港西高校山岳部物語

小里 雪

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第3章 ザイルは伸び、無駄に荷物を背負い、二人は歩き、一人は助ける。

2. ザイルの取り扱いは、数学にちょっと似ている。

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 せっかくザイルや確保器、ハーネスを出したので、川沿いの護岸を利用した懸垂下降の練習もすることになった。大和市側の道路のガードレールに支点を作り、そこからザイルを伝って降下する。

「懸垂下降は簡単そうに見えるかもしれないが、実はアルパインクライミングで一番事故が多いのは懸垂下降だと言われている。」

と、久住くじゅう先生がぼくたちに言った。

「懸垂の準備中に自己確保セルフビレイを怠って転落することもあるし、自己確保をしていても、懸垂の手順を間違えて自己確保を解除した瞬間に墜落することもある。あとは、降りてみたら終了点が見つからなくて、登り返しもできなくてにっちもさっちもいかなくなる事故もある。」

 稜さんに作業をしてもらいながら、久住先生は説明を始める。

「最初は、何はともあれセルフビレイ。ランヤードのカラビナを支点に掛けてから懸垂の準備をする。ザイルは折り返して使うか、二本を結んで使い、下降後に片側を引いてザイルを回収する。支点を自分で作った場合は残置ざんちするしかない。今日は距離が短いから一本を折り返して使う。端はすっぽ抜けないように結び目を作っておく。ロープダウン!」

 先生は護岸の下にザイルを投げる。

「まずは細引きでバックアップのフリクションヒッチを作る。こうやってザイルに細引きを巻き付ける結び方だな。細引きを引いてもザイルに摩擦で固定されて動かないが、結び目を手で動かせばザイルの上を滑らせることができる。下降中万一手を離してしまったとしても、このバックアップで止まるわけだ。」

 稜さんはハーネスのビレイループにかけたカラビナから出た細引きをザイル二本にまとめてくるくると巻きつけ、先端を再びカラビナに戻し、安全環を締める。
「フリクションヒッチの代表はプルージックという結び方なんだが、最近では問題があることが分かってきて懸垂下降のバックアップとしてはあまり使われてない。クレイムハイストかマッシャーという結び方がよく使われるが、俺は今両神りょうかみがやったマッシャーの方が簡単で、結び目も動かしやすくて好きだな。」

 確保のときもそうだったが、登山用のザイルにとって、強度があることの次に大切なのは表面に適切な摩擦フリクションがあることなのだ。摩擦のおかげで確保時には制動がかかり、ザイル上にほかのロープで留まることもできる。懸垂下降もこのザイルとビレイデバイスの間の摩擦力を利用したものだ。

「で、このハーネスのビレイループから出たもう一本のランヤードにもカラビナがかかっていて、ビレイデバイスを通したザイルの輪にこのカラビナを掛けることで摩擦が発生する。これはさっきの確保のときと同じだけど、ランヤードの分だけ確保のときよりデバイスが遠い位置にある。しっかりこのデバイスの下から出ているロープを利き手でつかんだ後、セルフビレイを解除し、利き手と反対の手でバックアップのフリクションヒッチを動かしながら下る。下る速さのコントロールはあくまで下でザイルを引いている利き手側。下のザイルを引けば摩擦が大きくなって止まる。ザイルを送って緩めると動き始める。じゃあやってみよう、両神、気を付けて。」

 稜さんはするすると下って行く。

「じゃあ、巻機まきはた上市かみいちの順で。セルフビレイ、バックアップ、ビレイデバイスのセット、セルフビレイ解除の順番を必ず守ること。」

 まっきーも手慣れた様子で下った。次はぼくの番だ。ビレイグローブをはめ、まずセルフビレイのランヤードの先のカラビナを支点に掛け、安全環を締める。セルフビレイよし。腰のカラビナについた細引きをザイルに巻き付け、先端をカラビナに戻してマッシャーを作る。バックアップよし。次はビレイデバイス。メインザイルをたるませてデバイスに通す……って、ザイルにテンションがかかっていて、うまく通らない。

「上市、バックアップの結び目を持ってザイルを上に引っ張ってみろ。そうするとバックアップ側にテンションが行ってメインザイルがたるむ。」

 言われた通りにすると、簡単にデバイスにザイルが通る。通ったザイルにカラビナを掛け、安全環を締める。安全環付きのカラビナは合計三枚。セルフビレイの先と、ハーネスのビレイループにバックアップの細引きをつけるもの、そして、メインザイルのビレイデバイスでザイルに摩擦を起こしながら体重を支えるためのもの。

 支点とデバイス、デバイスとバックアップの間のたるみを取って、よし、あとはセルフビレイを解除して下ろう。

「怖がらないでザイルに体重を預けろ。右手は絶対にザイルを離すな。」

 右手でザイルを送ると、摩擦が効いてゆっくりと体が降りていく。そのスピードに合わせて足で切り立った護岸を後ろ向きに歩く感じだ。すぐに終点に敷いてあるクラッシュパッドに到達した。

「なかなか上手だね。ザイルを信頼して、ちゃんと体重を預けてるのがすごくいいね。」

と、稜さんが声を掛けてくれた。

「ありがとうございます。でも、ダイナミックロープってちょっとビヨビヨして下りにくいですね。」

「いいところに気付いたね。懸垂下降は墜落荷重がかからないから、ほんとは伸びないスタティックロープの方が扱いやすいんだ。まあ、うちはダイナミックロープしか持ってないからね。さあ、次は登り返しの練習。もう一本細引きでスリングを作って。」



 学校の外でこういう練習をしていると、道行く人たちからの視線を浴びる。無遠慮にすぐ近くから眺めているのはたぶん港西の生徒だ。でも、なんだか最近慣れっこになってきてしまった。ぼくたちがやっているのはみんな意味があることばかりで、それを面白がる人がいるかどうかとは無関係なのだ。

 フリクションヒッチを二つ作り、ハーネスと足に交互に体重を掛けながらもう一方の結び目を上にずらして登り返す練習が終わると、このザイルを使った訓練も終わりになった。最後にぼくがザイルを畳むように言われる。

 先ほどの稜さんの方法を覚えていたので、これは難なくできた。

「みーち、一回見ただけで覚えちゃうのはさすがだね。」

と、まっきーが声を掛けてくれる。

「意味があることは、覚えられるよ。なんか数学と似てるからね。」

 そう、山岳部の世界は、「意味」の世界だと言ってもいい。すべてには意味がある。中学校のときの変な校則や、クラスの中の理不尽な不文律のようなものは、ここにはない。ぼくにとってそれは新鮮な驚きで、心地よさを感じる。

 さっき先生は言っていた。最近では問題があることが分かってきて、プルージックは使われなくなってきたって。その他に、ビレイループにザイルをつなぐときの結び方も、以前はもやい結びブーリンが使われていたが、内側から広げる荷重に弱いことが分かって今では八の字結びエイトノットが使われていることも話してくれた。この部内でも食訓しょっくんでいいメニューがあればどんどん取り入れるし、稜さんは歩く前の体操も改善していた。

 意味を貪欲に取り入れ、ぼくたちはどんどん変わって行くのだ。

 今日のザイルを使ったアルパインクライミングの基礎の練習では、特にその理詰めの行動原理にぼくは心を奪われた。安全のためにできる限りのことをするという、久住先生がぼくの母に言った言葉を思い出す。改めて、自分が装備係になったことの責任の重さを考えながら、ぼくたちは部室への帰途に就いた。
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