幼馴染でマジカルなアレが固くなる

余るガム

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第二部 高校生編

恨みの完遂程甘美な瞬間もない

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 春の残滓で中だるみする五月も終わり、六月も梅雨にまで入った月曜日。
 時節が変わったからと劇的に変わるものなどそう多いものではない。

 だからそう。これは一種の偶然の様なもので、わざわざ特筆する必要もないのかもしれないが。

「・・・雨か」

 それはそれとして、ある意味初めての雨に若干思う所があるのも事実。
 マンションの昇降口で傘も持たずに手で宙を支える。屋根から露出した掌がパラパラと濡れていく。

 雨は嫌いだ。

 諸々の不利益を被るというのもあるが、なんとなく気持ちが沈む。
 空気と一緒に何かこう、致命的な部分が冷え込む様な気がして。朝っぱらから降りしきっているとくれば尚更冷たい。

「お待たせ!」

 それでも太陽の様な人が隣にいてくれるなら、きっとその致命的な部分も人割と温まる。
 一本の傘とそういう熱を一緒に渡された気がした。

「どうしたの?」
「いや」

 不思議そうにのぞき込む顔に苦笑を返す。
 こんなこと考えてるなんて、思ってもないだろうな、と。

「やっぱり俺は、お前が好きだなって」
「もう、何よ今更」

 二人で一本の傘を差して、ゆっくりと歩き始める。
 濡れない様にと建前を言って、彼女を抱きしめた。



「『そうして彼女の熱を自分に取り込むようにして』・・・」
「どうかしら? 私としては結構いいのが出来たつもりだけど」
「まずここ誤字ってる。なんだ人割って。たぶん『じんわり』なんだろうけどさ」
「ファッ!?」

 まあ、まずは状況説明から始めようじゃないか。
 今は六月に入った直後で、曜日は水曜日。そして俺がいるのは図書室で、やっていたのは微の作品講評である。
 ちなみに雄大はまだ来ていない。

「大体なんでこんなに露骨に俺となじみがモチーフなの。そしてそれを当事者に読ませる微の神経どうなってんの」
「モチーフにした理由は私の周囲にちょうどいいカップルがあなたたちしかいなかったから。当事者に読ませるのはバカップルムーブを客観視して欲しかったからよ」
「俺となじみは相合傘したことないんだけど・・・」
「え、ないの?」
「ない。そもそも傘っていうのは最初から一人用に設計してあるものなんだから、濡れないように配慮するにはお互い持つのが一番だ」
「どっちか忘れたからとかは?」
「そんな手抜かりするような人種に見えるか?」
「なじみちゃんは相合傘したいって言いそうだけど」
「お互いがお互いを濡らしたくないのさ。自分のエゴで、なんて事態の方が嫌なんだろう」
「相互的な敬意ある関係・・・夫婦の理想像ね」
「そりゃどうも」
「見せられる私の気持ちもなって欲しいわ」

 上目遣いで睨んでくる微。
 少し頬を膨らませているのがあざとい。きっと尋常の美貌なら不快感を抱くのだろうが、超越的美人の微ならただ可愛いだけになる。
 何をやっても様になるんだから美人は得である。

「で、なんでいきなりこんなの書いたの。まさかただ当てつけに・・・わけじゃないんだろ?」

 当てつけるだけなら小説にするなんて手間は掛けないだろう。

「そうそう。文化祭で演劇部の出し物の脚本を書くって言ったでしょ? 安心院君にも手伝ってもらったおかげで大雑把な所は出来ているのだけど、いざ文字に起こすとこれが結構な手間なのよ。時間空けると良い文章出てこないから、ウォームアップがてら適当に書いたのがさっき見せた奴ってわけ」
「そういえばその仕事の内訳・・・っていうか役回りとかあるの?」
「まず私が主になって書く。文芸部内で推敲した後演劇部に提出。演出上の都合とかを加味したうえで再度執筆と推敲。その後は演劇部と合同で打合せを繰り返す感じね」
「なんで微が?」
「文芸部の部長だからというのが一つ。演劇部の部長に強く要請されたからっていうのが一つ。最後に私以外に脚本描いた経験がないのが一つね」
「じゃあ微が卒業したらどうするんだ?」
「後進の育成ぐらいしてるわ。時々一本書いてもらってるし、打ち合わせだって後輩全員連れていくつもりよ、あちらさんは一対一での打ち合わせを希望したけど」
「・・・そうか」

