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―――昭和六十一年
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狭小住宅の建ち並ぶとある大阪下町の一隅に、人がやっとすれ違えるだけの幅しかない細い坂道がある。
坂道の両端には家の境界線を示す高いコンクリート壁がそびえ、しかも右方向へと緩くカーブを描いている。
見えるものは灰色の壁だけで、出口の見えない迷路に迷い込んだような錯覚を起こす。
けれど小さな坂道のわりに、そこを通る人は多い。
自転車はもちろん、バイクも通過していく。
バイク同士が鉢合わせしたときは、どちらかが道を後退して、譲るしかない。
自転車同士だと、すれ違うのは至難の業だが、通れないことはない。
お互いハンドルを右に左に傾け譲り合う。
壁をよく見ると、ところどころすすけたように黒くなり、一部削れている箇所もある。きっと無理矢理すれ違おうとしてグリップをこすったに違いない。
細くて急で暗い坂道だ。
坂を下りきると一気に視界は開ける。
壁が唐突になくなり、見渡す限りの水田が現れる。
坂道はその水田の中を突っ切る畦道へと繋がっていく。
家々と水田の境界線を示すように、坂を下ってすぐのところに水路がある。
その水路をまたぐ小さな橋のたもと、田んぼと住宅地の境目にみどりばあさんの家はある。
打ち付けた板そのままの簡素な家で、初めて見たときは鶏小屋か何かかと映子は思った。
よもや人が住んでいるとは思えなかったが、同級生のみんなはあそこにはみどりばあさんが住んでいると口々に言った。
半分崩れかけたその外観と、すぐ傍にそびえる銀杏の木が大きな影を作っている様子から、みんなはそこに住んでいるらしい老婆を怖がり、みどりばあさんと呼んで妖怪か何かのように恐れた。
映子が、初めてみどりばあさんの家を見に行ったのは、小学四年生のときだ。
隣りの席になった井上保という男の子が、休み時間に映子に話しかけてきた。
「なぁなぁみどりばあさんって知ってるか?」
映子はさあと首を傾げた。
みどりばあさんのことを聞いたのはこのときが初めてだった。
映子が知らないと答えると保は得意げに話し出した。
「田んぼの端っこにすっげぇぼろい家があって、みどりばあさんが住んでるんだぜ。おっきな木があって、その木に登って鳥つかまえて食べるんやって。歯がジョーズみたいにぎざぎざで、たまに迷い込んだ子供も頭から食べてしまうんやで」
ジョーズの映画は、テレビで見たことがあった。
田んぼの中からサメが襲ってくるところを想像して、映子は少し笑ってしまった。
「それだったら、みどりばあさんじゃなくて、人食いばあさんじゃない?」
映子がそう返すと保は「そうともいう」と案外素直に同調した。
「でもな、俺の兄ちゃんが言ってた。あそこにはみどりばあさんがいてるって。どうしてかは知らないけど、みどりばあさんて言うらしい。俺のおばあちゃんの子供の頃も、そこにみどりばあさんがいたんやって。そんな昔から生きてるなんて怖いやろ」
興奮した保は声を張ってそう主張した。その声に前の席の二人が振り返る。
「それ知ってる。俺の姉ちゃんも言ってた」
岡村恵一だ。まだ初夏だというのにすでに真っ黒に日焼けしている。
「わたしもそれ聞いたことある」
遠藤祥子も身を乗り出した。長い黒髪を二つに分けて三つ編みにしている。
背が高くて背の順に並ぶと後ろから二番目だ。
映子はいつも真ん中より前だ。映子より頭一つ分くらいは確実に祥子の方が背が高い。
席替えをして前に祥子が座るようになってから、映子は黒板の文字が見えにくくなった。
だからどうとか言いたいわけではない。わりとどうでもいいことだ。
それより四人中三人が知っているということは、みどりばあさんは案外この学校では有名な人物のようだ。
「俺の姉ちゃんみどりばあさん見たことあるんやで」
真っ黒に日焼けした恵一が言い出した。
「うっそほんまに。すげぇ」
保は一層興奮して頬を赤らめた。
みどりばあさんを目撃することがそんなにすごいことなのかと映子は不思議に思った。
