心を手にのせて

水乃南歌

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5 貴族との契約

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「なぜ部屋から出てきた」
みんながいなくなった店内で、お父さんに唸るような声で怒られている。

「ごめんなさい。お水を運ぼうと思って」
椅子に座った私は膝の上に乗せた小さな壺をぎゅっと抱いて呟いた。
私の数少ない仕事だと思っていたからやりたいと思ったの。
私の様子にお父さんがため息をついた。
「いや、シャシーは悪くなかったな。なんの説明もしていなかったのは俺の方か」

椅子をひき腰をおろすと、私から壺を取り机にトンと置いた。
「まずは、そうだな。町では水を汲む必要がない。特にこの宿は各階に水の管が通っているから、そこで必要な時に水を汲みなさい」
そう言えば、お母さんが水道みたいのがあるって言っていたね。

「それにシャシーが怒られることはないんだよ」
話の行方を見守っていたらしい店主さんが話に入ってきた。
「あのままシャシーが来なくたって、ラノキとお婆さんは喧嘩になっていた。貴族の現れるこの店で、な。だろ?」
店主さんが冷ややかな笑みを浮かべてお父さんを見下ろす。
少し怒って見えるのは間違いないっぽい。

「シャシーの機転がなければ、あの場で2人とも処刑されていただろう。この店もなんらかの処分を受けていたかもしれない。だからシャシーが感謝されることはあっても、非難されるいわれはないよ」
ムスッとしたお父さんは面白くなさそうだ。

「それよりも問題はシャシーが貴族との契約を結んだということだ。この子の洗礼式まで、この店から離れられなくなったぞ。どうするんだ?」
「私、このお店から出ちゃいけないの?」
一歩も?
確か『契約を履行できなくなった場合、それに関わった全ての者に死を招く』っていうようなことが書いてあったと思うけれど。
まあ、読めない字も混ざっていたから正確なところはわからないんだけどね。
まだまだ私の知らない字がたくさんあるんだなぁ……ではなくて。
少しワクワクしている場合ではなかった。

「いや、日常生活で外に出ることには問題ないんだよ。ただ、契約期間が終わるまで、この店で働かないといけなくなったということだ。店番も兼ねてやれるようになってくれれば、うちはむしろありがたいよ」
言いながら、店主さんが整えられた紙とペンのセットを机にセッティングした。

「契約から逃げたりできないんですか?」
私は森に逃げ切っちゃえばよくない?という疑問を軽い気持ちで口にした。
だって、あの森はお父さんの許可がなければ入れない。
と、お父さんと店主さんが怖い顔になって立ち上がった。掴まれている肩が痛い。

「シャシー、契約から逃げようなんて決して考えてはいけない」
「平民同士の約束と違い、貴族との契約は破ることができないんだ」
店主さんが左腕の袖を捲り上げると、黒く爛れた皮膚が現れた。
私は悲鳴が上がらないように両手で口を咄嗟に押さえる。

「契約に反した途端にこうだ。僅かな弁解の時間さえも与えられない。シャシーの契約は、かけられた物が命だろう」
店主さんの真剣な表情がコワイ。
「だがシャシー、だから助かったとも言えるんだ。もう誰も、イクスターナル様以外はどんな理由があってもお前をここから連れ出すことができないからな」
私の怯えを見て、お父さんの言葉が優しくなった。
おばあちゃんが何も言わずに大人しく帰ったのは、こういう理由からだったんだね。

「ここで大人しく書き物をしながら接客、できるよね?」
店主さんが私の顔を覗き込む。
瞳の奥に心配の色を見てしまえば、騒動を起こした当の私に選択肢なんてない。
「本当にご迷惑をかけてごめんなさい。一生懸命やります。よろしくお願いします」
席を立って挨拶をすると、店主さんの顔が優しいものに戻った。

契約のせいで、店主さんは雇わなくてもいい人間を雇わなくてはならなくなった。
私の人柄も能力も何もわからないのに、店主さんには断るという選択肢もない。
それに。
私の行い1つで、周りの人の命も巻き込んでしまう恐ろしい契約を結んでしまったのだ。
そのことを私は肝に銘じなければいけない。

