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第二十四話 次元転移
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サニタの卵を探した場所を過ぎ、小さな山を越えたところで海が見えた。伊吹が元いた世界と同じような青い海だが、彼が住んでいた地域ほど青々しくなく、どちらかというと水色に近い色合いだった。
「海だね」
伊吹が後ろにいるウサウサに向けて、半ば感想を求めるように言う。だが、初めて見た海に対して、ウサウサは感慨深げな吐息を漏らしただけだった。それでも、その反応が見られただけで、伊吹は不思議と満足感があった。
ワイバーンは徐々に高度を落とし、樹木が茂る島へと向かった。島は陸地から1kmほど離れた場所に浮かび、形は円に近く、大きさは直径で1.5kmはありそうだった。
ベドジフは島の端に平らな場所を見つけると、そこにワイバーンを降下させた。草地にワイバーンを座らせ、ベドジフが手綱を握ったまま飛び降りる。
「着いたぞ」
それだけ言うと、ベドジフは座り込んで、大きく息を吐いた。
ウサウサ、伊吹の順に、ベルトを外して、草地に降り立つ。スコウレリアとは違い、潮の匂いが染み込んだ強い風が吹き、空気が肌にベトつく感じがした。
降り立った場所は崖の上で、海面は数mほど下になる。ウサウサは岸壁に立つと、打ち寄せては返す波を黙って見つめた。
「波を見てるの?」
「すごいですね……」
ウサウサの表情に変化はなかった。
「海に入ってみる? ここから飛び込むのは厳しいけど、陸地の方は砂地だから」
陸地を指して言ってみるものの、ウサウサは首を横に振った。
「入ると、戻って来られなくなりそう……」
吸い込まれそうな海の美しさに伊吹も頷く。ずっと見ていたくなる景色だが、今回の目的は観光ではない。
「僕はケイモという人を探しに行くけど、どうする? ここで海を見てる?」
「私も行きます」
海を見たがっていただけに、残ると言われる気がしていたが、ウサウサは迷いなく言い切った。
「じゃ、行こうか」
と言って一歩踏み出したが、どこに向かえばいいのか、検討がついているわけではない。来た道だけは覚えておこうと、たまに後ろを振り返ったり、特徴的なものがないか気にかけながら、伊吹たちは島の中を歩き始めた。
島の地面には黄緑色の植物が生い茂っていた。形状は杉の葉に似ているが、その間からは細い管が伸び、先端には紙風船のような膨らみがあった。膨らみを踏みしめるたび、フシュ~という力が抜ける音がする。
少し歩いたのち、白い壁の家が立ち並ぶ場所に出た。家の造り自体はチガヤの家と大差なかったが、大きさ的には半分ほどのものが目立つ。
その一角では、手足のある魚系種族の他に、ベドジフのような小人系、顔が豚や牛に近い亜人種たちが、葉っぱの上に載せた魚や木の実を指しながら何か話していた。
「オラの魚と、この果実2つでどうだ?」
「そんな小さな魚で、2つは厳しいんだな」
豚顔の亜人種と小人の会話からすると、物々交換をしているのだろう。よく見ると、それぞれが食料を持ち寄っている。
彼らがユニットであることは、腕の星印を見ればわかったが、そこにいたのは星印が1つや2つの者ばかりだった。レアリティで言うなら、コモンとアンコモンになる。
伊吹は道を訊こうと、話し易そうな人を探したが、交換するのに夢中になっている人ばかりで、割って入るのは少々気がひけた。そこに、手ぶらの猫耳少女が家から出てきた。
「あの、すみません」
すかさず伊吹は少女に声をかけた。
「何だにゃ?」
猫耳少女は立ち止まって伊吹を見た。
彼女は猫の耳をしている以外は、伊吹と何ら変わりはなかった。身長も同じくらいで、体型的にも微妙に膨らんだ胸を除けば、同じと言ってもいいレベルだった。上はボロ布を巻き、下もパレオを巻いているだけの格好をしている。腕にある星印は2つだった。
「ケイモさんの所に行きたいんですけど、道を教えてもらえませんか?」
「老師のお客さん、なのかにゃ?」
「そんなところです」
「わかったにゃ! ついてくるにゃ」
あっさりOKすると、猫耳少女は鼻歌まじりで歩き始めた。伊吹とウサウサは、ズンズン進む彼女の後を追った。
「ここで暮らしてるんですか?」
「そうだにゃ」
「ユニット契約している人も?」
「ボクと契約した人は、ここにはいないにゃ」
「えっ?」
驚いて伊吹が立ち止っても、猫耳少女は進み続ける。伊吹が慌てて駆け寄ると、少女は前を向いたまま話し始めた。
「強化素材にされそうになったから、ここに逃げてきたにゃ」
「そうだったんですか」
「他のみんなもそうにゃ」
「あっ、さっきの場所にいた人たちのことですよね」
素材にされれば、この世界からいなくなる。前に見た限りでは、消滅しているように見えた。そのことを知っていれば、素材にされる前に逃げたくなるというもの。問題は逃げた後に、どうやって暮らしていくかだが、この島はそれが可能な場所なのだと、物々交換していた彼らの姿を思い浮かべる。
