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江戸に奉公にでる熊谷農夫の話 ― 『譚海』より
5 熊谷へ
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翌朝、寅の鐘(午前四時ごろ)が聞こえたかと思うと、襖の引手をカツカツカツと三回打つ音が小さくした。打合せどおりの時刻、合図だった。
太平次は、旅装のまま眠った布団からはいでて、万一の夜襲にそなえ咬ましておいた戸板とつっかえ棒を外し、音を立てぬよう静かに襖を引いた。
敷居のむこうで膝をついていた佐代は、置き忘れの荷物がないのを確かめたのだろう、立ち上がって室内をぐるりと見回してから、太平次にそっとうなずいた。
太平次が廊下にでると、佐代は襖を閉めて奥へと先導した。まだ下男下女たちも眠っている部屋の前を通り、奥向きの仕事のための一角を抜けて勝手口へと進んだ。
そこには、長身で引き締まった体つきの若い男が、旅脇差も身につけた旅姿で、太平次を待ってくれていた。強面からは予想もつなかい笑顔が太平次に向けて浮かんだ。
──このふたりはお似合いだな。
場違いな思いが太平次をよぎったが、梅吉はぐずぐずしていなかった。佐代の方には目もくれず、俺の後を付いてこいといったばかりの手招きを太平次にすると、宿屋の裏の小道へと急いだ。
太平次も別れの挨拶代わりの黙礼を佐代になげると、あわててその背中を追った。
暗闇のなか、先を行く梅吉が立てる音を頼りに、生い茂る竹藪を伝った。宿屋から二人の姿が見えないよう、十分に距離を行ってから、街道に出た。明け始めるころには、そのわずかな白い光で、梅吉がくっきりと見えるほど、闇に目が馴染んでいた。
途中の鴻巣宿には二刻(約四時間)たらずで到達した。
しかし、あとで来た賊が聞き込みをしても、跡がつかないよう休憩はとらなかった。食事は、佐代の用意してくれていた握りを歩きながら食べた。ひたすら先を急いだ。
この間、梅吉と言葉を交わす余裕は、太平次になかった。
けれど、たえず自分をきづかってくれているのが行動のはしばしに感じられた。さらに四里(十六キロメートル)の道を、賊の姿をまったく見ることなく踏破して、熊谷にたどり着いたときには、古くからの友達にいだく心やすさを持つほどになっていた。
太平次は、自分の家に来て、しばらく憩うように強く勧めた。しかし、梅吉は、すぐに引き返すといって聞かなかった。
賊を以前から見知っているので、あいつを完全に振り払うことができたか、帰り道で確かめることができる、もしそうなら安心だからだという。
太平次は改めてお礼にあがると約束して梅吉とわかれた。
太平次は、旅装のまま眠った布団からはいでて、万一の夜襲にそなえ咬ましておいた戸板とつっかえ棒を外し、音を立てぬよう静かに襖を引いた。
敷居のむこうで膝をついていた佐代は、置き忘れの荷物がないのを確かめたのだろう、立ち上がって室内をぐるりと見回してから、太平次にそっとうなずいた。
太平次が廊下にでると、佐代は襖を閉めて奥へと先導した。まだ下男下女たちも眠っている部屋の前を通り、奥向きの仕事のための一角を抜けて勝手口へと進んだ。
そこには、長身で引き締まった体つきの若い男が、旅脇差も身につけた旅姿で、太平次を待ってくれていた。強面からは予想もつなかい笑顔が太平次に向けて浮かんだ。
──このふたりはお似合いだな。
場違いな思いが太平次をよぎったが、梅吉はぐずぐずしていなかった。佐代の方には目もくれず、俺の後を付いてこいといったばかりの手招きを太平次にすると、宿屋の裏の小道へと急いだ。
太平次も別れの挨拶代わりの黙礼を佐代になげると、あわててその背中を追った。
暗闇のなか、先を行く梅吉が立てる音を頼りに、生い茂る竹藪を伝った。宿屋から二人の姿が見えないよう、十分に距離を行ってから、街道に出た。明け始めるころには、そのわずかな白い光で、梅吉がくっきりと見えるほど、闇に目が馴染んでいた。
途中の鴻巣宿には二刻(約四時間)たらずで到達した。
しかし、あとで来た賊が聞き込みをしても、跡がつかないよう休憩はとらなかった。食事は、佐代の用意してくれていた握りを歩きながら食べた。ひたすら先を急いだ。
この間、梅吉と言葉を交わす余裕は、太平次になかった。
けれど、たえず自分をきづかってくれているのが行動のはしばしに感じられた。さらに四里(十六キロメートル)の道を、賊の姿をまったく見ることなく踏破して、熊谷にたどり着いたときには、古くからの友達にいだく心やすさを持つほどになっていた。
太平次は、自分の家に来て、しばらく憩うように強く勧めた。しかし、梅吉は、すぐに引き返すといって聞かなかった。
賊を以前から見知っているので、あいつを完全に振り払うことができたか、帰り道で確かめることができる、もしそうなら安心だからだという。
太平次は改めてお礼にあがると約束して梅吉とわかれた。
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