元救急医クラリスの異世界診療録 ―今度こそ、自分本位に生き抜きます―

やまだ

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第二章

第23話 ただのメイドです!

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「俺とも、楽しいことしようよ?」

その言葉とともに腰を抱かれる。

気づけばクラリスは、先ほど着替えたばかりの、広間前の小部屋に立っていた。

「おーい。メイドちゃん。違うか、クラリス嬢?」

王子が目の前で手をひらひらと振り、クラリスははっと我に帰った。

「な、何が起きたかわかんなかった……軽薄な男にナンパされる夢だったか……」

「夢じゃないよ~?失礼だね?きみ」

王子は軽く肩をすくめながら、クラリスの腰に手を添えたまま、もう片手をその頬に添え、すすっと手を滑らせる。

かっと、頬に熱が集まった。

(ひ、近、ぜ、前世でもこんな……!!)

「あぁ、ごめんね?経験ないんだ……可愛いね」

顎をくい、と持ち上げられる。

その瞬間、部屋の隅で、がたん、と何かが落ちる大きな音がした。
けれど王子は、そちらに目を向けることもなく、ただクラリスの瞳を覗き込んでいる。

「それでさ。何をしてたの? さっき」

低く、探るような声。

「それに、君って……あのシュヴァンの、何?」

「な、なん……」

クラリスは思わず視線を泳がせた。

(ま、まさかワタンボの生食食べたら感染するから消した、とは言えないし、下手したら戦争だし……!!シュヴァン王子は最推しですが……あ、それか!!)

肌をぱちとわずかな刺激が走る。

クラリスは意を決して、まっすぐに王子の瞳を見返した。

「わ、わたしは、シュヴァン王子のファンでして…ウインク送ってたんです」

「なるほどね……?」

王子は少しだけ目を細めた。

「もしかして君。シュヴァンが言ってた、医者、かな?」

「えっ……!?」

思わず、声が裏返る。

(ば、ばれてる…?なんで…!?戦争……!?)

「そ、そんな馬鹿な、ただのメイドですよ。仕事が推し活兼ねてるなんて最高でしょ?」

王子はふっと笑った。
まるで、全てわかっているとでも言わんばかりの、不敵な笑み。

「……知ってる?」

王子は、少し声を落とす。

「シュヴァンが、この国への“ある投資”を、強く勧めてる。一大プロジェクトだそうだ。金になるって」

ちらりと広間の扉へ視線を投げ、すぐにクラリスへ戻す。

「医療分野、だと思うけど。心当たりは?」

「……へ?」

口が、ぽかんと開く。
が、王子は構わずクラリスの顔に近づいた。
まるで、キスしてしまいそうなほど近くに。

(シュヴァン王子に、抗菌薬魔法陣のこと話してたっけ…?そもそも最近ミュラー診療所にはきてないよね……?というか、金になる……?……じゃあ、違うな……金には、ならなそうだもんね悲しいことに……!!)

ぱちり、とまた微かな刺激。

クラリスはぶんぶんと首を振り、王子の肩を押して一歩下がった。

「ただのメイドですから……わかりません!」

クラリスがきっと睨みつけると、王子は肩をすくめ、楽しそうに笑った。

「オーケー。じゃあ、明日会いにいくよ」

くるりと背を向ける。

「ただのメイドの、クラリス嬢。ミュラー診療所で、ね」

ひらひらと手を振り、部下たちを引き連れて去っていく背中。

(え……なに、こわ……!?)

クラリスは、その場に立ち尽くしたまま、ただ見送ることしかできなかった。







一方、その小部屋の隅では、ルスカが拳を強く握りしめていた。

王子の身分から逃げている身で、見知った顔に姿を見られるわけにはいかなかった。

(……まあ、俺の顔など、どれほど覚えられているものか)

七歳の、あの日までは。
大切に扱われ、過剰なほどに持ち上げられていた。

自分でも、随分と偉そうだったと思う。

だが、魔法の能力に見切りをつけられてからは、家臣たちは潮が引くように去っていった。

残ったのは、血筋にしか興味のない下位貴族だけ。
上位貴族は、揃って兄に夢中だった。

(子を為し当たれば、一発逆転……か)

王族として割り当てられる公務。
クラリスたちと整えてきた公衆衛生の仕事。

それらを、確かにこなしている。
だが、彼らの関心は、そこにはない。
派手で目立つ業績だけ。

(俺は、雑務をこなす種馬ってわけだ)

ふ、と鼻で笑った、そのとき。

小部屋の奥から、歓声が漏れ聞こえた。

(……無事、終わったか)

胸の奥に溜まっていた息を、ようやく吐き出した瞬間。

ぎぎ、と扉が開く音。

ルスカは、はっと目を見開いた。

(な、なんであいつが……)

ぽかんと呆けたクラリスが、腰を抱かれ出てきた。

相手は、ヒポクルス国第一王子、カイロン。

よく知る、あまりウマの合わない相手だった。

そのままクラリスは顎を寄せられ、顔と顔が、耐え難いほど近づいていく。

背を冷たいものが流れる。


(やめろ、そいつは、そんな風に扱っていいやつじゃ……!!)


脳裏をよぎる、診察に向かうときの、彼女の真剣な横顔。
不機嫌そうに眉を寄せる表情。

『話したくなったらさ、聞くからね。わたしたち、仲間なんだから』

夕焼けに染まる、少し照れ臭そうな、あの笑顔。

思わず手を伸ばしかけて、
近くに積まれていた鎧に、肘が触れた。

がしゃん、と鈍い音が響く。

ルスカの手が、空中で止まった。

(俺は、王族の身分を捨てた。会を欠した今の俺が奴を、止めれば外交問題に……!)

その背に、重たい現実がのしかかる。

(だが、あいつが、あんな風に扱われるくらいなら……!!)

深く息を吸い込み、足を踏み出そうとした、その瞬間。

「ただのメイドですから……わかりません!」

クラリスの声が響いた。

彼女は、カイロンの肩を押し、距離を取る。
王子は何事もなかったかのように言葉を交わし、そのまま去っていった。

(俺は……俺は……)

ルスカは、拳を硬く握った。
その手は、真っ白に染まっていた。
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