紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

文字の大きさ
25 / 110
二章 春に咲く舞

第八話 わたしの、誇り

しおりを挟む
景仁の乾杯の合図で始まった宴は、穏やかに進んでいた。
食事と酒が振る舞われ、招待客は勿論のこと、季国の重臣たちもまた会話に花を咲かせている。

誠もまた、賊討伐の立役者として、重臣たちの列席に加わっていた。

「それにしても、陸誠殿。今回の賊退治はお見事でしたなぁ」

にやついた笑みで話しかけてきたのは、季国の重臣・羅正(らせい)であった。

その笑みには品がなく、誠は視線を向けず杯を見つめたままだった。

左隣の男も続ける。

「本当に、初陣にして大金星ですな。
王からは、いったいどれほどの褒美が下されることやら」

誠は杯を手にしたまま、淡々と答えた。

「……自分に、やれることをやったまでです」

その声に熱はない。
だが、凍るような静けさがあった。

すると、羅正が酒をあおりながら、さらに言葉を続けた。

「お噂では、陸誠殿は姫様のご指導役も務めておられたとか。
王からも、さぞ寵愛を受けておられるのでしょうな?」

またひと口、酒を煽る。

「伽耶姫様といえば……本日の催しは、姫様が舞を披露なさるとか。
前回はずいぶん可愛らしいものでしたが……まあ、お顔は亡き奥方に似て麗しゅうございますからな。
せいぜい他国の賓客たちを楽しませていただきたいものですな」

その言葉に、誠の手がかすかに震える。
杯の中の水が、わずかに揺れた。



その時、大広間に太鼓の音が高らかに響いた。

「皆様、ここで皆様方の親交の証として、
我が季国が誇る舞子たちによる舞をご披露させていただきます」

次官の朗らかな声が会場に響きわたる。

絢爛な衣装をまとった舞子たちが、軽やかに現れる。

奏者たちが拍子をとり、明るく軽やかな音が空間を包み込んだ。

舞子たちは、終始にこやかな笑みを浮かべながら、袖を翻し、扇を開き、色とりどりの動きで舞台を彩っていく。

「ほう、これはまた華やかだな」
「見目も良いし、愛想もよい。よい余興だ」

酒が進んだ重臣たちは上機嫌で笑いながら杯を掲げ、大国からの客人たちも、ほどよく興味を示す。

舞子のひとりが、スカートをひるがえしながらちらりと微笑むと、羅正がにやりと笑って舌舐めずりをする。

その様子に、誠は視線を舞台に向けることができなかった。

このあと、伽耶もまた、あの男たちから同じような視線を浴びるのか。

そんなことは、考えたくもなかった。

やがて舞子たちが笑みを浮かべて礼をすると、拍手が起こる。
スカートをはためかせながら、彼女たちは退場していった。

再び、次官が舞台の上に立つ。
先ほどよりも、いっそう明るい声で告げる。

「それでは皆様、続きまして……
我が国が誇る末姫・伽耶様による姫舞をご披露させていただきます!」

その声に、誠は思わず杯をぐっと握りしめた。






次官の声が鳴り響いたその瞬間、
大広間の扉が、静かに、ゆっくりと開いた。

そこに現れたのは、薄絹のベールを頭からまとい、その身をすっぽりと覆うような衣装に包まれた一人の少女、否、姫。

頭から薄いベールに覆われていて、その顔を窺い知ることはできない。

けれど、その歩み――
舞台の中央へと進む一歩一歩が、目にした者すべての視線を、確かに奪っていく。

ただ静かに歩んでいる、それだけなのに、なぜだか目を惹きつける迫力があった。

会場に流れていたざわつきが、ひとつ、またひとつと消えていく。

やがて伽耶が舞台の中央へと立ち止まったとき、会場は、完全に沈黙した。

一拍の間。

それはまるで、世界が、伽耶の一呼吸を待っているかのようだった。

そして、音楽が、鳴った。

伽耶は、ゆっくりと両腕を持ち上げ、
まるで風のようにそのベールを肩からふわりと投げる。

淡く透ける絹が宙を舞い、光を反射しながら揺れ落ちていく。

それを受け止めるように伽耶の指先が動いた。

それはまるで流水のような動きだった。

その指一本一本も、足の流れも、腰のしなやかさも、衣の動きも、髪の動きさえも、その全てが見るものの目を離させない。

袖が風を切り、布が空をなぞるたびに、見る者の呼吸が、少しずつ止まっていく。

その足取りは、静かでありながら、決して弱くない。
滑るような動きの中に、しなやかな強さがあった。

舞は見られるためにあり、愛でられるもの。

これまでここにいる誰もがそう思っていた。
だがしかし、この舞においては、舞っている側の伽耶が、舞を見るものを見定め喰っているかのような鋭さがあった。

伽耶の顔に、笑みはない。

ただその瞳に宿るものは、怒りでも、悲しみでも、憐れみでもない。

――誇りだった。







誠は、首筋を流れる汗に気づき、はっと我にかえった。

目の前で舞うこの人物は、本当に、自分の知っている“姫様”なのだろうか。

一番近くにいたはずの自分ですら、その確信を持つことができずにいた。

五歳の頃、初めて見た笑顔。
ころころと笑う声。
驚いたときの声色、唇をとがらせる癖。

そして、繋いだ手の温かさ。

そのひとつひとつを思い返してみても、こんな伽耶は知らなかった。

だが、あの面差しがふとこちらを向くたびに、
やはりそれは伽耶なのだと思い知らされる。

(姫様…)

