紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

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四章 初恋の花束

第十話 風に攫われて

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翌朝。
空が白みはじめた頃、伽耶は深い森の奥、
ひっそりと苔むす岩と、朝露を帯びた草木に囲まれた場所にひとり座っていた。

朝、幕屋を出るとすぐにくじを引かされ、言われるがままに連れてこられたこの場所。
最後に女官から伝えられたのは、たったひとこと。

『かくれんぼ、だそうです。姫様……どうか、ご武運を』

「……ええ。頑張るわ」

伽耶はそう言って微笑んだものの、その女官が最後まで“気の毒そうな顔”をしていたことが、頭から離れなかった。

(でも……特別任務なんでしょう? わたし、頑張るって決めたんだから!)

拳をきゅっと握る。
けれど、まわりの木々はあまりにも鬱蒼としていて、どこか心細い。

(それにしても……“かくれんぼ”?)

そう口の中でつぶやいて、ふと笑ってしまう。

そうだ。
かくれんぼなんて、何年ぶりだろう。
幼い頃、どんなに巧妙に隠れても、誠にはいつもあっという間に見つかってしまった。

(……あの時は、ほんとうに悔しかったっけ)

その記憶に、思わず微笑みがこぼれた。

その時だった。

森の向こうから、どこまでも響く角笛の音が鳴り響く。

(始まった……のかな?)

伽耶は葉陰に身を沈め、小さく呼吸を整えた。
柔らかな茶の髪がふわりと揺れ、朝日がその頬をわずかに照らす。

(……さあ、今回は、そう簡単には見つからないんだから)

その瞳には、ほんのすこしの挑戦の光と、幼き日の記憶が、そっと重なっていた。






角笛が鳴り響いてから、どれほどの時が過ぎただろうか。

森の奥深く、草の匂いと朝露に包まれながら、伽耶は一心に身を潜めていた。

(誠なら、すぐに見つけてくれるはず……)

そう信じながらも、少しずつ心細さが募っていく。

と、不意に――。

風と共に、馬の蹄音が地を打つ音が聞こえた。
重くなく、軽やかで、けれど速い。

(来た……?)

ごそ、と葉を押しのけて伽耶がそっと顔をのぞかせた瞬間だった。

「見つけましたよ、お姫様」

すぐそばに並ぶ、黒馬の前脚。
驚いて顔を上げると、そこには、柔らかな笑みを浮かべる陽珀の姿があった。

「え……っ!?」

声にならぬ声を漏らす伽耶の前で、彼は優雅に馬を降りる。

「それでは、攫わせていただきましょうか。ご安心を。かくれんぼ、ですから」

まるで儀式のように、陽珀はその手を差し伸べた。

しかし、次の瞬間にはその手が伽耶の細い手首をとらえ、軽やかに引き寄せられていた。

「きゃ……っ!」

一歩も踏み出す間もなく、伽耶の体は宙を舞う。
小脇に抱えられ、まるで羽のように軽く運ばれていく。

「ちょっ……ちょっと……!?」

抗議もむなしく、陽珀はそのまま軽やかに馬にまたがると、勢いよく馬の腹を蹴った。

「では、失礼。姫様には、特別な景色をご覧に入れましょう」

ひゅうっと風が抜ける。

視界がぐんと高くなり、背後へとすさまじい速さで流れ去っていく木々や草の匂いに、伽耶の瞳が丸く見開かれた。

「あ、あ、あの、う、馬って、こんな風にのるものじゃ、ないと思うんですけど…!?」

揺れる視界に、必死で抗議の声を上げるが、陽珀はどこ吹く風といった様子で、涼やかに笑うばかりだった。

(ま、また……この感じ……)