コモンとアンコモンばかり目についたのも、不用と見なされやすいレアリティだけに納得がいく。
しばらく歩くと、木々が無い開けた場所に出た。なだらかな斜面の先には白い壁の家が一軒あり、家の前には海藻をござの上に並べている老人と、老人に話しかけているマスクの男、その男の後ろで立ち話をしている男女がいた。
老人は白いローブをまとい、マスクの男は茶色のマントを羽織っていた。そのマスクは顔全体を覆う不気味なもので、形状としては鳥の顔を彷彿とさせる。何かの資料で見たペストマスクに似ていると、伊吹は思った。
立ち話をしている男女は、黒い法衣をまとった大柄な男と、黒いワンピースを着た女性という組み合わせだった。
「ここだにゃ」
猫耳少女は老人を指さした。
「ありがとうございます」
「バイバイにゃ~」
道案内が終わると、猫耳少女は来た道を戻っていった。
「行ってみよう」
「はい」
ウサウサに呼びかけて、伊吹は家へと近づいた。あの事件を起こしたケイモがいると思えば緊張も走ったが、ござに海藻を並べている小さな老人を見ていると、警戒心も薄れていく。
ケイモと思しき白髪で髭をたくわえた老人は、腰こそ曲がっていないものの、動作が非常にゆったりとしていて、ユニット兵部隊を退けた人物には到底見えない。それどころか、何処となく寂しげで、軽く押しただけで倒れてしまいそうな雰囲気さえあった。
「あら、お久しぶりですね」
立ち話をしていた男女のうち、女性の方が伊吹を見て柔和な笑みを浮かべた。ケイモに気を取られて気づかなかったが、そこにいたのは同じ日に召喚されたカリスタと、アンフィテアトルムで門番をしていたオスワルドだった。二人ともヒューゴのユニットで、前にバトルで戦ったことがある。
「あっ、どうも……」
「あなた方も、ケイモ老師にお願い事かしら?」
「僕らは会いに来ただけ、みたいな感じですけど、そちらは?」
「『次元転移』を頼みに、ね?」
カリスタはオスワルドを見て言う。オスワルドは軽く頷くと、腰に巻いていた皮の袋を外し、ジャラジャラと音がする硬貨を出した。
「金貨が100枚貯まったからな。元の世界に戻ることにした」
「寂しくなるわね」
しみじみ言うカリスタに対し、オスワルドは「フン……」と言うだけだった。
「戻られるんですか。なんだか、勿体ない気がしますね。あんなに凄い力があるのに……」
「凄い力? スキルのことか?」
「はい」
伊吹はオスワルドと戦った際、彼のスキル『課金地獄』で敗れていた。『課金地獄』は精神的ダメージを与える幻術スキルで、その威力はスキルを使ったユニットを所有している者の課金額に比例している。廃課金者であるヒューゴのユニット向きのスキルと言えるだけに、元の世界に戻ってスキルを失うのが惜しい気がした。
「あれは俺の力ではない。あの方の課金額がなせる業だ」
「それは、そうなんですが……」
「俺は自分の力で生きていきたい。自分で掴み取った力でな」
オスワルドはケイモの方を向くと、一方的に話し続けるマスク男に目をやった。
「あのマスクの人は先客ですか?」
小声でカリスタに訊くと、彼女は伊吹の耳元に手を当てて話してきた。
「そうなの、話が長くて困ってるわ。ユニット地位向上協会、俗に言うユニット革命軍のメンバーらしいけど」
「革命軍?」
「前に失敗に終わったユニットの反乱を、今度は成功させようって組織よ」
伊吹の頭の中で、情報倉庫で聴いた内容が断片的に甦る。革命が成功した暁には、参加者を無償で元の世界に戻すことを約束した反乱軍のリーダー。そのリーダーの交際相手が所有者から暴行を受けたことに端を発した歴史的事件。詳しく聴いたわけではないのに、凄惨なイメージがあった。
「そんな人が、どうしてケイモさんに?」
「革命軍の旗頭にしたいみたいよ、話を聴いている限り」
「ケイモさんが有名だからですか?」
「その言い方は、ちょっとどうかしら。彼らがケイモ老師を旗頭にしたいのは、ユニットの反乱が失敗に終わった原因にあるみたいよ」
そこまで言うと、カリスタは伊吹とウサウサの手を引き、静かにケイモの家から離れた。革命軍メンバーの声が聞き取りづらい位置まで移動すると、カリスタは再び話し始めた。
「私も、オノフリオやカミルから聴いた程度しか知らないけど、反乱が失敗に終わった原因の1つは、デマだったそうよ」
「デマ? 嘘ってことですか。それって、どんな……」
「反乱軍のリーダー、イェルケルのスキルは『次元転移』ではなく、ユニットを消滅させるものだ……というものよ。『次元転移』が元の世界に戻すスキルというのは知られているけど、実際に“元の世界に戻った人に会った事例がない”ことを突いたのね」
『次元転移』が元の世界に戻るスキルであることを証明するには、元の世界に戻った後に再びガチャで召喚され、転移したことを知っている人に会って、同一人物であることを認めてもらう必要がある。