話がひと段落すると、お父さんは2階にいるお母さんに事情を説明に行った。
しばらくの間、お母さんは2階から出てこないようにするんだって。
確かにおばあちゃんは私をどうにもできなくてもお母さんには手を出せちゃうもんね。

手持ちぶたさになった私は、早速練習紙に試し書きをしてみることにした。
「シャシーは本当に綺麗な字を書くね」
褒められたら嬉しい。
なにしろあの本を読みながら正しい文字のあり方を学んだ後、よく似たアルファベットを思い浮かべながら美しく見える書き方を研究してきたんだもん。
飾り文字の書き方までバッチリだよ。
時間だけはたっっっぷりあったからね。

「まさか、貴族様に不快だったなんて言われるとは思わなかったよ」
店主さんは苦笑いだ。
「あの本で勉強したの?」
「はい。たくさん練習しました。私はもう覚えたから他の人が欲しかったりしますか?」

古本を譲り合う習慣があったりするだろうか。
私も新しい本があったら欲しいし、貸し借りするとか交換してもらえたりとか、そういう習慣はないのかなあ。
他の単語の綴りとかまだあるだろうし。
「いや、欲しいと思う人はいないだろうね。読めない人も多いし字を書くこと自体がまずないからな」
そうなの?

「でもお父さんは書けましたよ」
名前の書き方も、一文字ずつの読み方も、お父さんが教えてくれたんだよ。
「ある程度の簡易文字なら読める人も多いし書くこともできる。自己流でね。だけど、貴族と連絡を取り合うような正式な文書は無理だな」
「店主さんも、ですか?」
「本当はできるといいんだけどね。俺の親父はできたから。そうしたら、失敗もなかったかもしれないね」
店主さんが何かを懐かしむように外に視線を動かした。

「あの壁の向こうが貴族の町だ。そして壁に埋め込められるように建っているあの建物が、役人のお勤め場所の1つなんだよ」
壁というより、ぶよんぶよんした通れない場所って感じだね。お父さんの森の周りにもあったから知っている。

「この店はこちら側の町を監視する役人が見回りに来る際の入り口になっているんだ。時々珍しい物が出回ったりするのは、その人達のおかげなんだよ」
ふーむ。
ということは、こちらの生活とあちらの生活はちょっと違うのかもしれないんだね。
行ってみたいような、あの怖い人達がたくさんいるなら行きたくないような……うん、今のまんまの方がいいよね!

「あんた!もう皆んな集まってるよ!あら、シャシーちゃんが店番かい?」
店主さんはチャキチャキな奥さんに呼ばれて行ってしまった。
午後の集まりかな?
奥さんはこの町の女の人らしくパワフルだ。
そんなに筋肉モリモリじゃないのに、大きな荷物をヒョイッと運ぶ。
私とかお母さんには絶対無理だ。

「どうしようかなあ」
私は店員さんになったといっても、町に家を持たないお客さんだから集まりとかには呼ばれない。
そもそも子供だし、お店から出ちゃダメっぽいし。
「やることないと暇だよー」
店内に1人残された私は、ひとまず近くにあった商品の書き物を手に取ってみた。と、字の歪さとは別に問題が見えてきた。
イクスターナル様が言いたかったのは、正しい文になっていないから意味がちんぷんかんぷんだよ、ということかもしれない。

よくみんなこれで中身を判断していたなあ。
あ、読まないで聞くからいいのか。よくお話しているもんね。

よし、店主さんや奥さん、テイラで手の空いている人をつかまえて、1つずつ商品について教えてもらって順番に終わらせていこう。
私もこれを読んだだけでは中身がわからないし、そもそも商品を見ただけで判断もできないしね。
店番をするっていうことはコレが何かとか聞かれたりもするんだろうし……そうじゃん!今聞かれても何もわからないよ!
そ、それは店側の人間としてどうなんだろう?!
お店の評判とか落としてしまったらマズいよね?!
テイラはどこに行っちゃったんだろう?
テイラに聞くのが1番気が楽なんだけど。

それにしても、町の人に読むのって楽しいなと思ってもらうにはどうしたらいいかなあ。
店主さん、簡易文字なら読める人多いって言ってたよね?

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