確かに木に登って鳥を捕まえるなんて尋常ではないし、子供にかぶりつくような人もいない。
珍しいといえば珍しいのか。
そもそも子供を食べたら殺人になるのではないか。
警察が見逃すはずがないと思ったが、興奮したみんなの前でまともなことを言って場を白けさせてはいけないと口をつぐんでおいた。
「俺の姉ちゃんが見たときは、家の奥からテレビの音が聞こえたらしいで。玄関開けっ放しだったから、中覗いたらみどりばあさんがこうぬぅーっと」
恵一はおばけのように両手を胸の前に垂らした。
それだけで祥子は「きゃーっ」と悲鳴を上げた。
恵一はその反応に満足そうに、「それでつっかけ履いて出てきて、俺の姉ちゃん目が合って、友達とキャー言うて逃げたんやって」と続ける。
すると叫んだ祥子も興奮した面持ちで恵一の後を継ぐ。
「わたしのお姉ちゃんも見たことあるよ。その時は家の前で斧振り上げて、木を切ってたらしいよ。すっごいにらまれて、お姉ちゃんそのとき一人だったから、すっごい怖かったって言ってた」
「それまじかよ。うらやましー!」
保は頬を赤らめてほんといいなぁと連発した。
なんだが保の喜びようを見ていると、みどりばあさんは見てはいけない妖怪と言うより、珍獣かラッキーパーソンみたいな存在に思えてくる。
恵一、保、祥子が盛り上がる中、映子はわりと冷静に話を聞いていた。
みどりばあさん自体今初めて聞いたのだし、何の先入観もなく聞いてみると、今の話はどれもそんなに異常な話でもない。
誰だってテレビは見るし、誰かが覗いていれば、用事でもあるのかとつっかけでも履いて見に出てくるだろう。
そばに大きな木があるなら、枝もたくさん落ちるだろうから、それを片付けるのに斧を使っていても不思議なことはない。
みどりばあさんという得体の知れない妖怪扱いのせいで、どの行為も恐ろしく感じられるだけだ。
みんな絶対勘違いをしている。
たぶんみどりばあさんの正体は普通のおばあさんだ。ただ保の祖母の子供時代からいるなら、ずいぶん長生きでその点だけは不可解だが。
疑問点は残ったものの、映子は早々に正体を見抜けたことに得意になった。
しかも自分一人だけがそのことに気づいている。誰も、恵一も保も祥子もその兄や姉もみどりばあさんの正体に気づいていない。みんなみどりばあさんを妖怪だと思い込んでいる。現実にそんなもの存在するわけがない。あれはあくまでお話の中の世界だ。
「今日さ、放課後見に行こうぜ」
保が言い出した。そうなる流れは自然なことだった。すぐ手の届くところに冒険が待ち受けているのなら、行かない手はない。
「恵一と祥子のお姉ちゃんが見て無事なんだったら、俺らも見に行けるよ。とっつかまえて、警察に連れてこうぜ」
保が鼻息荒くやる気をみなぎらせると、
「わたし家からカメラ持ってくるね。証拠写真撮ろう」
祥子が保と同じように興奮した面持ちで握りこぶしを作る。
恵一も乗り気だ。
「俺足は速いから、何かあったらみんな引っ張って逃げたる。まかせとけ」
「映子ちゃんは? 行くよね」
祥子が不安げにこちらを見る。
男子二人に女子一人だけだったら祥子はちょっと行きにくいのだろう。映子は「じゃあ行こかな」と頷いた。
「でも証拠写真はちゃんと観察してからにしようよ。何も悪いことしてないのに、勝手に撮ってたらその方が怒られる。とっつかまえるのもちゃんと確かめてからね」
みどりばあさんが普通のおばあさんの可能性を考慮して映子は逸る三人にくぎを刺した。
人食い妖怪だと思い込んでいるふしのある恵一、保、祥子にだけまかせておいたら、善良な一おばあさんを大変な目に遭わせかねない。
映子は誰よりも冷静にみどりばあさんの正体を見極めなければ。
そして正体を確かめて、みどりばあさんは普通のおばあさんだと確信が持てたら、みんなをちゃんと止めなければ。
「襲われたらどうする? やっぱ子供だけで行くのは危なくない?」
ここへきて祥子が不安そうに三つ編みを指に絡ませた。
絡ませてはほどき、絡ませてはほどきを繰り返す。
「大丈夫だって。念のため俺バット持っていくよ。そしたら万が一襲ってきたらそれでばちこん叩くから」
少年野球をしている恵一が言うと、サッカーチームに所属している保も、