「反乱軍に『能力解析』のスキル所持者がいれば、そんなデマは意味を持たなかったんでしょうけど……」
「いなかったんですね?」
「そうなの。だから、元の世界に戻りたいという理由で集まった反乱軍は瓦解したそうよ。イェルケルのいう革命が成功したところで、彼の消滅スキルで消されるだけだと思ったのでしょうね」
「誰が、そんなデマを……」
「誰って、それはデマを流して得する人達でしょう。反乱を起こされて困る側、例えば政府とかね」
政権を奪取されでもしたら敵わないもんな、と考えたところで、伊吹は別の団体のことが頭をよぎった。
「ガチャの廃止を求める会……じゃなくて、ユニット追放協会って、なかったでしたっけ? あそこもユニットが力を持ったら困りますよね? デマを流した可能性は?」
「ガチャの廃止を求める会は、召喚が非人道的だと主張する人権擁護団体で、活動は穏やかなものだったそうよ。追放協会の方は、反乱に加担した側になるわね」
「えっ? ユニットを追放したい人達なのに?」
「だからじゃないかしら。革命の成功で参加者が元の世界に帰るというのは、この国からユニットを追放したい彼らの望みに合致してるわ。お互いに良く思っていなかったはずなのに、利害が一致するのは不思議よね。たぶん、協会側としては、多くのユニットが帰った後で、残ったユニットを片付けようって腹だったんでしょうけど」
そこでいったん話をやめ、革命軍メンバーの動きを確認してから、カリスタは話を再開した。
「結局は追放協会も、デマによって疑心暗鬼に陥った反乱軍の内ゲバに巻き込まれる形で弱体化して、今ではもう過去の存在。オルトドンティウムにあった本部も、もぬけの殻みたい」
「そうだったんですか。それで、ケイモさんを旗頭にしたいっていうのは?」
「『次元転移』の使い手として名高いから、同じデマにやられることもないってところかしら。あそこにいる彼の主張を聴く限りでは」
「なるほど……」
得心したところで、オスワルドが手招きしているのが目に入る。カリスタもそれに気づき、三人はオスワルドの元に歩み寄った。
「彼の話、そろそろ終わりそう?」
「ああ。いい加減、引き下がるだろう」
カリスタとオスワルドのやりとりを見て、伊吹は革命軍メンバーとケイモの話に耳を傾けた。ケイモは革命軍メンバーを横目で見ながら、相変わらず海藻を並べている。
「我々の目的は『次元転移』所有者の拘束を禁止すること。強化素材にされることを防ぐための1人1ユニット制限の実現。ユニット保護法の強化で、反乱の時とは違います。とにかく一度、同志イェルケルに会って頂けないでしょうか? きっと、話せばわかると思います」
マスクのお陰で声がこもってはいたが、その声質から革命軍メンバーは若いような気がした。
「君の言う“話せばわかる”というのは、対話によって相手に自分たちの考えをわからせることなのか、それとも相手の考えを自分たちが理解することなのか……。はたまた、その両方をさしているのか、そこのところは、どうなのかね?」
「……りょ、両方です」
革命軍メンバーの返答は、言い方からしてその場しのぎの感が否めなかった。
「ならば、こちらの考えを理解することから始めてほしいと、彼に伝えておいてはくれまいか」
握った拳を震わせながら、革命軍メンバーは一歩後ろへと下がった。
「今日のところは戻りますが、次にお会いするときには色よい返事が聞けるものと、期待しております。あなたの最強の力は、こんな島に埋もれさせておくべきものじゃない。それでは」
マントをひるがえし、革命軍メンバーは海へと続く急勾配を駆け下りて行った。
「最強の力、か……」
白髭を撫でながら、ケイモが溜め息混じりに言う。それに対し、オスワルドがケイモの背に語りかける。
「あなたの『次元転移』は、最強と呼ばれるだけの価値がある。視界に入れた者を元の世界に戻す、それだけでも驚異だというのに範囲指定もできる。相手の腕だけ転移させれば、『可逆治癒』でも治せないダメージとなる。ユニット兵部隊を1人で退け、この地を守った事実が、それを証明している」
「弱かろうと強かろうと、人を傷つける力は暴力でしかない。それで何か得られたとしても、暴力ということに何ら変わりはない。そんなものを最強と呼んで、喜ぶのは如何なものかの」
「悔いておられるのですか、ユニット兵を殺めたことを」
ケイモは海藻を並べるのをやめ、オスワルドと向き合った。
「ヒューゴは元気か?」
「はい」
「そうか……。で、今日はどうした?」
オスワルドは金貨が入った袋をケイモに差し出した。
「『次元転移』を、お願いしに参りました」
「……遂に貯まったか。まずは、おめでとうと言うべきか」
「ありがとうございます」
「帰るのは、お前さん1人か?」
オスワルドの横に控えているカリスタを見てケイモが訊く。
「俺だけです」
ケイモは袋を受け取ると、並べた海藻の傍に置いた。
「中身の確認を……」
