港西高校山岳部物語

小里 雪

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第2章 一本取ったり、武器を忘れたり、キジを撃ったり、デポされかけたり。

8. 機関銃まっきー。丸腰のぼく。

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 下りはさらに注意が必要だった。再びアイゼンを履いて、氷が出ている場所を慎重に通り過ぎてから、アイゼンとピッケルをしまった。

「下りではピッケルホルダーを使わずに、背中とザックの間にピッケルを差して。ピックをショルダーストラップにかける感じで。ただ、横にちょっと出っ張るから、岩に引っかけないように注意すること。」

 多少背中がごろごろするが、荷物が軽いためそれほど気にならない。これなら、自分の前を歩く人のピッケルの石突が、自分の方に向くこともなくなる。

 ツルツルの氷はなくなったが、岩場は続くので緊張する場面が続く。岩場を降りるのに時間がかかり、前のりょう先輩との間隔が少し開いてしまい、慌てて足を出すと、そこはちょうど苔がついて滑りやすくなっていた。思わず尻もちをついてそのまま岩場を滑り落りる。そのときに左足をちょっとひねってしまった。

「大丈夫?つるちゃん。」

「すいません、大丈夫です。ちょっと足をひねりましたが、大したことはありません。」

 実際、それほど大きな痛みはなかったが、もしこれがもっと傾斜の強い斜面だったら、稜先輩まで巻き添えにして転落していた可能性があったことに、そのとき気付いた。

上市かみいち! 集中力を切らすな! 自分だけじゃ済まないこともあるぞ!」

と、久住くじゅう先生の大きな声が後ろから飛んでくる。

「だいじょうぶ? みーち。救急セット出そうか?」

「うん、ごめん、大丈夫。間隔が開いてちょっと焦っちゃったよ。気を付けないとね。」

 ズボンの尻と手袋が泥だらけになってしまったが、たいした怪我がなくてよかった。でも、大きな事故にならなかったのは、幸運以外の何物でもなかった。

 しばらくは急傾斜の下りが続くため、慎重に歩を進める。下りは休みを取らずにテン場まで戻るということで、緊張感を持続させなければならない。やがて、見覚えのある割れた大岩の脇を通り、沢筋に到着した。ここからあと少し登ればテン場に戻れる。

 十五時十八分、テン場に帰着。帰ってきてまず、テント内を整理する。

「メインザックはほとんど空にして、下半身の下に敷く。ヘッドランプと『必携キット』は枕元。雨具とか予備の衣類は袋に突っ込んで枕にする。食事後に鍋類と火器が来るけど、それはテントの外のフライの下に置く。食材は動物が来るからテント内で足元。」

 稜先輩があれこれと説明をする。まだ寝るまでだいぶ間があるが、個人用マットとシュラフはもう広げてしまう。ぼくと稜先輩が泊まるのは二~三人用のテントとは言え、幅は一五〇cmほどしかなく、頭を互い違いにしてシュラフを敷く。ほっとしたような、ちょっと残念なような。

「シュラフの袋とか、マットを丸めるテープとかは、なくさないように必携キットの袋の中。テントやフライの袋は床に置きっぱなしにすると撤収のときにザックに一緒に突っ込んじゃって大変なことになるから、このフックの付いたループに吊るしとく。メガネも寝るときはこれに吊るしとけばいいから。あと、潰したくない帽子とか濡れたタオルなんかも吊るしちゃう。」

「このフック、たくさんついてるけど何のためなんですか?」

「このテントは冬も使えるやつだからね。これは、保温のためにテントの内側に内張うちばりをつけて二重にするためのもの。」

 ぼくはテント内を見回す。確かに、このいろんなものがぶら下がったテントに稜先輩と二人で泊まっても、変な気にはならないだろう。さらに、隣の四テンで同じようにテント内をゴソゴソと整理する音や、話をする声も筒抜けに聞こえてくる。