「じゃあ俺はサッカーボール持っていく。俺の必殺のけりでみどりばあさんの顔面にあててやっつけてやる」
と言い出した。
男子二人は妖怪退治にやる気まんまんだ。
「そんな怖がらなくてもたぶん大丈夫だよ」
映子は逸る男子を牽制した。十中八九みどりばあさんは普通のおばあさんだ。むしろ罪のないおばあさんに怪我をさせては大変だ。
映子が全くみどりばあさんを怖がっていない様子に、保も恵一も表情を険しくした。
「映子。みどりばあさんをなめんなよ。兄ちゃんが言ってたけど、昔ほんとにみどりばあさんの家の近くで、子供がいなくなったことがあるらしい。みどりばあさんも警察に調べられたらしいけど、証拠が出なかったって。でもそんなん当たり前や。頭から骨ごと食べるんやから、跡なんか残るわけない。だからなめてたら、大変な目に遭うで」
保が怖い顔で忠告する。
まるごと生で食べてお腹壊さんかったんだねと冗談を言いかけたが、そんな雰囲気でもない。
映子は喉下で止めておいて別のことを言った。
「そんな怖いんだったら、どうして行くの?」
保と恵一と祥子は顔を見合わせた。
映子の至極最もな問いに、言いだしっぺの保はバツが悪そうに頭をかいた。
「それはその、俺の兄ちゃんは怖がりで、祥子と恵一のお姉ちゃんみたいにみどりばあさんとこには行けなかったけど、俺は行けるんだってとこを見せたいんや」
恵一と祥子もそれに頷いて、
「お姉ちゃんは見ただけだけど、わたしはできたらみどりばあさんをつかまえたい」
「悪いことしてなくても?」
祥子の勇み足を遮るようなことを映子が言うと、恵一がむきになって言い返した。
「それだったら握手してサインでももらって来よう。みどりばあさんに会ったって言ったら絶対姉ちゃんひっくり返る」
祥子の言をどうして恵一が弁護するのかと思ったが、映子はこれにも何も言わなかった。
ただなんだ、と映子は思った。
結局は三人とも兄や姉にいいとこ見せたいだけではないか。
兄弟のいない映子には関係のない話だった。
かと言って今更断るのも祥子が困るだろう。
坂道を下る手前の細い路地に三時。
四人は約束して、学校が終わると一旦ランドセルを置きに家に帰った。
映子は祥子みたいに長くはない髪を、指先でくるくる回しながら―――。
坂道の両端には家の境界線を示す高いコンクリート壁がそびえ、しかも右方向へと緩くカーブを描いている。
見えるものは灰色の壁だけで、出口の見えない迷路に迷い込んだような錯覚を起こす。
けれど小さな坂道のわりに、そこを通る人は多い。
自転車はもちろん、バイクも通過していく。
バイク同士が鉢合わせしたときは、どちらかが道を後退して、譲るしかない。
自転車同士だと、すれ違うのは至難の業だが、通れないことはない。
お互いハンドルを右に左に傾け譲り合う。
壁をよく見ると、ところどころすすけたように黒くなり、一部削れている箇所もある。きっと無理矢理すれ違おうとしてグリップをこすったに違いない。
細くて急で暗い坂道だ。
坂を下りきると一気に視界は開ける。
壁が唐突になくなり、見渡す限りの水田が現れる。
坂道はその水田の中を突っ切る畦道へと繋がっていく。
家々と水田の境界線を示すように、坂を下ってすぐのところに水路がある。
その水路をまたぐ小さな橋のたもと、田んぼと住宅地の境目にみどりばあさんの家はある。
打ち付けた板そのままの簡素な家で、初めて見たときは鶏小屋か何かかと映子は思った。
よもや人が住んでいるとは思えなかったが、同級生のみんなはあそこにはみどりばあさんが住んでいると口々に言った。
半分崩れかけたその外観と、すぐ傍にそびえる銀杏の木が大きな影を作っている様子から、みんなはそこに住んでいるらしい老婆を怖がり、みどりばあさんと呼んで妖怪か何かのように恐れた。
映子が、初めてみどりばあさんの家を見に行ったのは、小学四年生のときだ。
隣りの席になった井上保という男の子が、休み時間に映子に話しかけてきた。
「なぁなぁみどりばあさんって知ってるか?」
映子はさあと首を傾げた。
みどりばあさんのことを聞いたのはこのときが初めてだった。
映子が知らないと答えると保は得意げに話し出した。
