江戸の夕映え

大麦 ふみ

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箪笥に鍵をかける元花魁の話──『思出草紙』より

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「……、あら、せっかく旦那様にお手伝い願いましたのに、不調法なことでございました。ほんにすみませんことに……鍵が見当たりませんの。いったい、どこにいったのやら」

 ──そんなわけがあるものか。

 三四郎の疑いはいっそう強くなった。

 花魁となるには、素晴らしい美貌に恵まれるくらいの幸運ではぜんぜん足りない。大名が楼に登るなんてことは昔のことになったけれど、高い身分の者、諸芸に嗜みが深い者たちの遊興の場が吉原なのだ。雅な宴席を座持ちできる作法、儀礼はもちろん、ひととおりの舞踊、楽器の技芸、また和歌、漢文の素養まで求められる。阿呆にはつとまらないのだ。人あしらいも、馴染みはもちろん、新造、禿、楼主、太鼓持ちまで付き合いの幅はおそろしく広く、手抜かりがあるとすぐに足下をすくわれる剣呑な仕事でもある。そんな難事を卒なくこなしてきた女が、箪笥の鍵を簡単になくすなどありえない。

 そういう目で見ると、お道の受け答えにもいつにない頑(かたく)なな様子があるよう三四郎には思えてくる。

「そうかい。それはたいへんなことだ。ここで働くものに良からぬ了簡を起こす奴がいるんじゃあないだろうね」

「主様があてがってくれた者に、盗人などおるはずもありません」

「じゃあ、なんでまた、鍵なんぞを……。あんたのものはどれもこれも目の飛び出るような値打ち物ばかりですよ。
そんなもの持ち出して売りつけようとしても、どんな古手屋も相手にしませんよ。盗品なのは目にみえてるんだから。そんなことくぐらいおまえさんだって、ご存じでしょうに」

「いやだからね。いつもはそんなもの掛けたりとしないんだけど、たまたましたもんだから、なくしちっまったというわけですわいな」

 三四郎は、しらばっくれているお道が憎らしくなってきた。

「まあ、鍵をないとなるとなにかと不都合だろう。よし、だれかをつかって俺の屋敷に人をやってくれ。手代のものをこちらに寄越してもらおうか」

「いったい、どうしようってんですかえ」

「なじみの錠前屋に話をつけてもらうのさ。そいつに鍵を開けてもらおうか。なに、壊れたってかまわない。また新しいのをこさえればいいだけのことさね」

 お道は三四郎の逃がしはしないという強い調子に眉根を寄せた。

「そこまでの心配はご無用で。これほどまでの箪笥をだめにすることはございません。そのうちひょっくり出ても来ましょうに」

 そこまでいっても折れようとしないお道が憎たらしくなった。

「おまえさん、なにか隠し事でもあるんじゃないだろうね。いけませんよ、おまえと儂のあいだでそういうことは」
 といいながら、強情な女にこれ以上なにをいっても時間の無駄だとぱかりにお道をぐいと引き寄せた。

「あれっ」

 もがくお道を抑えようとするめはずみに、二人して畳の上に倒れ伏した。三四郎がお道の体をまさぐる様は、まるで昨夜の閨で事におよぼうとするかに変わりなかったが、その右手はいつになくせわしそうにところをかえる。女が持ち物を身に携える場所などそう多くない。豊かな胸をぐいと押して懐をあらため、肩口で腕の自由を奪って袂をさぐって、帯のなかへと指を差し入れる。カチリとした金属の感触を探り当てる。

 ──ここか。

 容易には引き出せず、帯の緩むほどに前帯のあたりに手を差し入れる。腹部へ拳が突き出されたようになってお道は苦しそうに吐息をもらす。

 そうして奪い取った鍵がほんとうに箪笥のものかはわからなかったが、三四郎はすぐさま箪笥のところにとって返し、とにかく鍵穴へと差し込む。するりと吸い込まれるように入った。捻り廻すとかみ合う感触がかえって、すっと抵抗がぬけてくるりと全周した。

 三四郎はあわてて抽斗を引き掛けかけるが、いちど手を止め、お道のほうへと振り返る。もみ合った時のしどけない着物の乱れはすでに整えられていたが、膝を少し崩して力なく下をむいたまま、目を合わせようとしない。

 三四郎のほうは、これから向き合わねばならない、不愉快な現実にそなえようと怒りをかき立てる。
 
──なんて、女だ。やはり、遊女に誠なしとは、このことだ。
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