紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

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六章 その背に祝福を

第十四話 気づかないふりの朝

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翌朝。

陽の光がようやく障子越しに差し込みはじめた頃、
居室の戸がとんとんと叩かれる音が響いた。

「姫様、そろそろお支度のお時間でございます」

「えっ?!もうそんな時間?」

伽耶はがばっと身を起こした。
胸の上に置かれていた華蘭の手が、ぽとりと布団に落ちる。

「なに……まだ暗いじゃない……もう起きるの?」

華蘭は目をこすりながら、慌てて寝台を飛び出す伽耶を見つめる。

「桜華の世話を、誠に手伝ってもらっていて……!」

「ははーん、それは急がないとね?」

にやりと口角を上げた華蘭に、伽耶はぴたりと動きを止める。
頬を真っ赤に染めて、抗議のまなざしを向けた。

「姉様っ……!だから、違うんですっ」

その真剣な顔が可愛くて、華蘭は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。

「わたしは、もう少し寝かせてもらうわ。いってらっしゃい、伽耶」

そう言って枕に顔を埋めた華蘭は、片手だけひらひらと振る。

伽耶はふっと笑みをこぼし、そっと振り返って女官を中へと促した。







「姫様、陸誠様がいらっしゃいました」

戸の外から女官の声が響いた。

伽耶はちょうど化粧に着替えを終えたところだったが、鏡に映った自分の髪はまだ整っておらず、寝癖までついている。

「なんだか、陸様今日はお早いですね?」

女官も少し慌てた様子で、髪を梳かす手を早めた。

伽耶はこくこくと頷くと、小さな声で言った。

「少し、待ってもらうよう伝えてくれる?」

脱いだ寝巻きを畳んでいた女官が、急いで部屋を出ていく。

「髪は簡単にまとめてくれる?帰ってから、続きをお願い」

「ええ。では、一つにおまとめしますね。高い位置なら寝癖も目立ちません」

女官は手早く髪を結い上げ、簪を一本、すっと刺した。

「ふふ、お姉様みたい」

鏡に映る自分の姿を見つめながら、伽耶はぽつりと呟いた。

(……誠に、この髪型を見せたこと、あったかしら)

頭をそっと左右に振ると、一つにまとめた髪がさらりと揺れた。

ふと、胸にかすかな不安がよぎる。

「……こっちの簪にしてもらえる?」

今刺したものより少し華やかな簪を指さすと、女官は嬉しそうに頷いて取り替える。
鏡の中の顔が、ほんの少し明るく映ったような気がした。

(……うん、こっちの方が、かわいいかも)

小さく頷いた伽耶は、そっと立ち上がり、女官に礼を告げた。





戸を開けると、もう誠が立っていた。
朝の光の中、少しだけ風に髪を揺らすその姿は、どこか凛々しくも、やわらかく見えて。

(昨日のこと考えちゃだめ、考えちゃ…)

昨夜の姉との会話が頭をよぎり、まともに顔を見られない。
小さく首を振ると、こほんと、咳払いをした。

「……お待たせしました」

声が少しだけ裏返った気がして、内心で跳ねる。

「いえ……その、申し訳ありません。少し、早く来てしまいました」

誠はそう言ったが、その目が一瞬、伽耶の髪へと流れた。
その視線に気づき、伽耶の鼓動はさらに早まる。

(髪……変じゃないかな?高い位置、似合ってるって思ってくれたかな……いや、何考えてるのわたし!)

「いいのよ、その……早く来るなんて珍しいなと思って」

それ以上視線を合わせることができず、伽耶はほんの少し俯いた。

「ええ。……昨日のこともありましたから」

誠も目を逸らしながら、そう返す。

言葉が続かず、ふたりの間にふわりと静けさが降りた。

その時だった。

トン、トン。

戸を叩く音が、その空間をやさしく破った。

「姫様、燿玲淵殿下がお越しです」

「あ、そ、そうなのね。お通しして」

伽耶は思わず胸を撫で下ろした。
このままここにいたら、胸の音が誠に聞こえてしまいそうな気がした。

「伽耶様!おはようございます、今日は――」

元気よく入ってきた玲淵が、誠を見つけてぴたりと動きを止める。

「……なんでもういるんだ」

拗ねたような口調で呟き、誠をちらと睨む。
誠は引き攣った笑みを浮かべ、静かに一礼したが――玲淵はそれを無視して伽耶のほうへと向き直る。

「今日は出立の日ですから、少しの時間も惜しいです!参りましょう!」

玲淵はそのまま伽耶の手を取って、部屋を出ようとした。
だが、ふと立ち止まり、ぱっと伽耶を見上げる。

「その髪型、お美しいですね!まるで……月の女神のようです」

「あら、ありがとうございます」

伽耶は微笑みを浮かべ、ちら、と誠を振り返る。

けれど、誠は伏し目がちのまま、まるでこちらを見ていなかった。

(……やっぱり似合ってなかったかな)

小さな不安が胸をかすめる。
でも、それを表に出すのは、なんだか恥ずかしくて――伽耶はその気持ちを、静かに胸の奥にしまい込んだ。

玲淵の手に引かれながら、そっと後ろを振り返らずに、部屋を後にした。






饒舌な玲淵の話を聞きながら、伽耶たちはあっという間に厩へと辿り着いた。
早速、桜華の世話に取りかかる。

『本日は華蘭様の出立もございますから、くれぐれも手短に……』

女官から何度も釘を刺されていたため、誠は手際よく、必要最低限の世話だけを淡々と進めていく。無駄な動きはひとつもない。

一方、伽耶はというと――

「こっちを見て、伽耶様!」

玲淵が楽しげに呼ぶたび、応じるように顔を向け、ブラシを持つ手が何度も止まってしまう。
桜華が不満そうに嘶いても、玲淵の語り口は一向に緩む気配を見せなかった。

ふと、伽耶は誠の方へ視線を向ける。

黙々と枯れ草を餌箱に入れている横顔。

その横顔が、少しだけこちらを向いた気がした。
目が合った……ような気がして、伽耶ははっとして視線を逸らす。

(……違う、きっと気のせい)

けれど、胸の奥がふわりと熱を帯びていた。






やがて、手早く世話を終えた伽耶たちが宮に戻ると、待ち構えていた女官たちに手際よく伽耶は引き離される。
誠と玲淵、そして例の従者だけが、ぽつんと取り残された。

「では、失礼いたします」

誠が一礼すると、その動きに合わせるように、玲淵の足が誠の前でふと止まる。

声は、かけてこなかった。

ただ一瞬、誠の方を見やり――そしてそのまま、踵を返す。

彼の小さな背中が遠ざかっていく中、朝の風がそっと、吹き抜けていった。
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