「田んぼの端っこにすっげぇぼろい家があって、みどりばあさんが住んでるんだぜ。おっきな木があって、その木に登って鳥つかまえて食べるんやって。歯がジョーズみたいにぎざぎざで、たまに迷い込んだ子供も頭から食べてしまうんやで」
ジョーズの映画は、テレビで見たことがあった。
田んぼの中からサメが襲ってくるところを想像して、映子は少し笑ってしまった。
「それだったら、みどりばあさんじゃなくて、人食いばあさんじゃない?」
映子がそう返すと保は「そうともいう」と案外素直に同調した。
「でもな、俺の兄ちゃんが言ってた。あそこにはみどりばあさんがいてるって。どうしてかは知らないけど、みどりばあさんて言うらしい。俺のおばあちゃんの子供の頃も、そこにみどりばあさんがいたんやって。そんな昔から生きてるなんて怖いやろ」
興奮した保は声を張ってそう主張した。その声に前の席の二人が振り返る。
「それ知ってる。俺の姉ちゃんも言ってた」
岡村恵一だ。まだ初夏だというのにすでに真っ黒に日焼けしている。
「わたしもそれ聞いたことある」
遠藤祥子も身を乗り出した。長い黒髪を二つに分けて三つ編みにしている。
背が高くて背の順に並ぶと後ろから二番目だ。
映子はいつも真ん中より前だ。映子より頭一つ分くらいは確実に祥子の方が背が高い。
席替えをして前に祥子が座るようになってから、映子は黒板の文字が見えにくくなった。
だからどうとか言いたいわけではない。わりとどうでもいいことだ。
それより四人中三人が知っているということは、みどりばあさんは案外この学校では有名な人物のようだ。
「俺の姉ちゃんみどりばあさん見たことあるんやで」
真っ黒に日焼けした恵一が言い出した。
「うっそほんまに。すげぇ」
保は一層興奮して頬を赤らめた。
みどりばあさんを目撃することがそんなにすごいことなのかと映子は不思議に思った。
確かに木に登って鳥を捕まえるなんて尋常ではないし、子供にかぶりつくような人もいない。
珍しいといえば珍しいのか。
そもそも子供を食べたら殺人になるのではないか。
警察が見逃すはずがないと思ったが、興奮したみんなの前でまともなことを言って場を白けさせてはいけないと口をつぐんでおいた。
「俺の姉ちゃんが見たときは、家の奥からテレビの音が聞こえたらしいで。玄関開けっ放しだったから、中覗いたらみどりばあさんがこうぬぅーっと」
恵一はおばけのように両手を胸の前に垂らした。
それだけで祥子は「きゃーっ」と悲鳴を上げた。
恵一はその反応に満足そうに、「それでつっかけ履いて出てきて、俺の姉ちゃん目が合って、友達とキャー言うて逃げたんやって」と続ける。
すると叫んだ祥子も興奮した面持ちで恵一の後を継ぐ。
「わたしのお姉ちゃんも見たことあるよ。その時は家の前で斧振り上げて、木を切ってたらしいよ。すっごいにらまれて、お姉ちゃんそのとき一人だったから、すっごい怖かったって言ってた」
「それまじかよ。うらやましー!」
保は頬を赤らめてほんといいなぁと連発した。
なんだが保の喜びようを見ていると、みどりばあさんは見てはいけない妖怪と言うより、珍獣かラッキーパーソンみたいな存在に思えてくる。
恵一、保、祥子が盛り上がる中、映子はわりと冷静に話を聞いていた。
みどりばあさん自体今初めて聞いたのだし、何の先入観もなく聞いてみると、今の話はどれもそんなに異常な話でもない。
誰だってテレビは見るし、誰かが覗いていれば、用事でもあるのかとつっかけでも履いて見に出てくるだろう。
そばに大きな木があるなら、枝もたくさん落ちるだろうから、それを片付けるのに斧を使っていても不思議なことはない。
みどりばあさんという得体の知れない妖怪扱いのせいで、どの行為も恐ろしく感じられるだけだ。
みんな絶対勘違いをしている。
たぶんみどりばあさんの正体は普通のおばあさんだ。ただ保の祖母の子供時代からいるなら、ずいぶん長生きでその点だけは不可解だが。
疑問点は残ったものの、映子は早々に正体を見抜けたことに得意になった。
しかも自分一人だけがそのことに気づいている。誰も、恵一も保も祥子もその兄や姉もみどりばあさんの正体に気づいていない。みんなみどりばあさんを妖怪だと思い込んでいる。現実にそんなもの存在するわけがない。あれはあくまでお話の中の世界だ。
