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一章 春風とともに
≪閑話≫姫様の鯉あそび
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それは、いつもの朝のことだった。
今日の伽耶は、いつもにも増して熱心だった。
漢字の書きとり、漢句の解釈、歴史本の音読。
普段なら倍はかかるところを、今日はすでにすべて終えていた。
「姫様、今日の分はすべて終了です。素晴らしい集中力でしたね」
誠が机の上の書簡や本をまとめながら、穏やかに声をかける。
「そうでしょう!」
伽耶は嬉しそうに両手をぎゅっと握ると、ぱっと顔を輝かせた。
「今日はね、あなたに見せたいものがあったから、頑張ったのよ!」
その目は、早く早くと言わんばかりに輝いている。
「ね、こっち!とっても可愛いんだから!」
そう言うやいなや、伽耶は誠の手を取って中庭へと駆け出した。
「見て、わたしの自慢の池!」
誠が案内されたのは、以前にも見たことのある中庭の池だった。
けれど、今日の伽耶は何か企んでいるような、そんな顔をしている。
ちらりと芳蘭の方を窺うと、伽耶はこっそり誠に顔を寄せ、小声で囁いた。
「今朝ね、ちょっと寝坊しちゃったの。だから、まだごはんあげてないのよ」
芳蘭に知られたら怒られるのか、伽耶はいたずらっぽく笑いながら、帯のあたりから小さな袋を取り出す。
「一緒にあげましょ?かわいいんだから」
そう言って、袋の中から麩を何個か取り出し、誠へ手渡してきた。
誠は差し出された麩を受け取り、思わずまじまじと眺める。
(……姫様の鯉ともなると、餌も上等なのだな)
袋の中には、丁寧に仕立てられた、香ばしい麩がぎっしりと詰まっていた。
伽耶が麩を池に放ると、たちまち鯉たちが大きな口を開けて集まってきた。
なかでも、ひときわ大きな鯉が、他の鯉たちを押しのけるようにして麩を独占している。
「もう、ケイったら今日も強引なんだから」
伽耶は困ったように笑っていたが、誠は眉をひそめた。
「……ケイ、ですか?」
「あの大きな子の名前よ。」
伽耶はうれしそうに続ける。
「あの子はね、とっても縄張り意識が強いの。それに他の子のご飯までとっちゃうの。本当困った子よね。」
くすくすと笑いながら、またひとつ麩を投げる。
「鯉に……お名前を?」
「そうよ、みんな個性があるの。とっても可愛いの」
伽耶は今度は、ケイとは反対側にそっと麩を投げた。
すると、少し小柄だがすばやい鯉が、大きな口を開けて麩を飲み込んだ。
「あれはショウ。要領はいいけど、ちゃんと気を使うのよ。食べられてない子がいると、譲ってあげたりするの」
ショウと呼ばれた鯉は、麩を一口で平らげると、すぐに遠くへと泳いでいった。
「それから、あの子はラン。元気いっぱいなんだけど……たぶん、ちょっと方向音痴なのよね」
「こっちはソウ。見て、自分の模様を自慢してるでしょう?」
(……いや、いや、まさか)
次々に紹介される鯉たちに、誠の脳裏にはなぜか見知った顔が次々と浮かぶ。
「……鯉の、話ですよね?」
誠がおそるおそる問いかけると、伽耶は小首を傾げて、にっこりと微笑んだ。
「そうよ?かわいいでしょう?」
その笑顔に誤魔化されるようにしていると、伽耶はふと、池の端で泳ぐ小さな鯉を指さした。
そして、その鯉が食べやすいように麩を丁寧に投げる。
「あの子は、セイ。最近この池に来たばかりなの。
とっても不器用で、うまくご飯が食べられないから、こうやって手伝ってあげるのよ。……でも、そこがまた可愛いの」
伽耶は心から愛おしそうに笑い、セイに向かってそっと麩を投げる。
誠はなぜか、顔が熱くなるのを感じた。
(……セイは、不器用……)
まるで、自分のことを言われているようで、居心地の悪さを覚えながら、顔をそむける。
最後の一片を手に取った伽耶は、池に向かって優雅に手を振った。
「みんな、こんなに丸々太って……そのうち食べられちゃうかもしれないわね」
にっこりと笑って、最後の麩を放る。
ケイが、それを豪快に飲み込み、満足げに水面を揺らした。
誠はケイを見ながら、引きつった顔を必死で隠した。
(……セイは、まだ小さいから……しばらくは大丈夫……だろうか)
