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「ねぇねぇゆうくん、みどりばあさんって知ってる?」
大半の子が食べ終わり、給食時間も残りわずかとなった頃だった。すでに食べ終え、食器を片付けた隣席の美琴に話しかけられた。
今日の欠席者の子のパンが銀色の箱の中に残っているのをチラチラ見ながら、残りのスープをかきこんでいた悠馬は慌てて視線をパンから外した。
「う、ううん……?」
残りのパンが気になって、正直美琴の話は聞いていなかった。
それにどちらかというと今の悠馬にとってはパンの行く先が最優先の関心事で、美琴の話はどうだってよかった。悠馬が生返事を返すと、美琴は「だから~」と一言一言言い聞かせるように悠馬に言った。
「みどりばあさん。知ってる?」
「……みどりばあさん…?」
話す気分ではなかったが、美琴は押しが強い。適当にやり過ごすことは不可能だ。仕方なく誰それと聞き返すと、悠馬が知らなかったことが嬉しかったらしい。上から目線で「知らないんだ」と得意げに説明し始めた。
「神社の裏に、田んぼに抜ける細い道あるの知ってるでしょ? あの道の先の左の方に、小さい小屋があるのは知ってる?」
「……さぁ…」
神社裏手の道は知っているけれど、そんな小屋あっただろうか。
田んぼが広がっている印象しかない。小屋はあったような気もするし、なかったような気もする。
悠馬が首を傾げると、美琴は「それでねそれでね」と身を乗り出した。
「その小屋にみどりばあさんが住んでるんだって」
どうでしょ、すごいでしょと言わんばかりの美琴だが、一体何がすごいことなのかよくわからない。それは小屋があるのなら、誰かが住んでいてもおかしくはない。
「そうなんだ」と頷くと、美琴は事の重大さに気が付いていない悠馬ににじり寄った。
「言っとくけどね、みどりばあさんって普通のおばあさんじゃないんだからね。妖怪なんだよ。目があったらガオーって襲われて食べられちゃうんだからね」
「妖怪……?」
あれはお話の中だけの存在だ。妖怪がそう簡単にそこらへんに住んでいるわけがない。
サンタクロースをはじめ、不可思議な存在というものはこの世にはいない。
そう思えるほどには悠馬は冷めていたし、現実はある意味もっと不親切で厳しいことも知っていた。
ちっとも怖くない怪談に、悠馬が関心のない様子で「へぇ」と頷くと、美琴は「だってわたし見たんだもん」と胸を張った。
「夕方にピアノの帰りに通ったときに、緑の毛布かなんかを被ったすっごいよぼよぼのおばあさんが出てきたもん。目があったら睨まれて、手で追い払われたんだよ」
「だからって妖怪とは限らんよね……?」
それだけでは妖怪とは言い難い。悠馬が遠慮がちに疑問を投げかけると、美琴は「違うもん」と首を振る。
「だって美琴のパパも、小学生の時見たことあるって言ってたもん。パパが小学生の時だよ? その頃からずっと住んでるなんておかしいでしょ。何年生きてると思うの?」
「それは確かに……」
悠馬の母はいま三十九歳だ。美琴の父も同じくらいの年代だろう。
とすると親が悠馬と同じ四年生の頃と言えば今から十九年前。
「美琴のパパが見た時は、まだおばあさんじゃなかったんじゃない?」
だとすれば同じ人がまだ小屋に住んでいてもおかしくはない。
けれど美琴は深刻な告白をするように神妙に首を振った。
「ううん、パパが見たのも老婆だったって。パパも言ってたもん。あそこにはみどりばあさんがいるから気をつけろって。パパが小学生の時から、あそこにはみどりばあさんが住んでるってみんな怖がってたみたい」
「……そうなんだ」
それは確かにおかしな話だ。
親が小学生の頃からみどりばあさんが存在しているなら、本当の本当に……。
「妖怪……?」
美琴の言った妖怪説が急に真実味を帯びてきた。
そんなもの信じていないつもりだったけれど、確かに神社の裏手の道はいつも薄暗くて普段でも気味悪い。
夕闇のなかにみどりの毛布をまとった老婆の姿は想像するだけでぞっとしないでもない。
いるわけないと思うもののなぜか背筋が冷たくなった。
「だからね、ゆうまくん。あの道は一人で通っちゃだめだからね。ゆうまくん、よく一人で歩いてるでしょ。特に夕方はみどりばあさんがよく出るから、ほんとのほんとに気を付けたほうがいいよ」
どうやら美琴は、このことを言いたかったらしい。あてもなく放課後遅くまで家に帰らず歩き回っている悠馬を心配してくれてのことだったようだ。
美琴は伝えたかったことを言えて満足した様子で、悠馬の持つ器に残ったスープを指さした。
「早く食べちゃったほうがいいよ。もうみんな片付けてる」
はっとして周りを見回すと、早くも昼休憩に教室を飛び出していく子もいる。
残っていたパンはと前を見ると、すでに誰かが食べてしまったのか、容器は空だった。
軽く落胆しながら、悠馬はすっかり冷めたスープを慌ててかきこんだ。
銀の容器に残ったパンの残像がいつまでも脳裏から消えなかった。
