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第三章

戒心散花 1

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「××様。
貴女様に××は必要ありません。
貴女様は気高く美しく咲き誇る一輪の花となるのです。
貴女様のお役目は××の××をーー。

……

分かりましたか?」

「分かりました」

 まだ幼い頃の私は、私の世話役である女性に尋ねられそう返事をした。

 外には日本庭園が広がっている私の家は、結構な大きさの日本家屋である。
 この屋敷はどうやら何百年も昔に建てられたそうなのだが、度重なる修繕のお陰で趣きは残しつつも今尚綺麗な状態を保っていた。

 そこには使用人も複数おり、屋敷の者はみな使用人も含めて和装が当たり前だった。

 これが、私にとって当たり前の日常だった。



 ◇




「……ん」

 朝、ベッドから起きて私は今の懐かしい光景は全て夢だったかと悟る。

 幼少期、毎日飽きる程言い聞かされていたあの言葉。

 繰り返し繰り返し、それはまるで暗示の様に毎日。

 でも、何でそう言われ続けていたのか、結局理由は分からなかった。

 私が家を抜け出すあの日まで、とうとう今も分からないままである。

「……」

「おい」
 
 私がその理由を考えていると、横から少年の声が聞こえてきた。

「あ、リト居たの?
おはよう」

「居たの? じゃねーんだよ?
一体何時まで寝てる気だてめーは。
もう昼の12時だぞ?」

 そうリトに言われて窓の外を見ると、確かにもう日は大分上に昇っていた。

 九月も終わりに近づき涼しくなってきて普段より眠りやすい気温のせいか寝過ぎてしまった様である。

 とは言え、何時に起きようが学校に行ってる訳でも仕事の時間が決まってる訳でもないので別に困る事はないのだが。

「リトは何処か行ってたの?」
「そんなんお前には関係ないだろ?」
「一応、情報屋さんにはリトが逃げ出そうものなら殺せって言われてるからね」
「だからといって外にまで出るのがアウトな訳でもねーだろ?」

 そう。リトが私と一緒に居る理由は、私を殺す為ともう一つ。

 私に殺されない為である。

 と言っても、私は別にリトを殺したいと思っている訳ではない。

 ただ、情報屋さんに仕事として依頼されたのだ。

「リトと一緒に居る事。
もしリトが勝手に逃げ出そうものなら、即刻殺しちゃってもいいから」

 まるで軽口を叩く様にそんな事を言い放った情報屋さんの言葉にリトは凄く怒っていたが、最終的には渋々了承していた。

 まあ、リトは他にも私と一緒に居る理由があるらしいけど……そこまでは知らない。

 別に興味もないし。

「でもさ、もし本当にリトが逃げ出したら、私はリトを見つけて殺しに行かなきゃいけないんだよね?」
「まあ、そんな条件だからな」
「それって凄く面倒だから、逃げないでね?」
「面倒ならまず俺を殺す事をやめれば良いんじゃねーの?」

 最もな事を言われて私は確かにと納得する。

「そっか。それもそうだね」
「それじゃ俺は晴れて自由の身だな。
それじゃあ」

 そう言って出て行こうとするリトの服を私は咄嗟に引っ張った。

「何だよ? もう俺が出て行っても殺さねーんじゃねーのかよ?」
「嫌だなぁ、リトが居なくなったら虫退治する人が居なくなるじゃん」

 私がリトと一緒に居る理由として一番はそこである。

 私は、どうしても虫が大嫌いなのだ。

 いや、正確に言えば嫌いと言うよりのだが。

「だから、んなもん俺じゃなくても」
「ならやっぱり殺すね?

さよなら」

 私はそれだけ伝えた後に鞘から刀を抜いて構えると、リトは観念した様に溜め息を吐いた。

「……正直悔しいけど、今の俺じゃお前に勝てない事くらいは知ってるからな。
分かったよ。居れば良いんだろ居れば!」

 それからリトは嫌々ながら床に座って銃の手入れをし出した。

 私は取り敢えず寝起きでお腹も空いていたので、適当に冷蔵庫の中のものを漁ろうかと立ち上がった瞬間、玄関の扉がノックされた。

 うちの玄関には一応インターホンが付いているのだが、それを無視してノックする人物は私の知っている限りでは一人しかいない。

「情報屋か。
今度はどんな面倒毎おしつけてくんだろうな?」

 リトは恨めしそうに扉の向こうに居るであろう情報屋さんを睨みながらそう嫌味を言った。
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