ぼくの執務室で紅茶でも飲もう。すぐそこなんだ。クッキーでも食べて、温かくして休んだほうがいいよ。顔色がわるい」

 外はすでに真っ暗で、いつのまにか雨が窓を叩きつけていた。おまけに寒い。このまま温かいお茶でも飲んでいきたい気持ちはもちろんある。
 ついていきたい、けどそれはダメだ。

「……その気持ちだけいただく。心配してくれてありがとう」

 ルークは指を絡めて、おれの手を握った。ためらいがちに長いまつ毛を伏せて、なにかいいたげに見える。
 しんと静まった廊下に、雨の音だけが耳に入った。
 はやくここから立ち去りたい。そう思った。
 家に帰って、ルークに触れた手を思い出しながら、今日の記憶を反芻して、深い眠りにつけばすべて忘れられる。
 気まずい沈黙に、ルークが口をひらく。

「……ロン、あのさ」
「なに?」
「……なにかぼくに話すことない? それにちょっと瘦せたよね。ちゃんと食べてる?」

 なんだ、そのことか。うんとうなずいて、おれは答えた。

「食べてるよ。昨日はフライドポテトと、それとガーリック味のポテトチップスにケチャップをつけた」

「ケチャップは食べ物じゃないと思うんだ……。それに、そうじゃなくて……」

「原料はほぼトマトだし、野菜だし、それで満たされてるからいいかなっ……て……」

 言い切るまえに、ルークが不満そうな声でさえぎった。

「ケチャップは食事じゃないし、ソースだよ。確かにビタミンとミネラルが豊富だとは思う。ただ、トマトケチャップは必要摂取量に対して、ごく少量しか含まれていない。ジャガイモは炭水化物だし、糖と脂質ばかりで、もっと緑黄色野菜なども口にすべきだとぼくは思う」

「わ、わかってるよっ……。ルークからもらったレシピで、寝る前に特製グリーンスムージーもつくって飲んだし、冷凍して渡してくれたやつも飲んでるよ」

 凛々しい眉が皺を刻んでいく。なんとなく安心させようとそう説明をつけ足したが、どうやら逆効果だったようだ。

「それなら朝も飲んだほうがいいね。二つ渡したのは、夜と朝に飲んでほしかったんだ。なにも食べないのはよくないし、空腹時は胃の中は胃酸分泌がさかんになって、胃痛の原因になるんだよ」

 さすがルークだ。法学部出身なのに、法医学専攻だったおれよりも詳しいとは頭が下がる……。
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