「それ以外にも冬に使うための工夫がたくさんあるんだよ。周りのテントはほとんど入り口がジッパーだけど、このテントは吹き流しを紐で閉じるタイプなのも、冬に凍り付かないようにするため。吹き流しの方が雪も入りにくいしね。さ、今日はつるちゃんに天気図取ってもらおうかな。四時まで間があるから、その辺ブラブラしてきてもいいよ。」

 十六時の気象通報まで、まだ三十分近く間があった。冷えてきたのでダウンジャケットを羽織る。小屋の方に行くと、久住先生は早速ビールとソーセージを買い込んでいた。小屋の外には木でできたイスやテーブルが並んでいて、その中の一つに座ったまっきーがぶんぶん手を振ってぼくを呼んでいる。

「ここ、木の間から富士山が見えるんだよ。さすが『富士見平』だよね。食当しょくとう、四時から作業開始だからそれまで散歩してみた。あさひ先輩はいきなり昼寝始めちゃったよ。そうそう、さっき、みーちが突然視界から消えたからびっくりしたよ。気付いたら岩の下まで滑ってったから、申し訳ないけど笑っちゃった。でも、すごかったね景色。環水平かんすいへいアークなんて、わたし初めて見た。八ツやつなんアもきれいで、あそこに登っている人たちもここを見てるんだろうなって思ったら、すごく不思議な気分になったよ。」

と、座ったとたんに機関銃のようにまくし立てる。首の動きに合わせて、グレーの帽子の下から飛び出している、筆のようにまとめた髪がぴょこぴょこ揺れる。

「まっきー、今日はいつにも増してなんだか楽しそうだね。」

「楽しい! ヤバいぐらい楽しい! このテン場の雰囲気も好き! みーちとりょう先輩の微妙で異様な関係を見るのも好き!」

 周りを見ると、夕食までの時間を思い思いに過ごしている人たちがたくさんいた。ストーブでお茶を沸かしている人、ぼくたちみたいにおしゃべりをしている人、お酒を飲んでいる人。どの人もみんな楽しそうだ。少し離れた席では、先生が知らない人とビールを飲みながら、話をしている。

「ぼくも楽しいけど、まっきーと話してるともっと楽しくなってくるよ。」

「わたし旭先輩大好きだし、先輩がいるから楽しいのももちろんあるんだけど、やっぱり同学年で同じものを共有できるのっていいよね。気兼ねないしね。りょう先輩は学年でずっと一人だったから、ちょっと申し訳なくなっちゃうけど。」

「そうだよね。今まで、稜先輩と話すとどうしても緊張しちゃってたんだけど、今日は同じテントだし、いろいろ話をしてみようかな。」

「おー、いいね、みーち。明日いろいろ話を聞かせてね。」

 まっきーがニヤニヤしてぼくを突っつく。そして、こう続けた。

「そうだよねー、りょう先輩、絶対気を使ってるんだよね。旭先輩にも、わたし達にも。気を使ってるように見せないっていうことも、気を使ってるってことだし。」

 そうなのかもしれない。誰よりもいろんなことに気付き、誰よりも気を使っているまっきーだから分かるのだろう。

「さあ、そろそろ食当の時間だ。行かなきゃ。」

「ぼくも天気図取らないと。」



 テントに戻って、ラジオで気象通報を聞きながら天気図を取った。今までも学校で何回か取ったことがあったが、机のない山ではなかなか難航した。緯度経度で指定される漁業気象の部分は、先輩のように直接書き込むことができないため、余白にメモしてからあとで改めて書き込んで行く。

「大丈夫大丈夫、これなら合格。練習しといてよかったね。でも、この南岸低気圧、思ったより足が速いな。明日結構早いうちに雨か雪になるかも。あとで先生に見てもらおう。」

 テントの外では食当の調理が始まっている。リズミカルにまな板が立てる音で、包丁を握っているのがまっきーだと見なくても分かる。テントの外に出たところ、先生がちょうど戻って来たところだったので、天気図を見せた。

「小屋の人に聞いてきたんだけど、上空の気温がかなり低いから、明日はたぶん上では雪になるね。この感じだと、昼までは持たないかもな。まあ、体が濡れにくいから、雨より雪の方がいいけどね。」