「必要ない」
オスワルドのことをよく知っているから確認する必要がない。彼が金を用意したと言ったら、そこには必ず物がある。そんな風に伊吹には思えた。
「次から、あの方の使いとして来るのは彼女になります」
「お初にお目にかかります。私、カリスタと申します」
オスワルドに紹介されたカリスタが前に出て名乗る。
「ケイモだ。よろしく」
ケイモは目を細めて、カリスタの顔を見つめる。見えづらいから細めている、といった感じだった。
「オスワルドよ。心の準備が出来たら、言っておくれ」
「既に気持ちの整理はついています。あとは……」
オスワルドは右腕をカリスタに向けて出した。その腕には星が5つあり、ウルトラレアを示している。
「カリスタ、『所持変更』を」
「ユニット契約が破棄されたら、言葉が通じなくなりますけど……」
ユニット契約を破棄するスキル『所持変更』を頼まれ、カリスタはケイモに言葉を求めた。言葉が通じなくなる前に、オスワルドに言うべきことがあればと。
「元の世界に戻れば、その印も消えるだろうが……。まぁ、念には念を入れておくべきか」
そう言うと、ケイモはオスワルドの背中をポンっと軽く叩き、「元気での」と小さな声で言った。
「老師も、お元気で」
オスワルドがカリスタを見て頷くと、彼女は黙って『所持変更』を発動させた。星印から赤みが失せ、召喚された時の色へと変わる。
次の瞬間、オスワルドの体が光に包まれたかと思うと、体の中心部に向かって光が収縮するのに合わせて、その場からオスワルドの姿が消え去った。ケイモが『次元転移』を使ったのだ。
一人の人間がいなくなり、辺りに静寂が訪れる。
体の大きなオスワルドがいなくなったことで、海風の当たりが強くなったように感じられた。
オスワルドがいた場所を見つめ、伊吹はケイモが何人ものユニットを見送ってきたことに想いを馳せ、少しだけ寂しい気持ちになった。
「そちらさんは?」
ケイモが伊吹たちに声をかける。
「僕たちは、あなたに会いに来たというか、見に来たというか……。知りたかったんです、あなたがどんな人か」
「ほう……」
白髭を撫でながら、ケイモは口元を緩ませた。
「で、感想は?」
「もっと怖い人かと思ってましたけど、そうじゃなかったって言うか……え~っと……」
急に印象を訊かれ、伊吹は答えに窮した。
「遠慮はいらんぞ」
「割と、普通の爺さんかなと」
率直な意見にカリスタが苦笑し、ケイモはニヤッと笑った。
「そうか、そうか……。そう見えたか。そちらの、お嬢さんはどうかの」
ケイモの視線はウサウサに向かう。
「不憫に思いました」
「不憫とな?」
「能力や過去のことばかりに触れられて、今のあなた自身を見ている方がいないように思えたので……」
隣で聴いていて伊吹はドキリとした。能力や過去の事件でしか、彼を見ていないところが、自分にもあるような気がしたからだ。
また、生まれた時から生贄という役割を背負ってきた彼女が、それを指摘したことも大きかった。ずっと生贄として見られてきた彼女だからこそ、人柄よりも先に周りが望む有り様に目を向けられることの辛さを、知っているように感じられた。
「なかなか、興味深い客人だ。お前さん方は、元の世界に戻る気はないのかね?」
「僕は、いずれは……。今は、お金が無いんですけど」
今はどうこうできないものの、いつかは戻らなくてはいけない気がしていた。向こうには家族がいるから、急にいなくなって心配しているかもしれない。この世界で自分を取り囲む人に愛着も湧いてきたが、ここがいるべき場所には思えないところがあった。
「私は戻るつもりはありません」
伊吹とは逆に、ウサウサは居続けることに迷いはなかった。
「供物として流された身なので」
「そうか……」
生贄が生きて戻ったとなれば、その風習を信じている人にとっては、良いことではないのは想像に難くない。戻ったところで同じ運命が待つのであれば、彼女としては残る以外に選択肢はないのかもしれない。
「お金が無いなら、こういうのはどうかしら」
カリスタは文字が書かれた紙を伊吹に手渡した。
「これ、何ですか?」
「明後日、アンフィテアトルムで行われるユニット交換会の招待券よ。交換会ではバトルイベントもあって賞金が出るの。この券があれば、参加できるわ」
「へぇ~……出てみようかな」
と言ってみるものの、招待券の文字が読めないので、どんなバトルイベントなのかは不明だ。
「招待券、ありがとうございます」
礼を言って券をポケットに入れる。
「お礼はいいわ。あの人風に言うなら、他意はない、タダの宣伝だ……といったところかしら」
ヒューゴのことを思い出し、ハハハと笑う。
「この後、どうするの? 老師を見に来たって話だったけど」
「そろそろ戻ります。乗ってきたワイバーンの貸し出し時間もあるし、今日のバトルにも出たいので」
確認の為にウサウサを見ると、彼女はコクリと頷いた。
「そうなの。それじゃ、ここでお別れね」
「まだ、ここにいらっしゃるんですか?」