「今日さ、放課後見に行こうぜ」
保が言い出した。そうなる流れは自然なことだった。すぐ手の届くところに冒険が待ち受けているのなら、行かない手はない。
「恵一と祥子のお姉ちゃんが見て無事なんだったら、俺らも見に行けるよ。とっつかまえて、警察に連れてこうぜ」
保が鼻息荒くやる気をみなぎらせると、
「わたし家からカメラ持ってくるね。証拠写真撮ろう」
祥子が保と同じように興奮した面持ちで握りこぶしを作る。
恵一も乗り気だ。
「俺足は速いから、何かあったらみんな引っ張って逃げたる。まかせとけ」
「映子ちゃんは? 行くよね」
祥子が不安げにこちらを見る。
男子二人に女子一人だけだったら祥子はちょっと行きにくいのだろう。映子は「じゃあ行こかな」と頷いた。
「でも証拠写真はちゃんと観察してからにしようよ。何も悪いことしてないのに、勝手に撮ってたらその方が怒られる。とっつかまえるのもちゃんと確かめてからね」
みどりばあさんが普通のおばあさんの可能性を考慮して映子は逸る三人にくぎを刺した。
人食い妖怪だと思い込んでいるふしのある恵一、保、祥子にだけまかせておいたら、善良な一おばあさんを大変な目に遭わせかねない。
映子は誰よりも冷静にみどりばあさんの正体を見極めなければ。
そして正体を確かめて、みどりばあさんは普通のおばあさんだと確信が持てたら、みんなをちゃんと止めなければ。
「襲われたらどうする? やっぱ子供だけで行くのは危なくない?」
ここへきて祥子が不安そうに三つ編みを指に絡ませた。
絡ませてはほどき、絡ませてはほどきを繰り返す。
「大丈夫だって。念のため俺バット持っていくよ。そしたら万が一襲ってきたらそれでばちこん叩くから」
少年野球をしている恵一が言うと、サッカーチームに所属している保も、
「じゃあ俺はサッカーボール持っていく。俺の必殺のけりでみどりばあさんの顔面にあててやっつけてやる」
と言い出した。
男子二人は妖怪退治にやる気まんまんだ。
「そんな怖がらなくてもたぶん大丈夫だよ」
映子は逸る男子を牽制した。十中八九みどりばあさんは普通のおばあさんだ。むしろ罪のないおばあさんに怪我をさせては大変だ。
映子が全くみどりばあさんを怖がっていない様子に、保も恵一も表情を険しくした。
「映子。みどりばあさんをなめんなよ。兄ちゃんが言ってたけど、昔ほんとにみどりばあさんの家の近くで、子供がいなくなったことがあるらしい。みどりばあさんも警察に調べられたらしいけど、証拠が出なかったって。でもそんなん当たり前や。頭から骨ごと食べるんやから、跡なんか残るわけない。だからなめてたら、大変な目に遭うで」
保が怖い顔で忠告する。
まるごと生で食べてお腹壊さんかったんだねと冗談を言いかけたが、そんな雰囲気でもない。
映子は喉下で止めておいて別のことを言った。
「そんな怖いんだったら、どうして行くの?」
保と恵一と祥子は顔を見合わせた。
映子の至極最もな問いに、言いだしっぺの保はバツが悪そうに頭をかいた。
「それはその、俺の兄ちゃんは怖がりで、祥子と恵一のお姉ちゃんみたいにみどりばあさんとこには行けなかったけど、俺は行けるんだってとこを見せたいんや」
恵一と祥子もそれに頷いて、
「お姉ちゃんは見ただけだけど、わたしはできたらみどりばあさんをつかまえたい」
「悪いことしてなくても?」
祥子の勇み足を遮るようなことを映子が言うと、恵一がむきになって言い返した。
「それだったら握手してサインでももらって来よう。みどりばあさんに会ったって言ったら絶対姉ちゃんひっくり返る」
祥子の言をどうして恵一が弁護するのかと思ったが、映子はこれにも何も言わなかった。
ただなんだ、と映子は思った。
結局は三人とも兄や姉にいいとこ見せたいだけではないか。
兄弟のいない映子には関係のない話だった。
かと言って今更断るのも祥子が困るだろう。
坂道を下る手前の細い路地に三時。
四人は約束して、学校が終わると一旦ランドセルを置きに家に帰った。
映子は祥子みたいに長くはない髪を、指先でくるくる回しながら―――。
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