誠は、知らぬ間に力のこもっていた杯を、静かに置いた。

自分のいぬ間に、伽耶は変わったのだ。

そのことを、痛いほど思い知らされて。
誠は、そっと目を伏せた。








宙を舞っていた布が、最後の旋回を描いて落ちる。
伽耶の指先が、すっと静かにそれを下ろす。

動きが、止まった。

会場に、また、静寂が訪れる。

乱れた肩で息をし、伽耶の頬は上気し、細く汗が伝っていた。

それでも、彼女は微笑まない。

ただ、真っ直ぐに顔を上げ、

両手を揃え、ゆっくりと、
深く、深く、礼をした。

音もなく、その姿に、
誰ひとり、拍手を忘れずにはいられなかった。









割れんばかりの拍手が鳴り止まぬ中、伽耶はそっと顔を上げ、ある人物を真っ直ぐに見つめた。

景仁だった。

ゆっくりと立ち上がった伽耶は、背筋を伸ばし、一歩、また一歩と、景仁のもとへ進んでいく。

その前で立ち止まり、再び両手を揃えると、深く、深く、礼をした。

「伽耶。……なんといってよいのか……本当に美しかった」

景仁は絞り出すようにそう言った。
その声はわずかに震えていたが、鳴り止まぬ拍手の中、それを聞き取れた者は、ほとんどいなかった。

「光栄に、ございます陛下」

伽耶は、頭を下げたまま凛とした声で答えた。

「おまえが……まさかこんな……」

景仁の声は、かすかに震えたまま。
その戸惑いこそが、伽耶への最大限の賛辞に聞こえた。

伽耶はすっと息を吸い、真っ直ぐに、まるでその瞳を射抜くように、景仁を見上げた。

「陸誠を、私の元に戻してください」

その声には、舞い終えたばかりとは思えぬほど、はっきりと、力が宿っていた。

「お前は……そのために……」

景仁は目を見開き、ぽつりと呟いた。

一瞬だけ、その瞳が、優しく、穏やかに揺れたように、伽耶には見えた。

「……よいだろう。許可する」

それだけを言い残すと、
景仁は静かに、伽耶に拍手を送った。

「ありがたき幸せに存じます」

伽耶はもう一度、深く頭を下げる。

「下がってよい」

景仁の言葉に、伽耶は静かに立ち上がり、ゆっくりと背を向けた。

その背は、かつて景仁が見ていた、あの幼い少女の背ではなかった。
王として見るそれは、まるで別人のように、大きく、頼もしく映っていた。

伽耶は、いまだ鳴り止まぬ拍手の中を、一歩一歩、舞台の出口へと歩いていく。

そして、去り際にもう一度だけ振り返ると、深く礼をし、舞台をあとにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

置き去りにされた聖女様

青の雀
恋愛
置き去り作品第5弾 孤児のミカエルは、教会に下男として雇われているうちに、子供のいない公爵夫妻に引き取られてしまう 公爵がミカエルの美しい姿に心を奪われ、ミカエルなら良き婿殿を迎えることができるかもしれないという一縷の望みを託したからだ ある日、お屋敷見物をしているとき、公爵夫人と庭師が乳くりあっているところに偶然、通りがかってしまう ミカエルは、二人に気づかなかったが、二人は違う!見られたと勘違いしてしまい、ミカエルを連れ去り、どこかの廃屋に置き去りにする 最近、体調が悪くて、インフルの予防注射もまだ予約だけで…… それで昔、書いた作品を手直しして、短編を書いています。

【完結】離縁されたので実家には戻らずに自由にさせて貰います!

山葵
恋愛
「キリア、俺と離縁してくれ。ライラの御腹には俺の子が居る。産まれてくる子を庶子としたくない。お前に子供が授からなかったのも悪いのだ。慰謝料は払うから、離婚届にサインをして出て行ってくれ!」 夫のカイロは、自分の横にライラさんを座らせ、向かいに座る私に離婚届を差し出した。

華夏の煌き~麗しき男装の乙女軍師~

はぎわら歓
恋愛
 国家占い師である胡晶鈴は、この中華・曹王朝の王となる曹隆明と結ばれる。子を宿した晶鈴は占術の能力を失い都を去ることになった。  国境付近の町で異民族の若い陶工夫婦と知り合う。同じく母になる朱京湖とは、気が合い親友となった。  友人になった夫婦と穏やかな生活を送るはずだったが、事情のある朱京湖と間違えられ、晶鈴は異国へと連れ去られてしまった。京湖と家族の身を案じ、晶鈴はそのまま身代わりとなる。  朱彰浩と京湖は、晶鈴の友人である、陸慶明に助けを求めるべく都へ行く。晶鈴の行方はずっと掴めないままではあるが、朱家は穏やかな生活を営むことができた。  12年たち、晶鈴の娘、星羅は才覚を現し始める。それと同時に、双子のように育った兄・朱京樹、胡晶鈴との恋に破れた医局長・陸慶明とその息子・陸明樹、そして実の娘と知らない王・曹隆明が星羅に魅了されていく。

【完結】どくはく

春風由実
恋愛
捨てたつもりが捨てられてしまった家族たちは語る。 あなたのためだったの。 そんなつもりはなかった。 だってみんながそう言うから。 言ってくれたら良かったのに。 話せば分かる。 あなたも覚えているでしょう? 好き勝手なことを言うのね。 それなら私も語るわ。 私も語っていいだろうか? 君が大好きだ。 ※2025.09.22完結 ※小説家になろうにも掲載中です。

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。

櫻野くるみ
恋愛
王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。 夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。 ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。 あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ? 子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。 「わたくしが代表して修道院へ参ります!」 野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。 この娘、誰!? 王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。 主人公は猫を被っているだけでお転婆です。 完結しました。 小説家になろう様にも投稿しています。

処理中です...