「ここに迎えが来る予定だから」
「そうなんですか、それじゃ」
「またね」
微笑みかけるカリスタに会釈して、伊吹はウサウサを連れてケイモの家を後にした。
「海だね」
伊吹が後ろにいるウサウサに向けて、半ば感想を求めるように言う。だが、初めて見た海に対して、ウサウサは感慨深げな吐息を漏らしただけだった。それでも、その反応が見られただけで、伊吹は不思議と満足感があった。
ワイバーンは徐々に高度を落とし、樹木が茂る島へと向かった。島は陸地から1kmほど離れた場所に浮かび、形は円に近く、大きさは直径で1.5kmはありそうだった。
ベドジフは島の端に平らな場所を見つけると、そこにワイバーンを降下させた。草地にワイバーンを座らせ、ベドジフが手綱を握ったまま飛び降りる。
「着いたぞ」
それだけ言うと、ベドジフは座り込んで、大きく息を吐いた。
ウサウサ、伊吹の順に、ベルトを外して、草地に降り立つ。スコウレリアとは違い、潮の匂いが染み込んだ強い風が吹き、空気が肌にベトつく感じがした。
降り立った場所は崖の上で、海面は数mほど下になる。ウサウサは岸壁に立つと、打ち寄せては返す波を黙って見つめた。
「波を見てるの?」
「すごいですね……」
ウサウサの表情に変化はなかった。
「海に入ってみる? ここから飛び込むのは厳しいけど、陸地の方は砂地だから」
陸地を指して言ってみるものの、ウサウサは首を横に振った。
「入ると、戻って来られなくなりそう……」
吸い込まれそうな海の美しさに伊吹も頷く。ずっと見ていたくなる景色だが、今回の目的は観光ではない。
「僕はケイモという人を探しに行くけど、どうする? ここで海を見てる?」
「私も行きます」
海を見たがっていただけに、残ると言われる気がしていたが、ウサウサは迷いなく言い切った。
「じゃ、行こうか」
と言って一歩踏み出したが、どこに向かえばいいのか、検討がついているわけではない。来た道だけは覚えておこうと、たまに後ろを振り返ったり、特徴的なものがないか気にかけながら、伊吹たちは島の中を歩き始めた。
島の地面には黄緑色の植物が生い茂っていた。形状は杉の葉に似ているが、その間からは細い管が伸び、先端には紙風船のような膨らみがあった。膨らみを踏みしめるたび、フシュ~という力が抜ける音がする。
少し歩いたのち、白い壁の家が立ち並ぶ場所に出た。家の造り自体はチガヤの家と大差なかったが、大きさ的には半分ほどのものが目立つ。
その一角では、手足のある魚系種族の他に、ベドジフのような小人系、顔が豚や牛に近い亜人種たちが、葉っぱの上に載せた魚や木の実を指しながら何か話していた。
「オラの魚と、この果実2つでどうだ?」
「そんな小さな魚で、2つは厳しいんだな」
豚顔の亜人種と小人の会話からすると、物々交換をしているのだろう。よく見ると、それぞれが食料を持ち寄っている。
彼らがユニットであることは、腕の星印を見ればわかったが、そこにいたのは星印が1つや2つの者ばかりだった。レアリティで言うなら、コモンとアンコモンになる。
伊吹は道を訊こうと、話し易そうな人を探したが、交換するのに夢中になっている人ばかりで、割って入るのは少々気がひけた。そこに、手ぶらの猫耳少女が家から出てきた。
「あの、すみません」
すかさず伊吹は少女に声をかけた。
「何だにゃ?」
猫耳少女は立ち止まって伊吹を見た。
彼女は猫の耳をしている以外は、伊吹と何ら変わりはなかった。身長も同じくらいで、体型的にも微妙に膨らんだ胸を除けば、同じと言ってもいいレベルだった。上はボロ布を巻き、下もパレオを巻いているだけの格好をしている。腕にある星印は2つだった。
「ケイモさんの所に行きたいんですけど、道を教えてもらえませんか?」
「老師のお客さん、なのかにゃ?」
「そんなところです」
「わかったにゃ! ついてくるにゃ」
あっさりOKすると、猫耳少女は鼻歌まじりで歩き始めた。伊吹とウサウサは、ズンズン進む彼女の後を追った。
「ここで暮らしてるんですか?」
「そうだにゃ」
「ユニット契約している人も?」
「ボクと契約した人は、ここにはいないにゃ」
「えっ?」
驚いて伊吹が立ち止っても、猫耳少女は進み続ける。伊吹が慌てて駆け寄ると、少女は前を向いたまま話し始めた。
「強化素材にされそうになったから、ここに逃げてきたにゃ」
「そうだったんですか」
「他のみんなもそうにゃ」
「あっ、さっきの場所にいた人たちのことですよね」
素材にされれば、この世界からいなくなる。前に見た限りでは、消滅しているように見えた。そのことを知っていれば、素材にされる前に逃げたくなるというもの。問題は逃げた後に、どうやって暮らしていくかだが、この島はそれが可能な場所なのだと、物々交換していた彼らの姿を思い浮かべる。
コモンとアンコモンばかり目についたのも、不用と見なされやすいレアリティだけに納得がいく。