伽耶は行きの馬車で感じた、あの“ぐるぐる”を思い出していた。

「うぅ、あの……なんだか、少し、気持ちが……!」

「おや、まさか、酔われましたか?」

「す、すこし……いえ、けっこう……」

陽珀はちらりと伽耶の顔を見下ろし、ふっと笑った。

「これは失礼。では、これならどうでしょう」

そう言って、するりと体勢を変えたかと思えば、今度は伽耶を前に座らせ、自分の胸元に背を預けるようにして座らせ直す。

「……えっ、えっ……な、なにして……」

「前を向いて乗れば、酔いもやわらぐかと」

「まえ……?」

伽耶の視界に広がるのは、朝露に濡れた草原。
風を切って走る馬の背は恐ろしいほど速いけれど、それでもさっきまでの“後ろ向き絶叫乗馬”よりは、だいぶマシだった。

背後から返る声音は、相変わらず涼やかで、どこか上機嫌だった。

「いかがです?この速度。季国ではなかなか体験できないでしょう」

耳元で響く声。
風を切り裂くように駆ける馬の背、どんどん後方へ流れ去っていく木々の緑と、点々と咲く色とりどりの花々。

まるで風そのものになったような感覚に、伽耶の瞳が驚きと喜びに輝いた。

「すごい……!」

思わず洩れた声に、陽珀が小さく笑う。

その瞬間。

ひゅん、と風を裂く音が上空を走った。

「……矢?」

伽耶が見上げた先には、空を切って飛んでいく一本の矢。
その矢には、赤い布が結びつけられている。

「ふむ……合図、か」

陽珀が一瞥するや、手綱を軽く引いた。
馬が前脚を返し、ぐんと進行方向を変える。

だが。


今度は別の方角から、再び赤い布を巻いた矢が飛来する。
矢の軌道を見た陽珀の瞳に、ふと一瞬の警戒が宿った。

「……またか」

低く呟く。

伽耶が不思議そうに見上げるより早く、陽珀は手綱を引き絞り、馬の腹を蹴った。
駆ける音が再び強まった、ちょうどその時だった。

──どんっ。

前方の木立を抜けた先。
突如、ずらりと並ぶ巨大な盾の壁が道を塞いだ。

「……っ!」

馬はいななき、その足は土を蹴り高く跳ねる。
目の前に現れたのは、数人の兵たちが横一列に構えた、飛び越えるには高すぎる長盾。

それを見た瞬間、陽珀はすぐさま手綱を引いて馬を後退させ、鋭く周囲を見渡した。

次の瞬間、木立の向こうから馬を駆る姿が現れた。

「そこまでよ、翡 陽珀!」

剣を携え、堂々と駆けてきたのは、紅の外套をなびかせた華蘭だった。
瞳に宿るのは、笑みにも似た鋭い光。

「うちの可愛い伽耶を、返してもらうわ!」

「姉様!」

伽耶の声が跳ね、ぱっと顔を明るくした。

だが、次の瞬間。

「はっ!」

華蘭が馬の腹を勢いよく蹴り、鋭く剣を陽珀へと振り下ろす。

陽珀は咄嗟に伽耶を庇うように身体を傾け、刃の軌道をかわすと、

「……なかなか、容赦がない」

ひと息で鞘から剣を引き抜き、ひるむことなく華蘭の一太刀を受ける。

剣と剣が打ち合い、火花が散った。

「ひっ…!」

伽耶の耳元で、鋭く風を裂く音。
恐怖に目を見開いたその横顔に、一瞬だけ陽珀の横顔がよぎる。

「少しだけ、暴れます。しっかり掴まっていてくださいね、姫様」

声はあくまで穏やかだったが、その背には確かな緊張と、戦の気迫が滲んでいた。

伽耶が恐怖に息を呑み、陽珀の胸元の装束をぎゅっと掴んだ、その刹那。

「前方より、一騎接近中!敵将、司鷹真接近!」

季国兵の鋭い声が空気を切り裂く。

「2対1ってわけ?」

華蘭が剣を構えたまま、馬上で軽く嘲るように笑う。
その双眸は、陽珀から一瞬も視線を逸らさない。

「それも良いですが…」

陽珀の瞳がふっと細まり、伽耶の腰に手をかけた、その瞬間。

「私は、この勝負……勝ちたいので」

――ひょい。

なんのためらいもなく、彼は伽耶の身体を宙へと放り上げた。

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