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第二章
第29話 もう、走れない
しおりを挟む「はぁっ…はぁっ…はぁっ……」
クラリスとルスカは、フィーリアと別れ、一直線に船着場へと走っていた。
滴る汗。
脇腹は痛み、息を吸うたびに胸が焼ける。
(大量に発症する咳の患者なんて、
わたしひとりの魔法じゃ、どうにもならない)
でも――
(朝、やっと形になった、あれ。
あれに縋るしか、もう方法がない)
足を止めるわけにはいかなかった。
「もうすぐ船着場だ!」
前を走るルスカが振り返る。
「船に乗っている間に、少しは休める!あと少しだ!」
クラリスは、ただ頷いた。
けれど。
「船が、出せんだと!?」
胸ぐらを掴まれた兵が、小さく悲鳴を上げる。
「船はすべて、軍の出撃用に回せとの王命です!
い、いくらルスカ王子といえど……!」
「……クソッ」
手を離され、兵がどさりと尻餅をついた。
クラリスは顔を伏せ、荒い呼吸を整える。
額の汗を拭い、顔を上げた。
「走ろう。それしかない」
だが、城門前に辿り着いた瞬間、二人は言葉を失った。
「きゃーっ!!」「早く進めよ!」「押さないで!!」
怒号と悲鳴。
子どもの泣き声。
そこに混じる、乾いた咳の音。
群衆が、雪崩のように押し寄せていた。
「ど、どうしよう……これじゃあとても診療所に着くことなんて……」
クラリスの手が、震える。
ルスカも奥歯を噛み締めた、その時だった。
"国民に告ぐ"
ずしり、と響く男の声。
クラリスは、思わず顔を上げた。
(……声?いや、違う。頭の内側から……)
周囲を見る。
人々もまた、同じように立ち尽くしていた。
耳を押さえる者、呆然と空を見上げる者。
皆、同じ“声”を聞いている。
“国家非常事態である。巨大魔物が出現した。
だが、我が国の誇るシュヴァン王子率いる軍は、既に討伐に向かっている”
ざわり、と群衆が揺れる。
“死にたくなければ、口布を当てよ。
屋内へ退避せよ。
指示あるまで、決して窓を開けるな”
一拍。
“咳、または息苦しさを感じた者は、ルスカ王子率いるミュラー診療所へ向かえ”
しん、と。
一瞬の静寂。ルスカは目を見開く。
次の瞬間。
「屋内だ!」
「早く!!」
「子どもを抱け!!」
人々が一斉に動き出した。
悲鳴と足音、舞い上がる土埃。
クラリスとルスカは、城壁沿いで流れをやり過ごす。
ほんの数分。
道は、嘘のように空いた。
「……行こう、ルスカ。患者が待ってる」
二人は視線を交わし、無言で頷く。
そして、再び、駆け出した。
「はぁ、はぁ……っ!」
朝まではあんなに賑わっていた、誰もいない路地。
今は土埃が高く立ち、石畳に響くのは、二人分の足音だけだった。
(おかしい……)
大きく息を吸う。
そのたびに、口布越しの空気が肺を刺す。
(いつもなら、これくらいの距離……平気で走れたのに)
足が重い。
胸の奥が、じりじりと痛む。
『行かないよ。だって、元救急医だから。
この国の患者を、見捨てることなんてできない』
つい先ほど、自分で放った言葉が、思いがけず自分の胸を刺す。
(だってわたしは、救急の最前線からは、逃げ出した人間なんだから)
前世の、高梨だったころ。
運命の、あの日。
あの日の夜も、いつものように三次救急を一人で回していた。
だって、人手不足だから。
いつものことだし、なんとかなる。
きっと慢心してた。
そして、あの災害が起こった。
次々と運び込まれる患者。
止まらないサイレン。
鳴り続ける応需依頼のピッチ。
足りない手、足りない時間、足りない救急用品。
「先生!うちの人反応がないの!!だけどまだ息してるんです!お願いします!」
(これは、死戦期呼吸……!いまの状況では、助けられない…!)
「先生!!うちのおじいちゃんだって血が、止まらないんです…!!」
(この人は今なら…!!けれど、そうすれば、あちらは助けられない…!)
「先生!!どうしますか!!」
迫る看護師の声。
刺さる患者や家族の視線。
「……っ!こちらの出血の男性を、初療室へ!急いで!」
そうして、選んだ。
選び続けた。
長い夜だった。
夜が明けて、やっと仲間が来ても、無我夢中で泥のように働いて。
判断は正解だった。
夜に目を閉じて、何度確認しても、間違っていなかった。
それでも、
呼ばれなくなった名前があった。
そのことが、なにをしていても、頭にこびりついて、離れなくなった。
そして、
気づいたときには、もう救急の最前線に立つことはできなくなった。
「はぁっ、はぁっ……」
視界が、ちかちかと明滅する。
(また、同じことになったら……?
また、わたしのせいで……)
足がもつれ、前につんのめる。
ずしゃり、と鈍い音。
息が吸えない。
浅く、浅く、空気を掴むだけ。
(どうしよう……どうしよう……)
世界が、遠のいていく。
そのとき。
ぐい、と手を引かれた。
身体が浮き、次の瞬間、硬い胸に抱き止められる。
気づけば、ルスカの腕の中だった。
背に回る腕に、ぎゅっと力がこもる。
「大丈夫だ」
荒い呼吸の合間に、低い声が落ちる。
力強い腕とは裏腹に、背を撫でる手は、ひどく優しかった。
「でも……!」
震える声が、勝手に溢れる。
「助けられないかもしれない……!
人の命を背負うのが……怖い……!」
二人分の荒い呼吸だけが、路地に響く。
ルスカはクラリスの頭に手を添え、さらに強く抱き寄せた。
「お前は一人じゃない」
短く、だが迷いのない声。
「お前が無茶してきた時だって、ずっと、そうしてきただろ」
「……うん……」
ぽろり、と涙が落ちる。
「そう、だよね……」
どこか遠くで、魔物の雄叫びが轟いた。
二人は顔を上げ、互いに小さく頷く。
そして――
どちらからともなくしっかり手をつなぎ、再び、走り出した。
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