しばらく歩くと、木々が無い開けた場所に出た。なだらかな斜面の先には白い壁の家が一軒あり、家の前には海藻をござの上に並べている老人と、老人に話しかけているマスクの男、その男の後ろで立ち話をしている男女がいた。
老人は白いローブをまとい、マスクの男は茶色のマントを羽織っていた。そのマスクは顔全体を覆う不気味なもので、形状としては鳥の顔を彷彿とさせる。何かの資料で見たペストマスクに似ていると、伊吹は思った。
立ち話をしている男女は、黒い法衣をまとった大柄な男と、黒いワンピースを着た女性という組み合わせだった。
「ここだにゃ」
猫耳少女は老人を指さした。
「ありがとうございます」
「バイバイにゃ~」
道案内が終わると、猫耳少女は来た道を戻っていった。
「行ってみよう」
「はい」
ウサウサに呼びかけて、伊吹は家へと近づいた。あの事件を起こしたケイモがいると思えば緊張も走ったが、ござに海藻を並べている小さな老人を見ていると、警戒心も薄れていく。
ケイモと思しき白髪で髭をたくわえた老人は、腰こそ曲がっていないものの、動作が非常にゆったりとしていて、ユニット兵部隊を退けた人物には到底見えない。それどころか、何処となく寂しげで、軽く押しただけで倒れてしまいそうな雰囲気さえあった。
「あら、お久しぶりですね」
立ち話をしていた男女のうち、女性の方が伊吹を見て柔和な笑みを浮かべた。ケイモに気を取られて気づかなかったが、そこにいたのは同じ日に召喚されたカリスタと、アンフィテアトルムで門番をしていたオスワルドだった。二人ともヒューゴのユニットで、前にバトルで戦ったことがある。
「あっ、どうも……」
「あなた方も、ケイモ老師にお願い事かしら?」
「僕らは会いに来ただけ、みたいな感じですけど、そちらは?」
「『次元転移』を頼みに、ね?」
カリスタはオスワルドを見て言う。オスワルドは軽く頷くと、腰に巻いていた皮の袋を外し、ジャラジャラと音がする硬貨を出した。
「金貨が100枚貯まったからな。元の世界に戻ることにした」
「寂しくなるわね」
しみじみ言うカリスタに対し、オスワルドは「フン……」と言うだけだった。
「戻られるんですか。なんだか、勿体ない気がしますね。あんなに凄い力があるのに……」
「凄い力? スキルのことか?」
「はい」
伊吹はオスワルドと戦った際、彼のスキル『課金地獄』で敗れていた。『課金地獄』は精神的ダメージを与える幻術スキルで、その威力はスキルを使ったユニットを所有している者の課金額に比例している。廃課金者であるヒューゴのユニット向きのスキルと言えるだけに、元の世界に戻ってスキルを失うのが惜しい気がした。
「あれは俺の力ではない。あの方の課金額がなせる業だ」
「それは、そうなんですが……」
「俺は自分の力で生きていきたい。自分で掴み取った力でな」
オスワルドはケイモの方を向くと、一方的に話し続けるマスク男に目をやった。
「あのマスクの人は先客ですか?」
小声でカリスタに訊くと、彼女は伊吹の耳元に手を当てて話してきた。
「そうなの、話が長くて困ってるわ。ユニット地位向上協会、俗に言うユニット革命軍のメンバーらしいけど」
「革命軍?」
「前に失敗に終わったユニットの反乱を、今度は成功させようって組織よ」
伊吹の頭の中で、情報倉庫で聴いた内容が断片的に甦る。革命が成功した暁には、参加者を無償で元の世界に戻すことを約束した反乱軍のリーダー。そのリーダーの交際相手が所有者から暴行を受けたことに端を発した歴史的事件。詳しく聴いたわけではないのに、凄惨なイメージがあった。
「そんな人が、どうしてケイモさんに?」
「革命軍の旗頭にしたいみたいよ、話を聴いている限り」
「ケイモさんが有名だからですか?」
「その言い方は、ちょっとどうかしら。彼らがケイモ老師を旗頭にしたいのは、ユニットの反乱が失敗に終わった原因にあるみたいよ」
そこまで言うと、カリスタは伊吹とウサウサの手を引き、静かにケイモの家から離れた。革命軍メンバーの声が聞き取りづらい位置まで移動すると、カリスタは再び話し始めた。
「私も、オノフリオやカミルから聴いた程度しか知らないけど、反乱が失敗に終わった原因の1つは、デマだったそうよ」
「デマ? 嘘ってことですか。それって、どんな……」
「反乱軍のリーダー、イェルケルのスキルは『次元転移』ではなく、ユニットを消滅させるものだ……というものよ。『次元転移』が元の世界に戻すスキルというのは知られているけど、実際に“元の世界に戻った人に会った事例がない”ことを突いたのね」
『次元転移』が元の世界に戻るスキルであることを証明するには、元の世界に戻った後に再びガチャで召喚され、転移したことを知っている人に会って、同一人物であることを認めてもらう必要がある。
「反乱軍に『能力解析』のスキル所持者がいれば、そんなデマは意味を持たなかったんでしょうけど……」
「いなかったんですね?」
「そうなの。だから、元の世界に戻りたいという理由で集まった反乱軍は瓦解したそうよ。イェルケルのいう革命が成功したところで、彼の消滅スキルで消されるだけだと思ったのでしょうね」