そう思いながら、そっと自分も麩を一粒、セイのいない方に向かって投げた。
今日の伽耶は、いつもにも増して熱心だった。
漢字の書きとり、漢句の解釈、歴史本の音読。
普段なら倍はかかるところを、今日はすでにすべて終えていた。
「姫様、今日の分はすべて終了です。素晴らしい集中力でしたね」
誠が机の上の書簡や本をまとめながら、穏やかに声をかける。
「そうでしょう!」
伽耶は嬉しそうに両手をぎゅっと握ると、ぱっと顔を輝かせた。
「今日はね、あなたに見せたいものがあったから、頑張ったのよ!」
その目は、早く早くと言わんばかりに輝いている。
「ね、こっち!とっても可愛いんだから!」
そう言うやいなや、伽耶は誠の手を取って中庭へと駆け出した。
「見て、わたしの自慢の池!」
誠が案内されたのは、以前にも見たことのある中庭の池だった。
けれど、今日の伽耶は何か企んでいるような、そんな顔をしている。
ちらりと芳蘭の方を窺うと、伽耶はこっそり誠に顔を寄せ、小声で囁いた。
「今朝ね、ちょっと寝坊しちゃったの。だから、まだごはんあげてないのよ」
芳蘭に知られたら怒られるのか、伽耶はいたずらっぽく笑いながら、帯のあたりから小さな袋を取り出す。
「一緒にあげましょ?かわいいんだから」
そう言って、袋の中から麩を何個か取り出し、誠へ手渡してきた。
誠は差し出された麩を受け取り、思わずまじまじと眺める。
(……姫様の鯉ともなると、餌も上等なのだな)
袋の中には、丁寧に仕立てられた、香ばしい麩がぎっしりと詰まっていた。
伽耶が麩を池に放ると、たちまち鯉たちが大きな口を開けて集まってきた。
なかでも、ひときわ大きな鯉が、他の鯉たちを押しのけるようにして麩を独占している。
「もう、ケイったら今日も強引なんだから」
伽耶は困ったように笑っていたが、誠は眉をひそめた。
「……ケイ、ですか?」
「あの大きな子の名前よ。」
伽耶はうれしそうに続ける。
「あの子はね、とっても縄張り意識が強いの。それに他の子のご飯までとっちゃうの。本当困った子よね。」
くすくすと笑いながら、またひとつ麩を投げる。
「鯉に……お名前を?」
「そうよ、みんな個性があるの。とっても可愛いの」
伽耶は今度は、ケイとは反対側にそっと麩を投げた。
すると、少し小柄だがすばやい鯉が、大きな口を開けて麩を飲み込んだ。
「あれはショウ。要領はいいけど、ちゃんと気を使うのよ。食べられてない子がいると、譲ってあげたりするの」
ショウと呼ばれた鯉は、麩を一口で平らげると、すぐに遠くへと泳いでいった。
「それから、あの子はラン。元気いっぱいなんだけど……たぶん、ちょっと方向音痴なのよね」
「こっちはソウ。見て、自分の模様を自慢してるでしょう?」
(……いや、いや、まさか)
次々に紹介される鯉たちに、誠の脳裏にはなぜか見知った顔が次々と浮かぶ。
「……鯉の、話ですよね?」
誠がおそるおそる問いかけると、伽耶は小首を傾げて、にっこりと微笑んだ。
「そうよ?かわいいでしょう?」
その笑顔に誤魔化されるようにしていると、伽耶はふと、池の端で泳ぐ小さな鯉を指さした。
そして、その鯉が食べやすいように麩を丁寧に投げる。
「あの子は、セイ。最近この池に来たばかりなの。
とっても不器用で、うまくご飯が食べられないから、こうやって手伝ってあげるのよ。……でも、そこがまた可愛いの」
伽耶は心から愛おしそうに笑い、セイに向かってそっと麩を投げる。
誠はなぜか、顔が熱くなるのを感じた。
(……セイは、不器用……)
まるで、自分のことを言われているようで、居心地の悪さを覚えながら、顔をそむける。
最後の一片を手に取った伽耶は、池に向かって優雅に手を振った。
「みんな、こんなに丸々太って……そのうち食べられちゃうかもしれないわね」
にっこりと笑って、最後の麩を放る。
ケイが、それを豪快に飲み込み、満足げに水面を揺らした。
誠はケイを見ながら、引きつった顔を必死で隠した。
(……セイは、まだ小さいから……しばらくは大丈夫……だろうか)
そう思いながら、そっと自分も麩を一粒、セイのいない方に向かって投げた。
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