「ビール飲むだけじゃなくて、ちゃんと情報も仕入れてくれてたんですね。どっちがメインかは聞きませんが。」

 稜先輩は先生にも容赦ない。

 先輩から天気図の書き方についてアドバイスをもらっているうちに、食事の準備も終わったようだ。かなり冷え込んできたため、食事は四天の中で食べることになった。



「あっ。」

 ぼくは声を上げる。

「すいません、コッフェルは持ってきたんですが、箸を忘れました。」

「何、武器ブキを忘れたか。巻機まきはた、菜箸貸してやれ。」

「すいません。さっきは転んじゃうし、今日はいろいろ申し訳ないことばかりです。」

「はっはっは、おれなんか武器は持っててもコッフェル忘れてきたことがあるよ。」

と、旭先輩がフォローしてくれる。

「どうやってご飯食べたんです?」

「山小屋でカップラーメン買って食べて、その容器で何とかした。潰さないように持ち歩くのが大変だった。」

 箸やスプーンなどのことを、山では『武器』と呼ぶらしい。

「まあ、武器の忘れ物って多いんだよな。俺も昔はピトンで飯を食ったこともあったな。」

と先生も言う。ピトンというのは、岩や氷の割れ目に打ち込む鉄製のくさびのことだ。

 丹沢のときは食事のとり方がまずかったせいで、最後にバテてしまった。山で食事をとるための道具は、まさに『武器』と呼ぶのにふさわしい。



「山での食事って、義務感で無理やり食べることが多いんだけど、今日のはうまかったなあ。もっと欲しいくらいだよ。」

 食後、回鍋肉ホイコーローとご飯をこそげ落としたお茶を飲みながら旭先輩が言った。先輩方の代は、食訓で訓練していても、山での調理は要領が違うため、あまりおいしいものができないことが多かったらしい。また、疲れ過ぎると逆に食欲が落ちてしまうそうだ。

「長期の縦走では、『強い人は食べられる人』ってよく言うんだよ。まっきーは山岳部の救世主かもな。まあ、何でも食べちゃうりょうみたいな人にはあんまり関係ないかもしれないけど。」

「山に入ってすぐなら、誰でもおいしいものが作れますよ。長期山行の終盤でどうなるかは、わたしはまだ経験がありませんから。」

と、まっきーはちょっと照れながら答え、

「そういう時には私みたいな馬鹿舌の方が強いんだよ。」

と、稜先輩が自虐ネタを飛ばす。

 みんな饒舌になっていた。この間の丹沢の日帰り山行も楽しかったし、充実していた。でも、山の中で過ごすこの夜は、ぼくが知っているどんな夜とも似ていなくて、何とも言えない幸福感に包まれていた。日帰りでは決して得られない時間。

 片付けの後、ミーティングをした。まず、一人ずつ今日の感想と反省を言う。ぼくはもちろん、尻もちと武器を忘れたことについて反省をし、これからは不用意に足を出さないことと、パッキング時に装備のチェックを徹底することを心掛けると誓った。

 明日は、おそらく途中で雪が降るが、風は穏やかそうなので予定通り金峰のピストンを行うことになった。予定通り四五六シゴロで行くので、ぼくと稜先輩は四時起きだ。

 火器類と調理セット、食料などを二天に運ぶ。まだ十八時三十分で、外は薄明るい。

 先輩と二人で二天に入る。

「まだ眠くないかもしれないけど、明日早いし、もう寝ようか。」

と、先輩が言い、入り口の吹き流しを絞る。ぼくたちは、互い違いになってシュラフに入った。ぼくの顔の近くに先輩の足があることがなんだかおかしくて、笑いそうになった。



 外では、ほかのパーティーが、まだ食事をしている音や足音、談笑する声が聞こえている。ときおりテントが外を歩く人のヘッドランプに照らされて明るくなる。その中でぼくと先輩は黙って横になっていた。普段ならやっと夕食を食べ始めるくらいの時間なので、もちろん全く眠くなかったが、せめて体を休めようと思って目をつむった。
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