「誰が、そんなデマを……」
「誰って、それはデマを流して得する人達でしょう。反乱を起こされて困る側、例えば政府とかね」
政権を奪取されでもしたら敵わないもんな、と考えたところで、伊吹は別の団体のことが頭をよぎった。
「ガチャの廃止を求める会……じゃなくて、ユニット追放協会って、なかったでしたっけ? あそこもユニットが力を持ったら困りますよね? デマを流した可能性は?」
「ガチャの廃止を求める会は、召喚が非人道的だと主張する人権擁護団体で、活動は穏やかなものだったそうよ。追放協会の方は、反乱に加担した側になるわね」
「えっ? ユニットを追放したい人達なのに?」
「だからじゃないかしら。革命の成功で参加者が元の世界に帰るというのは、この国からユニットを追放したい彼らの望みに合致してるわ。お互いに良く思っていなかったはずなのに、利害が一致するのは不思議よね。たぶん、協会側としては、多くのユニットが帰った後で、残ったユニットを片付けようって腹だったんでしょうけど」
そこでいったん話をやめ、革命軍メンバーの動きを確認してから、カリスタは話を再開した。
「結局は追放協会も、デマによって疑心暗鬼に陥った反乱軍の内ゲバに巻き込まれる形で弱体化して、今ではもう過去の存在。オルトドンティウムにあった本部も、もぬけの殻みたい」
「そうだったんですか。それで、ケイモさんを旗頭にしたいっていうのは?」
「『次元転移』の使い手として名高いから、同じデマにやられることもないってところかしら。あそこにいる彼の主張を聴く限りでは」
「なるほど……」
得心したところで、オスワルドが手招きしているのが目に入る。カリスタもそれに気づき、三人はオスワルドの元に歩み寄った。
「彼の話、そろそろ終わりそう?」
「ああ。いい加減、引き下がるだろう」
カリスタとオスワルドのやりとりを見て、伊吹は革命軍メンバーとケイモの話に耳を傾けた。ケイモは革命軍メンバーを横目で見ながら、相変わらず海藻を並べている。
「我々の目的は『次元転移』所有者の拘束を禁止すること。強化素材にされることを防ぐための1人1ユニット制限の実現。ユニット保護法の強化で、反乱の時とは違います。とにかく一度、同志イェルケルに会って頂けないでしょうか? きっと、話せばわかると思います」
マスクのお陰で声がこもってはいたが、その声質から革命軍メンバーは若いような気がした。
「君の言う“話せばわかる”というのは、対話によって相手に自分たちの考えをわからせることなのか、それとも相手の考えを自分たちが理解することなのか……。はたまた、その両方をさしているのか、そこのところは、どうなのかね?」
「……りょ、両方です」
革命軍メンバーの返答は、言い方からしてその場しのぎの感が否めなかった。
「ならば、こちらの考えを理解することから始めてほしいと、彼に伝えておいてはくれまいか」
握った拳を震わせながら、革命軍メンバーは一歩後ろへと下がった。
「今日のところは戻りますが、次にお会いするときには色よい返事が聞けるものと、期待しております。あなたの最強の力は、こんな島に埋もれさせておくべきものじゃない。それでは」
マントをひるがえし、革命軍メンバーは海へと続く急勾配を駆け下りて行った。
「最強の力、か……」
白髭を撫でながら、ケイモが溜め息混じりに言う。それに対し、オスワルドがケイモの背に語りかける。
「あなたの『次元転移』は、最強と呼ばれるだけの価値がある。視界に入れた者を元の世界に戻す、それだけでも驚異だというのに範囲指定もできる。相手の腕だけ転移させれば、『可逆治癒』でも治せないダメージとなる。ユニット兵部隊を1人で退け、この地を守った事実が、それを証明している」
「弱かろうと強かろうと、人を傷つける力は暴力でしかない。それで何か得られたとしても、暴力ということに何ら変わりはない。そんなものを最強と呼んで、喜ぶのは如何なものかの」
「悔いておられるのですか、ユニット兵を殺めたことを」
ケイモは海藻を並べるのをやめ、オスワルドと向き合った。
「ヒューゴは元気か?」
「はい」
「そうか……。で、今日はどうした?」
オスワルドは金貨が入った袋をケイモに差し出した。
「『次元転移』を、お願いしに参りました」
「……遂に貯まったか。まずは、おめでとうと言うべきか」
「ありがとうございます」
「帰るのは、お前さん1人か?」
オスワルドの横に控えているカリスタを見てケイモが訊く。
「俺だけです」
ケイモは袋を受け取ると、並べた海藻の傍に置いた。
「中身の確認を……」
「必要ない」
オスワルドのことをよく知っているから確認する必要がない。彼が金を用意したと言ったら、そこには必ず物がある。そんな風に伊吹には思えた。
「次から、あの方の使いとして来るのは彼女になります」
「お初にお目にかかります。私、カリスタと申します」