 多分演劇部の部長って微に惚れてるんじゃなかろうか。
 後進の育成まで考えると一対一で打ち合わせする必要は全くないどころか、百害あって一利なし。
 利を探すならそれくらいなのだ。

 いやしかし何でもかんでも恋愛に繋げるのはよろしくない。

 もしかしたら脚本を知っている人間を出来るだけ少なくしたいという意向なのかもしれないし、他人の胸中など俺に察することは出来ないのだ。
 もっとフラットな視点を持つことが肝要だろう。

「一応聞くけど演劇部の部長って男?」
「男ね。演劇部でも主演級で結構モテるみたいよ? 付き合ってる人はいないって言ってたけど」
「おや、もう打ち合わせはしていたのか」
「いいえ、大々的に喧伝しているわ」
「それはそれは・・・」

 やっぱりそういう事の様に思えるのは俺の心が穢れているからだろうか。

「あ、ちょっとやきもち焼いたでしょう?」
「妬いてない」
「嘘おっしゃい、私にはわかるのよ、このこの~」

 背後に回った微が後頭部に胸を押し付けてくる。
 硬いブラジャーの中に感じる柔肉はなじみ以上のボリュームだ。

「なじみちゃん一筋とか言っときながら私が他の男と近づいたら妬くなんて、勝手な男ね」
「ああ、自覚してるよ。まっこと身勝手な性分だとな」
「あら素直」
「自分にだけは嘘をつかないよう心掛けているのでね」
「ふふ、あなたの魅力って『そこ』なのね」

 意味深な事を言われても返答に困る。

「人間、大なり小なり自分を偽って生きてるわ。だってそうした方が生きやすいもの。そうして隠すうちに本心自体が羞恥の対象となって、さらに本音を覆い隠す。でも隠しはすれど消せはせず、累積する本音と抑え込む仮面の狭間で精神を擦り減らす・・・。そして心無き量産品の歯車の完成ってわけ。でもあなたはそのルートの外側を行ってる。誰もが行きたくてしょうがない、けれど踏み込めない外道。だからそこを悠々と闊歩するあなたは眩しくて魅力的なの」
「はあ・・・そんなこと言われても、いまいちピンと来ないな」

 幼い頃からなじみが可愛いと思ったときにそう言って、なじみが居なくて寂しい時にもそう言って。
 なじみに本音の好意をぶつけ続けた結果、そういう性格になったのだろう。

 しかし俺だって常に本音ありきで生きてるわけじゃない。

 必要とあれば頭も下げるし、内心嫌でも嫌な様に行動したこともある。
 今の微の言い方では、まるで俺が権力者相手でも気に入らないなら歯向かうというように聞こえるが、そんな事をした覚えはない。

 無いと思ってる部分を美しいと褒められて、嬉しいことなどあるものか。
 人間なのに『おっ、今日の尻尾イケてるねー』などと言われてもその・・・なんだ。困る。

 とはいえ幼い頃に虐められ、誰よりも強固な仮面を作った微がそういう事を言うのは、凄まじい含蓄がある。
 なにせ今この瞬間すら仮面を被り続けているのが微なのだ。自分では外せぬ所まで、半ば一体化した仮面を被っているのが微なのだ。

 誰よりも自分を偽る微は、だからこそ偽らない存在に敏感で、どうしようもなく惹かれるのだろう。
 少なくとも、微から見て俺は『偽らない存在』で『偽る必要のない存在』なのだ。それが事実であることぐらいは察せられる。

「けど」

 微の一言で意識が浮上する。少し考えこんでいたらしいが、微は気にしていないのか気付いていないのか。

「気を付けるのよ? 誰もが行きたくても行けない道を行くあなたは羨望を浴びるだろうけど・・・羨望は容易く嫉妬に変わる。嫉妬は恐ろしく攻撃的な感情。怒りよりも陰湿で、恨みよりも生まれやすい。そして怒りの様に力を生み出し、恨みの様に徹底的だから」

 心底の心配と憂慮しか込められていない言葉だが、なぜだろう。
 鉛の様に重く、氷のように冷たい何かが、自分の背中を這い回った気がした。
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