大半の子が食べ終わり、給食時間も残りわずかとなった頃だった。すでに食べ終え、食器を片付けた隣席の美琴に話しかけられた。
今日の欠席者の子のパンが銀色の箱の中に残っているのをチラチラ見ながら、残りのスープをかきこんでいた悠馬は慌てて視線をパンから外した。
「う、ううん……?」
残りのパンが気になって、正直美琴の話は聞いていなかった。
それにどちらかというと今の悠馬にとってはパンの行く先が最優先の関心事で、美琴の話はどうだってよかった。悠馬が生返事を返すと、美琴は「だから~」と一言一言言い聞かせるように悠馬に言った。
「みどりばあさん。知ってる?」
「……みどりばあさん…?」
話す気分ではなかったが、美琴は押しが強い。適当にやり過ごすことは不可能だ。仕方なく誰それと聞き返すと、悠馬が知らなかったことが嬉しかったらしい。上から目線で「知らないんだ」と得意げに説明し始めた。
「神社の裏に、田んぼに抜ける細い道あるの知ってるでしょ? あの道の先の左の方に、小さい小屋があるのは知ってる?」
「……さぁ…」
神社裏手の道は知っているけれど、そんな小屋あっただろうか。
田んぼが広がっている印象しかない。小屋はあったような気もするし、なかったような気もする。
悠馬が首を傾げると、美琴は「それでねそれでね」と身を乗り出した。
「その小屋にみどりばあさんが住んでるんだって」
どうでしょ、すごいでしょと言わんばかりの美琴だが、一体何がすごいことなのかよくわからない。それは小屋があるのなら、誰かが住んでいてもおかしくはない。
「そうなんだ」と頷くと、美琴は事の重大さに気が付いていない悠馬ににじり寄った。
「言っとくけどね、みどりばあさんって普通のおばあさんじゃないんだからね。妖怪なんだよ。目があったらガオーって襲われて食べられちゃうんだからね」
「妖怪……?」
あれはお話の中だけの存在だ。妖怪がそう簡単にそこらへんに住んでいるわけがない。
サンタクロースをはじめ、不可思議な存在というものはこの世にはいない。
そう思えるほどには悠馬は冷めていたし、現実はある意味もっと不親切で厳しいことも知っていた。
ちっとも怖くない怪談に、悠馬が関心のない様子で「へぇ」と頷くと、美琴は「だってわたし見たんだもん」と胸を張った。
「夕方にピアノの帰りに通ったときに、緑の毛布かなんかを被ったすっごいよぼよぼのおばあさんが出てきたもん。目があったら睨まれて、手で追い払われたんだよ」
「だからって妖怪とは限らんよね……?」
それだけでは妖怪とは言い難い。悠馬が遠慮がちに疑問を投げかけると、美琴は「違うもん」と首を振る。
「だって美琴のパパも、小学生の時見たことあるって言ってたもん。パパが小学生の時だよ? その頃からずっと住んでるなんておかしいでしょ。何年生きてると思うの?」
「それは確かに……」
悠馬の母はいま三十九歳だ。美琴の父も同じくらいの年代だろう。
とすると親が悠馬と同じ四年生の頃と言えば今から十九年前。
「美琴のパパが見た時は、まだおばあさんじゃなかったんじゃない?」
だとすれば同じ人がまだ小屋に住んでいてもおかしくはない。
けれど美琴は深刻な告白をするように神妙に首を振った。
「ううん、パパが見たのも老婆だったって。パパも言ってたもん。あそこにはみどりばあさんがいるから気をつけろって。パパが小学生の時から、あそこにはみどりばあさんが住んでるってみんな怖がってたみたい」
「……そうなんだ」
それは確かにおかしな話だ。
親が小学生の頃からみどりばあさんが存在しているなら、本当の本当に……。
「妖怪……?」
美琴の言った妖怪説が急に真実味を帯びてきた。
そんなもの信じていないつもりだったけれど、確かに神社の裏手の道はいつも薄暗くて普段でも気味悪い。
夕闇のなかにみどりの毛布をまとった老婆の姿は想像するだけでぞっとしないでもない。
いるわけないと思うもののなぜか背筋が冷たくなった。
「だからね、ゆうまくん。あの道は一人で通っちゃだめだからね。ゆうまくん、よく一人で歩いてるでしょ。特に夕方はみどりばあさんがよく出るから、ほんとのほんとに気を付けたほうがいいよ」
どうやら美琴は、このことを言いたかったらしい。あてもなく放課後遅くまで家に帰らず歩き回っている悠馬を心配してくれてのことだったようだ。
美琴は伝えたかったことを言えて満足した様子で、悠馬の持つ器に残ったスープを指さした。
「早く食べちゃったほうがいいよ。もうみんな片付けてる」
はっとして周りを見回すと、早くも昼休憩に教室を飛び出していく子もいる。
残っていたパンはと前を見ると、すでに誰かが食べてしまったのか、容器は空だった。
軽く落胆しながら、悠馬はすっかり冷めたスープを慌ててかきこんだ。
銀の容器に残ったパンの残像がいつまでも脳裏から消えなかった。
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