オスワルドに紹介されたカリスタが前に出て名乗る。
「ケイモだ。よろしく」
ケイモは目を細めて、カリスタの顔を見つめる。見えづらいから細めている、といった感じだった。
「オスワルドよ。心の準備が出来たら、言っておくれ」
「既に気持ちの整理はついています。あとは……」
オスワルドは右腕をカリスタに向けて出した。その腕には星が5つあり、ウルトラレアを示している。
「カリスタ、『所持変更』を」
「ユニット契約が破棄されたら、言葉が通じなくなりますけど……」
ユニット契約を破棄するスキル『所持変更』を頼まれ、カリスタはケイモに言葉を求めた。言葉が通じなくなる前に、オスワルドに言うべきことがあればと。
「元の世界に戻れば、その印も消えるだろうが……。まぁ、念には念を入れておくべきか」
そう言うと、ケイモはオスワルドの背中をポンっと軽く叩き、「元気での」と小さな声で言った。
「老師も、お元気で」
オスワルドがカリスタを見て頷くと、彼女は黙って『所持変更』を発動させた。星印から赤みが失せ、召喚された時の色へと変わる。
次の瞬間、オスワルドの体が光に包まれたかと思うと、体の中心部に向かって光が収縮するのに合わせて、その場からオスワルドの姿が消え去った。ケイモが『次元転移』を使ったのだ。
一人の人間がいなくなり、辺りに静寂が訪れる。
体の大きなオスワルドがいなくなったことで、海風の当たりが強くなったように感じられた。
オスワルドがいた場所を見つめ、伊吹はケイモが何人ものユニットを見送ってきたことに想いを馳せ、少しだけ寂しい気持ちになった。
「そちらさんは?」
ケイモが伊吹たちに声をかける。
「僕たちは、あなたに会いに来たというか、見に来たというか……。知りたかったんです、あなたがどんな人か」
「ほう……」
白髭を撫でながら、ケイモは口元を緩ませた。
「で、感想は?」
「もっと怖い人かと思ってましたけど、そうじゃなかったって言うか……え~っと……」
急に印象を訊かれ、伊吹は答えに窮した。
「遠慮はいらんぞ」
「割と、普通の爺さんかなと」
率直な意見にカリスタが苦笑し、ケイモはニヤッと笑った。
「そうか、そうか……。そう見えたか。そちらの、お嬢さんはどうかの」
ケイモの視線はウサウサに向かう。
「不憫に思いました」
「不憫とな?」
「能力や過去のことばかりに触れられて、今のあなた自身を見ている方がいないように思えたので……」
隣で聴いていて伊吹はドキリとした。能力や過去の事件でしか、彼を見ていないところが、自分にもあるような気がしたからだ。
また、生まれた時から生贄という役割を背負ってきた彼女が、それを指摘したことも大きかった。ずっと生贄として見られてきた彼女だからこそ、人柄よりも先に周りが望む有り様に目を向けられることの辛さを、知っているように感じられた。
「なかなか、興味深い客人だ。お前さん方は、元の世界に戻る気はないのかね?」
「僕は、いずれは……。今は、お金が無いんですけど」
今はどうこうできないものの、いつかは戻らなくてはいけない気がしていた。向こうには家族がいるから、急にいなくなって心配しているかもしれない。この世界で自分を取り囲む人に愛着も湧いてきたが、ここがいるべき場所には思えないところがあった。
「私は戻るつもりはありません」
伊吹とは逆に、ウサウサは居続けることに迷いはなかった。
「供物として流された身なので」
「そうか……」
生贄が生きて戻ったとなれば、その風習を信じている人にとっては、良いことではないのは想像に難くない。戻ったところで同じ運命が待つのであれば、彼女としては残る以外に選択肢はないのかもしれない。
「お金が無いなら、こういうのはどうかしら」
カリスタは文字が書かれた紙を伊吹に手渡した。
「これ、何ですか?」
「明後日、アンフィテアトルムで行われるユニット交換会の招待券よ。交換会ではバトルイベントもあって賞金が出るの。この券があれば、参加できるわ」
「へぇ~……出てみようかな」
と言ってみるものの、招待券の文字が読めないので、どんなバトルイベントなのかは不明だ。
「招待券、ありがとうございます」
礼を言って券をポケットに入れる。
「お礼はいいわ。あの人風に言うなら、他意はない、タダの宣伝だ……といったところかしら」
ヒューゴのことを思い出し、ハハハと笑う。
「この後、どうするの? 老師を見に来たって話だったけど」
「そろそろ戻ります。乗ってきたワイバーンの貸し出し時間もあるし、今日のバトルにも出たいので」
確認の為にウサウサを見ると、彼女はコクリと頷いた。
「そうなの。それじゃ、ここでお別れね」
「まだ、ここにいらっしゃるんですか?」
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「そうなんですか、それじゃ」
「またね」
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